五十話「射馬の構え」
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目次
本編
天寺は開始の号令と同時に、左腕を伸ばした。
前手である左手をスッ、と相手に向かって、真っ直ぐと。
その手の形は通常の拳ではなく掌――手を開いた状態になっている。
同時に後ろ手である右手が、顔の傍に添えるように上げられる。
しかしやはりそれは拳ではなく掌で、それは相手の方を向いていた。
構えた。
一瞬、会場の空気が張り詰めた。対戦相手も突進しようとする足を止め、警戒心を高めたように見えた。
初めてのことだった。
前回大会。
初優勝を決めた時、後ろ回し蹴りと共に天寺の代名詞的となっていたのが、その相手を小馬鹿にしたような――両手をだらりと垂らした、ノーガードだったのだ。
前回大会。
初優勝を決めた時、後ろ回し蹴りと共に天寺の代名詞的となっていたのが、その相手を小馬鹿にしたような――両手をだらりと垂らした、ノーガードだったのだ。
その天寺が、構えた。
しかも普通の構えではない。
片手はまるで相手を威嚇するように真っ直ぐと伸ばされ、片手だけが顔面カバーに回されている。
それも、両方拳でなく、掌だ。
重心も高い。
その姿はまるで――弓を引き絞る、狙撃手のようだった。
しばらく会場に、沈黙が訪れた。
次にどう展開するのかわからず、声も出さずただ成り行きを見守っている。
それを破ったのは、天寺の突進だった。
構えを取って、しばらく悠然と佇んだ――というより、体を後方に流し、溜めに近いものを作ったあと、天寺の体が対戦相手に向かって突っ込んでいったのだ。
会場中が目を見張った。
まさか――という考えが走りぬけた。
天寺の組み手は元来、待ちの組み手だ。
相手の攻撃が来るまで待ち、捌き、隙が出来るのを待ってから、必殺の一撃を解き放つ。
その天寺が構えただけでは飽き足らず、相手に向かって突進するとは――
それに呼応するように、対戦相手も歩を進める。
一気に両者の間合いが詰まり――
「ああっ!」
ガードの上から、天寺は叩きつけるような強烈な右上段廻し蹴りをぶち込んだ。
受けた腕が揺れ、巨体の体が傾く。
「……ぐぅ!」
丸太のような両腕が、左右から天寺に襲い掛かる。
スピードはないが、圧倒的質量を持った拳だ。
それを天寺は足を踏ん張り、ぱん、ぱんと掌を使って弾いた。
捌くというより、その重量差を相殺するように体ごとその腕に叩きつけているような感じだ。
四発目の右の拳を外に流し、流れるような動きで左ローを相手の右太腿に当てた。
それにより巨体の体がわずかに、流れる。
それを確認して天寺が一歩離れ、先ほどの構えを取る。
左手を伸ばし、間合いが開く。
同時に天寺の体に一瞬力が篭もり、
「――せいやァ!」
裂帛の気合と共に、天寺の右前蹴りが相手のどてっ腹に――グッサリと、それは踝近くまで深々とその脂肪の中に潜り込まれた。
「ぬっ」
一瞬巨体は動きを止め、
「ぐぬぬぬぬぬ――!」
呻きながら腹を抱えて、倒れこんだ。
同時に副審の旗が真横に振られ、主審が駆け寄ってくる。
「しゃあっ!」
天寺は気合と共に、拳を相手に向けて振って戻す――残心、という動きする。
当てるわけではなく、気持ちがそこに残っている、油断がない、ということを示すために行うものだ。
相手を転ばせたり、効かせるなりして倒したあとは、必ず行うようになっているものだ。
うまくいった。全てが。
天寺はそう考えていた。
先ほど取った構えは、前蹴りと共に哲侍に伝授された構えだった。
顔面カバーは後ろ手のみに任せ、真っ直ぐ伸ばした前手の加減で相手との間合いをコントロールするというもの。
捌き、蹴りを中心とする――そして前蹴りを活かすのに、最も向いているとされる構え。
名を、射馬(しゃま)の構えといった。
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