#13「意味もない蛮勇」

2020年10月7日

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目次

本編

 願いというものは、そうそう叶うものでもなかった。
 それを期せずして体験として、知り得る羽目になった。

 それから裕子さんに自分の話をしてみようと、試みてみた。
 いつものように6時半に、カーテンが開けられた。

 起床時間。
 眩しい朝日を背にいつものように大柄な人影が、

「おはようございます成海さん、朝ですよ」

 そして去っていこうとする白衣の背にぼくは意を決し、

「――おはようございます、裕子さん。今日はぼく、気分がいいんですよ」

 結構ありったけの勇気を振り絞った言葉だったりした。
 事なかれのぼくが、意味もない蛮勇に挑もうというのだ。ちょっとした物語の中の、主人公の気持ちだった。

 結果、

「あら、それはよかったですね。棚多(たなだ)さん、朝ですよ。起きてください」

 一瞥すら、なかった。
 ぼくの勇気は、相手の心に波風ひとつ起こすことは叶わなかった。

 一瞬、打ちひしがれたような心地になった。

 だけどそも、ぼくの心の変化など誰が知るだろうとも思った。

 ぼくが選んで、そしてぼくが実行してきたのだ。
 機械的な笑みや、無難な行動を。
 それを昨日今日思い立ったから今度からは心を開くといって、誰が相手にするだろうか。

 いやハッキリとしないだろう。

 甘かった。
 そう思えた。

 だいたいぼくはいま、裕子さんに心を開いてほしいと思って行動しただろうか?
 ただ聞いてほしいという、一方的な気持ちを抱いていたに過ぎないんじゃないか?

 課題だった。
 そう思った。
 だけどこれに、課題なんているんだろうか?

 話したい。





「…………」

 お昼ごはんを夢見心地で食べながら、そう思った。
 彼女と、話したい。
 マヤと。

 気づけばぼくは、そのことばかり考えていた。
 友達が少ない。というよりいない、か。

 もう、自嘲気味な笑みも浮かばない。
 そんな余裕ない。
 ぼくは禁断の林檎を食べてしまった。

 あの関係に気づいてしまっては、もう悟ったふりなんて無理だった。

 ずっと夜でもいいとすら、思えるぐらいに。

「……成海さん」

 くらん、と世界が揺れるような感覚がとつぜん、襲ってきた。
 それはなぜか?

 まず現状、ぼくの担当の看護士である裕子さんがおらず、担当の医師である渡河辺先生がいないというのに、ぼくに話しかける声があったということ。

 そしてそれが、しわがれた男性のもので、それは完全に失念していた相手だということが原因だった。

 視線を、巡らす。
 真っ直ぐ真向かいに、彼はいた。

「え、と……」

「棚多、じゃよ。棚多、昭好(たなだ あきよし)じゃ」

 そうだった。
 この病室には、もうひとり人間がいた。

 それが彼、棚多昭好79歳だった。

 ぼくと同じ病気だった。
 だけどぼくほど末期ではなくしばらくは生きていられるらしいが、ぼくと違って高齢のためいつ病状が急変するとも知れないため、こうして同じ病室になったという。 

 だけど会話は、まったくなかった。 

 どちらがどちらというわけじゃないと、思う。
 ぼくはぼくで対人恐怖症――というより不信というか、諦めというか、交流の意味に対する疑問というか、そういったものにがんじがらめにされていたため、結局話しかける機会を逸していた。 

 彼もまた、話しかけてくることはなかった。
 正直で申し訳ないが、既にボケているか、病気にやられてそんな判断も出来ないか、体力的に厳しいとか、そういう風に思っていた。 

 だからそれは、晴天の霹靂に近い衝撃だった。 
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