“清澄山の天狗”大山倍達 鬼滅の刃や空手バカ一代の山ごもり!若木竹丸怪力法、1年8カ月の苦悩、そその拳は電柱を穿つ!?

2024年4月9日

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ゴッドハンド・マスターマス大山

清澄山の天狗と呼ばれた山ごもり大山倍達

様々な2つ名で称えられして日本、そして世界に直接打撃制格闘技、武道精神を伝え広めし偉大なる武道家、大山倍達。

その大山倍達がその力を鍛え極めたと言う、現在ではまずほとんど見られる事は無いであろう、修行法、山ごもり。

山ごもりの数についてはいくつか証言がなされているようだが、1つはまず身延山で行い、戦後初の全日本空手道選手権大会優勝、その後改めて清澄山に入山、さらにその3年後岩村博文などの門下生を伴い妙見山にこもったと言う話がなされている。

さらには神社の宮司によると三峰山にも何度か山に入っては滝に打たれたりなどしたと言う証言もあると言う。

戦争を経て、復員兵としてただ生きるためだけの虚無な毎日の中空手の情熱と言うはっきりと指針を見出し、空手の大先輩であるという曹寧柱のおかげで後援を得て昭和22年、24歳の折に先に述べた全日本空手道選手権大会に出場し優勝、その後従軍時代月1度の外出日に脱走した豚を捕まえた縁で知り合った香山さんという方の養豚を手伝いながら空手修行に励む中、隣の屠殺場から牛の鳴き声が聞こえることにヒントを得て牛と対決するも思ったような結果を得られず、その力をつけるために、俗世との関係を清算するため山ごもりを決心。

奥さんに、

山へこもって練習したい。

それに数多くの修行をして、世界一と言われる男になりたいんだ。

10年はかかるかもしれない。

それまで俺を独りにしてくれ。

と告げ、私はあなたの妻です。何年でも待っていますから、お考えの通りになさってください、との返答を得て、若い弟子の1人とともに千葉の清澄山に入山。

清澄山へ

持参したのはせんべいぶとん、夜間と鍋、火おこしの器具にろうそく、ピーナツバター、米、干し魚、縄、むしろ、バーベルに鉄アレイ、くわ、かま、ナタ、しゃべる、釣竿。

監視哨をベースに、朝は日の出と共に起き、前日のうちに組んでいた水で米をとぎ、黙想、柔軟、空突き空蹴りなどの2時間の稽古をこなし、1時間の休憩を挟み反復、それから若い弟子に攻めさせての受けの練習、腕立て伏せを250回、1分休んで250回と繰り返し1000回、それも正拳、3本指とやり方を変えていき、最後の500回は親指と人差し指の二本指で行ったと言う。

さらには重量上げて午前中はフィニッシュ、初日に関して言えばそこから巻藁作り、むしろ巻き、既に残されていた100平方メートルほどの畑を耕してのにんじん、大根、キャベツ、きゅうり、茄子、かぼちゃなどの畑作り、麻の実も植えて修行に備えたという。

この時の大山倍達のコンセプトとしては、何よりもパンチ力の増強と言うものに重きが置かれていたと言う。

その当時空手の先生と言えば155センチ45キロ程度と語られており、技は優れていても効かない、私は175センチ72キロ、この体力に加えてパンチ力をつけたら鬼に金棒のはずであると考え、軍隊時代に若木竹丸と言う人の書いた怪力修練法により独学でバーベルの訓練をしたが、進駐軍たちの戦いにおいて、彼らの体の大きさに加えて、凄まじいパンチ力に驚愕し、その必要性を実感していたところ、友人の紹介で本人と知り合い、見立て身長160センチ体重45キロの体格、だが実際は70キロ近くには及ぶと言う話もあるそれで人智を超えた310キロを上げると言うその手ほどきを受け、そこから独自に、軽いバーベルを8回から10回持ち上げておいて、記録更新のための重量は1日1回だけ挑戦すると言うメニューを考案。

しかし当然のことながら前日限界だったメニューをさらに更新するのだから、成功は覚つかず、そこで考え出されたのが、少年航空兵学校時代、トラックに乗り込み近くの工場まで向かっていたところ、助手席に座っていた中尉の座席のバネが突き破り、その臀部を差し、その痛みにより中尉は飛び上がり、鉄兜をかぶっていたと言うのもあるというが、ボンネットの厚い鉄板が5センチ近くもその鉄兜の形に凹んだと言う。

