なぜ格闘技が日本でメジャーにならないか?極真空手歴20年が徹底考察!

2024年4月11日

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格闘技ブームの去来

最近とみに考えていた事。

一時期K-1、PRIDEという団体が日本を席巻して、地上波のお茶の間ゴールデンタイムに家族みんなで格闘技を見ているような時代もあった。

しかしそれも最後は財政破綻となり、空中分解して、その母体が新生K-1という形で復活して、他にもRISEやRIZIN、その他様々な格闘技団体が雨後の筍のように発生、派生した。

しかし今のところ、ただ1つRIZIN以外は、地上波のゴールデンタイム進出は果たせていない。

そしてそのRIZINをもってしてもなお、日本の格闘技はとてもではないがメジャーなものだとは言い難い。

考えてきて思うのは、1つはやはり格闘技と言うものは、スポーツのような爽やかさを持っていないからなのではないか?

K-1の時代から、そして一部のボクシングなどの、相手を挑発などしての舌戦から盛り上げるといった文化がある。

これはおそらくはアメリカなどの、ストリートファイト――いわゆる喧嘩から派生したような文化なのではないかと考えている。

しかしそのような体質は、奥ゆかしく言葉の裏を読むという慎ましい日本人の気性には合っていないのではないだろうか?

相手を叩きのめし、その上でコーナーの上に登って、勝った勝った!と大騒ぎする。

喧嘩の延長と武道との親和性の低さ

日本には武道があり、格闘技という点では空手がある。

私が指導する極真空手では、相手を一本勝ちで下した後は、未だ気を抜いていないということを示す残心という動作を取り行い、その後は相手が立ち上がるまで背を向けて正座して待つという所作がある。

元来は自らの力量がどこまで達したのか、どこが足りないのかを探るために、相手に立ち会っていただいて、そして感謝するというのは自然なもの。

あいつは俺より弱い、何言ってんだそっちの方が弱い、雑魚が、クソ野郎が、リングの上で証明してやるぜ!

殴った、蹴った、倒した、俺は強い、みんな俺を見ろ!!

このような喧嘩の延長線上のような真似を続けている限りは、やはりその他のスポーツのような形で日本人に広く受け入れられるようにはならないのかもしれない。

そしてもう一つの問題が、格闘技の行き過ぎた多様化にあるようにも思われる。

現在日本のプロ格闘技は、大きく分けて4つのルールに分けられるように思う。

多様に広がった格闘技ルールと団体の乱立

まず1つがK-1に端を発する、キックボクシングルール。

いわゆる手にグローブをつけて、殴る蹴るの、立ち技で勝負するもの。

あまりクリンチは推奨されておらず、やや極真空手のルールに準ずるようなところもある。

次が、ムエタイルール。

上記に加えて、首相撲、肘打ち、そしてギャンブル的要素が加味されたもの。

単純なダメージだけを考慮したり、倒し倒されとは一線を隠す、高度な駆け引きが求められる。

そして総合格闘技ルール。

さらにタックル等からの、寝技、関節技、そして投げ技に加え、倒れた相手のサッカーボールキックやパウンドと呼ばれるパンチまでが認められたもの。

そのルールの多様性、危険性から、関節技に耐えられなくなった相手からの降参の意志を示すタップによる一本勝ちや、派手なKOが多く見られる競技である。

そして世界的にも最もメジャーといわれる、ボクシング。

ロープが張られた四角いリングで、両手にグローブをつけた拳のナックル部分のみで殴ることを許された、原始の格闘技ともいえる競技。

純粋なパンチのみによるその打撃の多様性は他の追随を許さず、ボクシングヘビー級を最強と唱える者もいまだに根強く多くいる。

これだけ多種多様なルールが存在し、さらにはポイントの取り方もそれぞれによって違い、さらには各レフェリー独自の基準によっても勝敗は大きく変わることさえある。

そもそもが格闘技に縁がない人間ならば、どこを基準に、どのように判断し、どう楽しめば良いのか、面食らってしまうのも仕方ないと言える。

サッカーが足だけを使ってボールをネットに蹴り込み、バスケットが移動する時はドリブルをして籠の中に投げ入れたら得点と言うような、判断明瞭な基準がなければ、入り口がどうしても険しくなるのは仕方ないと言わざるを得ない。

さらには団体の乱立も拍車をかけている。

それぞれの団体が、多様な体重制を採用し、それぞれにチャンピオンを輩出しているので、それこそ日本には何十人もの日本、そして世界チャンピオンが存在している。

格闘技、の一言で統一するには、あまりにも乱暴と言えるのかもしれない。

イギリスやアメリカのように、格闘技と言えばこれ――UFC、Bellator、ONE Championshipのような形ではっきりと最大手が決まっていれば、それはそれで違うのかもしれない。

井上尚弥に視る究極的な侍の姿

そして感覚的にではあるが、日本という国民性が、あまりそういった闘争的なものに価値を見いだす民族ではないのかもしれない。

日本では空手も試合形式には寸止めのポイント制が先行して採用され、のちに大山倍達が創設した極真空手の直接打撃制は邪道空手だ喧嘩空手だと激しい叱責を受けた経緯もある。

これから先、日本で格闘技が盛り上がっていく為には、出来得る限りのルールの明確化や、団体やランキング性のある程度の統一、見所や優位性等の可視化などの問題点が挙げられるだろう。

さらには、現在の喧嘩の延長線上のような見せ方を改め、スポーツなどに準ずる爽やかさや、あくまで控えめな武道に通ずるような高い精神性を兼ね備える必要があると私は考えている。

エンターテイメント性と、高位な精神性の両立。

そういった意味では現在ボクシングのスーパーチャンピオンである、"怪物"井上尚弥が大変な人気と評価をされているのも納得と言えるだろう。

自らが新たな次元に達するためにリスクを問わず常に強い敵との戦いを求め、どこまでも謙虚で、相手をリスペクトして、2つの拳で殴り合って倒し勝敗を決めると言う極めてわかりやすいシンプルさ。

これからの格闘技界の未来を決めるために、学ぶべき、模範にすべき点は多いのかもしれない。

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