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空手の型の在り方、実戦に即した心身育成と現代試合形式の疑問を呈す

2021年7月23日

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この記事を書いた人
青貴空羽

小説家にして極真空手家。
更に2年間の英国留学不治の病うつ病になった経験、オタク文化を発信する為ブログTwitterYouTubeを始める。

Twitter:@aokikuunovel

型試合の判定基準

空手には型というものがある。

一般の人には理解しにくいものだろう。

その場で技を繰り出し、前後・左右に動きながら、なんやかんやあって、元の位置に戻ってきて、終わりとする。

演武と見る人もいる。

伝統派空手では、これで試合をしている。

しかし個人的には、型というものは、あくまで実戦に即していなければあまり意味がないと考えている。

聞いたところによると、伝統派空手の型の試合では、気合のその声の音程、それが低いだとか高いだとか、そういうところまで判断の基準になると言う。

はっきりって、お笑い種。

茶番だ。

誰のための型なのか?

何のための空手なのか?

そんな声が高いとか低いとか、そういうもので優劣をつけて、優勝だ準優勝だ勝った負けたと言いたいのならば、それこそ昔誰かが言っていた空手形にでも名前を変えてしまえばいい。

空手というものは、あくまで実戦に即したものだ。

空手とは実戦に即してこそ

実戦とは、ヨーイドンで行われて、ルールの名の下、どっちの勝ちですよと決められるものではない。

実戦とは、日常生活の中で、ある日突然降って湧いてくる、いわゆる災難と相対することを指す言葉だ。

平和な現代、安全神話の日本といっても、ある日突然ナイフを持った暴漢に襲われることもあるし、イジメや家庭内暴力等もあちこちではびこっている。

そんな火の粉を払う、それこそが空手の元来のあり方のはずだ。

昔、まだ試合が確立していない沖縄の、未だ名前が空手ではなく手(テイ)、もしくは沖縄手、那覇手、首里手などと呼ばれていた時代、だからこそ身体能力を徹底的に高め、鋼のような体を作り、そしてひたすらに型稽古を繰り返していた。

型試合のための型ではない。

実戦に即した動きをするための型だ。

型と言うものは、読んで字のごとく、実戦において想定される状況に陥った時に、こう動くのが理想的であり、それを考えてからやっているようでは役に立たないので、それを体に染み込ませるために行うものだ。

その状況に陥った際、考えるの先に体が動く、そういった体に作り変えるための、その手段だ。

気合と言うものは、このタイミングでこの技を気合いを入れて行うことで、その危機を脱し、相手を打倒、自分が望む状況に持っていける、あくまでそういったものだ。

科学的にも、気合を入れた瞬間、疲労が溜まっていようとも瞬間的にその人のベストパフォーマンスを発揮できる、そういう証明がなされている。

なのに音程の工程で優劣をつけるなど、滑稽の極みではないだろうか?

確かに現代の日本において、実戦性と言うものは必要とされなくなっており、あくまで見た目や、社会受けがもてはやされている事は間違いない。

しかし私は疑問に思う。

ならば、武道が、空手が、人にもたらすものとは、一体何なのかと。

利潤主義や、社会に迎合することに、武道や空手をする意味があるのだろうか?

オリンピック参加の意義

今回東京オリンピックにおいて空手が種目に加えられて、それに乗って喜んでいる人たちは確かに多い。

しかし同等か、もしかしたらそれ以上に、聞こえてくる声もある。

「所詮は今回限りの種目、次のオリンピックでは消える」

「ルールがよくわからないし、どうでもいい」

オリンピックは、あくまでスポーツの祭典だ。

そして、元々は純粋なアマチュアイズムから生まれたものだったのかもしれないが、現在は利権にまみれ、金儲けが主な目的となっている、あくまで商業イベントと化してしまった。

しかもそれが終わった後のレガシーと言う体の良い名前で聞かされるそのためだけのあとは使い道のない施設など、問題は山積みと言っている。

そこに、必死になって組み込まれて、空手の名前を売り出すことに、果たしてどこまでの意味があるだろうか?

皆、頭が良くなっているから、その裏に渦巻いている狙いや打算、そういったものは見抜かれている。

しかも結果的に東京オリンピックは2020年、世界的に流行したコロナ禍によって行われる事はなく、さらに今冬の第3波によって、来年の開催も危ぶまれている。

型の目的

型と言うものは、あくまで実戦に即した体、心作りのために生まれた。

しかしそれを、私が極真の試合に適した練習を行い、タメや、反動、振りかぶる動作などを十分に身に付けた後に改めて型を行うと、また違った角下から見えてくるものがあった。

そういった大きな動作を身に付けた上で、型を行うと、コンパクトな動作でも、十分にタメが効いた重い攻撃を行うことができたのだ。

それはあくまで、それまでに十分に型を練習して、自分のものとしていたからこそ、たどり着けた境地と言えるだろう。

端的に寸止めの試合型式を採用している伝統派空手を批判するつもりはないが、そういった古来からの空手の在り方に対する向き合い方を、改めて考えるべき課題の1つなのかもしれないと思った今日だった。

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