五十六話「ヒーロー」
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目次
本編
知らず天寺は、遥を睨みつけていた。
それは、今までの溜まりに溜まったプレッシャーのはけ口を見つけたかのようだった。
眉間をきつくしかめ、歯を食いしばり、目尻を吊り上げる。
それは、今までの溜まりに溜まったプレッシャーのはけ口を見つけたかのようだった。
眉間をきつくしかめ、歯を食いしばり、目尻を吊り上げる。
だが、遥はその視線に気づいていない。
俯いたまま、それは何を言うか計りかねているようだった。
「俺は」
声が来た。
天寺が一瞬身構える。
しかし、
「俺は……頑張れ、なんて、お前に言えない。あいつは規格外の化け物だと思う。纏さんもいるんだし、あの人ならきっと倒してくれると思う。負けても、恥なんかじゃないと思う」
意外な言葉が、来た。
それに天寺はいからせていた肩の――いや、全身の緊張が、ほどけるのを感じた。
――規格外の化け物だと思う。
――負けても恥なんかじゃないと思う。
それは、自分が思っていながら、最後まで誰にも言ってもらえなかった言葉だった。
過剰な期待をせず、等身大の自分と現実をわかってくれる者の言葉だった。
それを、遥は言ってくれた。
肩の荷が降りた、と思った。
「でも、」
だが。
遥はそこまで天寺の気持ちを理解した上で、"でも"と続けた。
そこで遥は、顔を上げた。
揺れる瞳が、訴えかけていた。
「出来れば、勝ってくれ……! お前は俺にとって、強さの、憧れの……ヒーローなんだ!」
その言葉に、天寺は動きを止める。
勝ってくれ。
今まで何度も言われてきたその言葉は、だが、意味することが全く違っていた。
お前は勝たなければならない。
勝って当たり前だ――ではない。
強敵であり、苦難であるのはわかる。
だが、その上で、勝ってくれることを願う。
俺はお前を信頼しているのだ。
お前は俺にとって、ヒーローなんだ。
――今まで、様々な激励を受けてきた。
だが、その言葉がこれほど力を沸き上がらせてくれたのは、初めてではないか?
拳を、握る。
力が、入る。
足を、踏み出す。
前へと、進めた。
力が、入る。
足を、踏み出す。
前へと、進めた。
それはすべて、この七ヶ月間の必死の日々が天寺に与えてくれたものだった。
燃え上がる。
体が、火のように燃え上がっていく。
その熱が天寺に、死線へと――難敵、蓮田夕人へと立ち向かう力を、与えていく。
ニヤリ、と天寺は、纏と戦っていたときのような楽しげな笑みを作った。
そして最後に遥の背中を叩き、
「見てろ、神薙。オレは今、あいつを華麗に倒すプランを思いついたぜ」
彼は戦場に赴いていった。
それを結局最後までなにも話さなかった朱鳥は、去り際に横目で確認していた。
どこか、哀しげな瞳で。
試合場に立つ。
途端に、今まで耳に叩きつけていた歓声が、一気に遠のいていった。
代わりにセコンドの声の内容だけが、やけによくわかる。
――天寺先輩、ファイトです!
相手の左中段廻しに注意です!
――天寺、気を抜くな!
お前のセンスなら、必ずやれる筈だ。
いつもの道場の稽古を忘れるな!
カクテルパーティー現象ってやつを思い出した。
周りが喧騒に包まれていても、自分に向けて話される内容だけは聞き分けられるというやつだ。
この状態も、それに似たものなのだろうか?
夕人が、こちらを見ている。
その顔は、どこか愉しげだった。
建末を倒した時と、同じだ。
その顔はどこか醜悪で、どこか人間のものと違うように思われた。
化け物じみている。
悪魔じみている。
その白い肌も、棍棒のような体躯も、圧倒的迫力として体に叩きつけてきた。
それに、天寺の体は試合場から押し出されそうだった。
手を、握る。
息を、吐く。
主審に促され、正面に礼を送る。
橘師範の顔が見えた。
距離があり、その表情は見て取れなかった。
次に相手に礼を送る。
不器用な角度で頭を下げ、へたくそな十字を切っていた。
慣れていない。
ますますこいつが空手をやってきていないという事に、確信がついた。
「構えて――」
神薙も、セコンドで声を張り上げてくれているのだろうか――
「始めッ!」
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