その体験を応用し、バーベルを肩の高さまで持ち上げ、今まさにさし上げようと言う瞬間に太い布団針で尻をブスリとさしてもらうと言う方法を考案。

激痛に叫び声がほとばしり、その瞬間バーベルが通常に上がっている、痛みに対する筋肉の反射を利用したものだと言う。

…改めてですが、命、かけてますね。

しかしまぁ実際のところ、そしての方が怖がって嫌がってしまい、なかなかそれを達成することが難しかったと言う話たが。

ウェイトトレーニングが終わると松の並木の間をジグザグに走り、組み手稽古が十分にできないその代わりに、岩から岩に飛び、木に登り、急坂を駆け上り、枝から枝を渡り、飛び降りて幹を蹴り、木の枝に飛びついてよじ登る、今で言うパルクールやフリーランニングのようなことをして、複数の仮想敵に対する攻撃、捌きを練習したと言う。

そんな中3日目には同行した弟子は釣りや炊事などの家事担当のような形になり、あまりの力量の違いに組み手稽古もおぼつかなくなり、2週間目の半ばになると必要なものを補充するために一旦下山、大山倍達は二度と帰ってこないのではないかと言う思い、恐れを抱えながらの修行を続け、その翌々日の午後、弟子はなんと大山倍達の奥さんを連れて現れたと言う。

躍り上がる内心とは裏腹に、その場から返そうとすると機先を制せられ、お別れにきましたの、明後日実家に帰りますと告げられ、そうかと返し、小屋の中を案内するも、湧き上がる情愛を押さえつけ、最後に鯛の裏一帯を見下ろす風景を前に、

ずっと待っているか

えぇ、待ってます

片眉を剃る

重量上げの記録を3キロ伸ばし、どんどん伸びる麻を相手に毎日10回ずつ蹴りで飛び越え、相手にならないで私に短刀型の木刀を持たせ真剣白羽取りを開眼したりしながら、最終的には1人、自分と向き合っての山ごもり修行となり、持ち込んだ吉川英治の宮本武蔵を心の支えとし、ぐんぐん延びる麻の枝に辟易しつつその先端を刈り取りながら跳躍力を伸ばし、1人になったことを知った香山さんが月一回訪ねてくれるようになり、そこから練習メニューは――

午前4時起床、黙想10分、上り下り2時間、1時間休憩、食事、60キロのバーベル20回、腕立て伏せ20回、逆腕立て伏せ20回、平行棒をつかんでの腕立て伏せ20回、巻き藁を左右正拳で20回、これを10回ずつ繰り返し、ひとつの型を100回、重量挙げの記録に挑戦、腕立て伏せ1000回、松の木に巻いたむしろ相手にコースを20周しての仮想組み手稽古、網登り、腹筋逆腹筋200回、巻き藁、石割り、夕食、紙に書いた円を見つめて瞑想、読書、10時就寝。

便所でしゃがむのも苦にしながら、食事をとりながらうとうとしながら、ひとり食事中や練習中、

こんなおかずしかないのか

だけど食わなきゃしょうがないだろ

さあ行くぞ

ダメだ、そんなこっちゃあ

だめだね、今のは入っていない

など呟きながら、崖から松の木に飛び移るときに滑り、左膝が変形等しながらも、自らの行いの無為さに悩み、孤独感に頭がおかしくなりそうになりながらも、曹寧柱の手紙に励まされ、託された夢、片眉を剃るという助言に文字通り助けられ、2時間の釣りの時間で自らの未来を考え、あらゆる闘技者に挑戦し、打ち破ることを夢とし、食べ残しを目当てでやってくる狐を友とし、さらには小屋の周りに巻いた米や麦でスズメ、クイナ、ジョウビタキ、シオドリ、ムクドリ、山鳩、つぐみ等を集め大山村を建設笑

訪ねてきた住職から、

山に天狗がおると言うてな、麓は大騒ぎじゃよ。

しかしよく今まで頑張ったもんじゃな。

と、練習中の動きの速さ、呼気、気合いにより、村では清澄山の天狗と言う2つ名を頂戴していると知らされ、支援が滞るような事態に陥ったりもしたが、香山さんの私がなんとかする!という言葉で修行は続行。

怖いもの見たさでやってきた子供たちに空手の技を見せたりし、それがきっかけで山に薪を取りに来た大人たちなども立ち寄ってくるようになり、住職も月1度位は檀家からの貰い物を下げて顔を出してくれて、そんな動物たちや人々に支えられ、その秋、大山倍達は18ヶ月にも及ぶ山ごもりを終えたと言う。

それがもたらしたものは、正拳の一撃で木製の電柱に拳の痕を残し、止まっているスズメを気絶させて落とし、その後の牛殺し、世界制覇へと続いていくことになる。

最後に大山倍達は第3回世界大会の折、このように語っている。

孤独ほど怖いものはないよ

孤独は怖いし飢えが怖いよ

腹が減ること

今の人にそういうこと言っても通じないでしょうね

これほどまでに壮絶な山ごもりの経験を経たからこそ…ひろゆきがホリエモンが出生した後、驚くほど1人で行動しなくなった、誰かと一緒に入るようになったと語るように、その経験こそが、そのような答えに行き着いたのかもしれない。

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