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この記事を書いた人
青貴空羽

小説家にして極真空手家。
更に2年間の英国留学不治の病うつ病になった経験、オタク文化を発信する為ブログTwitterYouTubeを始める。

Twitter:@aokikukose

格闘家YouTuber

大会で前蹴りする極真空手家アオっく、青貴空羽

 格闘技と言うものに、想いを馳せる時間が増えていた。

 最近、格闘技の話題が尽きない。

 契機としては、やはりYouTubeの出現だろう。

 コロナによって、自粛ムードが高まり、大会も軒並み中止になり、唯一の収入手段を奪われ、そして芸能人たちが一斉にYouTube活動を開始したことにより、それに続く形で格闘家たちもほぼ全ての人間たちがYouTube活動を始めた。

 それによって、特にRIZINに所属する路上の伝説と言われる元ストリートファイターの、朝倉未来の登録者数163万人と言う爆発的な成功により、一気に格闘技界はその様相を変えた。

 戦って、勝って、トーナメントで優勝して、それによって発言権を持って、有名になって、テレビ出演して、そういった形態は完全に鳴りを潜めた。

 それよりも、派手なことをやって、うまい企画を考えて、YouTubeで再生回数を稼いで、登録者数を増やして、それによって有名になって、そういったことの方が重要になってしまった。

 旧K-1が没してから、どの団体も、ほとんどトーナメントといったものをしなくなってしまった。

 求められるのは、話題性、それによるワンマッチ、集客数、それだけ。

 私としてはどう考えても人気と実力が釣り合っていなくても、人を呼べるのならば、それこそが正義。

 そんな時、武道家である父と話す機会があった。

 以前、生涯を武道家として生きてきた父が、年末、格闘技の番組を見ているときに言っていた。

アマチュアイズムを貫く極真空手

「格闘技なんて嫌いだよ。人の前で殴りあって」

 それは私にとって衝撃的な言葉だった。

 私は当然のように極真カラテも格闘技であり、殴り合い――K-1やRIZIN、そういった者たちと同列にあると考えていた。

 ワクワクしながら楽しんでいた私には、理解しがたい言葉だった。

 そして格闘技界の様変わりに想いを馳せているそんな昨日、父と電話をした。

 様々な生き方、人生、働くということ、夢や、そういった話をしている中で、空手と言う立ち位置が自分の中で考え直す時期にきているかもしれない旨を伝えた。

 結局のところ、極真空手を、武道やっていることで、生計を立てることは叶わない。

 ただ日々、爪を研ぎ、牙を磨くように体を鍛えて、技を研ぎすませても、スタミナを叩き上げても、それを披露するのは大会のみで、得られるのは名声のみで、それも1年に1、2回程度しかないのならば、それが人生を左右するほどの意味を持つ事は無い。

 いわゆるプロフェッショナルの格闘家とは、違う立ち位置。

 大山倍達が提唱した、アマチュア故の武道精神。

 しかし、実際に生計がまともに立てられないような状況で、果たしてどのような心持ちで空手を続けていけばいいのか?

 空手を続けていくことそのものは問題がない、私は極真空手を心から愛している。

 しかしそれにかまけて、夢を持ったり、生計を立てることを怠ることができない。

 そんな時に、父の考えを聞いた。

スポーツ、そして武道の起源

「スポーツの起源を知っているか?」

「あー、それは、遊び、遊戯だよな? 領民が必死になって働いて、食い扶持を稼いでいる間、暇で暇で仕方なかった貴族たちが、例えばそこにあった棒と穴で玉入れ遊びをしたのがきっかけでゴルフができたように」

「ああ、そうだ。じゃあ武道の起源を知っているか?」
「武道の期限……俺が知ってるのは、護身?」

 武道と言うものは、元々は例えば戦場で武器である槍や剣を失ったとき、もしくはそういったものを持たない平民たちが侍による迫害に遭った際、または王族の人間たちが一般の人たちには知られないように超人的な動きを身に付けるため、その起源は降りかかる火の粉を払う手段だったはず。

「あー、護身術だな。それに加えて、重要だったのは、生活のためだ」

 寝耳に水だった。

「生活の為……?」

「そうだ。お前が言うように、武道と言うのは、身を守るための手段。それに加えて、生活をより良くするために考えられたものだ。理に適った動き、よりよい生活を送るために必要な筋力、バランス、体調、そういったものを整えるために、考え抜かれた稽古内容だ」

 衝撃だった。

 確かに考えてみれば、貴族、武士、平民、そして果ては戦う必要もなかった沖縄の人々まで、試合すらないのに、日々稽古に勤しんでいた。

 そうか。

 武道とは、あくまで生活に根ざしたものだった。

 だからこそ、それで金を稼ぐと言う方向性にはいかなかった。

 だからこそパンツいっちょで戦っい、パンチドランカーの危険性があるのに手にグローブをつけて顔面を殴ったりすることなく、K.Oを量産したり派手に倒したり観客を湧かせる試合をしたり、そういったものを目指すことがなかった。

 常々考えていた。

 一般的に受けない、人気が出ない、騒がれない、極真空手はこのままでいいのかとも考えていた。

 しかし大山倍達はあくまで空手の実戦性を考えて直接打撃を用いたのであり、それを有名にしたのは話を持ちかけた梶原一騎であり、最初から見世物にしようなどと言う発想はなかった。

 だからこそ父は、このようなコロナ禍においても、生活をより良くすると言う武道と言うものは、決して廃れることなく、人間の根本に関わるものだと、そう言っている。

 だからこそ武道精神――礼に始まり礼に終わり、人を敬い、頭を低く目は高く口謹んで心広く、考を原点として他を益すと言う、そういった考え方が何より大事だと言うこと。

 格闘技と、武道というものの違い。

 スポーツと、武道というものの違い。

 また1つ、武道家に近づいた気がした。

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