“アメリカの鉄拳”チャックチズム 東孝に柳澤聡行と大激突! 世界大会で佐藤塾原田裕次、英国王者ジェフホワイブロウを圧倒するためウィリーウィリアムスと来日!
佐藤塾原田裕次を粉砕!
ブリテンの騎士と呼ばれた極真空手家、ジェフホワイブロウ。
若干18歳で英国選手権3位となり、その後準優勝、優勝と、日本の風雲児松井章圭と似た経歴を持ち、その後結果的に1度の優勝という実績をひっさげ、196センチ108キロを誇り後に俳優となり大活躍し同大会において結果的に優勝、2連覇を落とす世界王者中村誠と大激戦を演じるドルフハンスラングレンを死闘の末破るという快挙成し遂げ出場した、第二回全世界空手道選手権大会。
しかし結果的にそんなイギリスの、伝説的な空手家であるハワードコリンズを超えたといわれるジェフホワイブロウは、その期待に応えての上位入賞を果たす事は叶わなかった。
その疑問がついに氷解する時が来た。
チャックチズム。
その世界大会にてあの熊殺しウィリーウィリアムスと共に来日したアメリカの選手。
身長188センチ体重87キロ。
見上げるような上背にして、しかし無駄な贅肉や筋肉他のならないしなやかな引き締まった体を持って、彼は凄まじい猛威を振るうこととなる。
バンテージを巻き、その強烈な拳、蹴りを振るう様は、まるで黒豹のよう。
特にそのパンチの連打のスピードは特筆すべきものがあるといえるだろう。
その1回戦は日本人にして183センチ80キロを誇る22歳の2段、修行歴3年の、あの第一回世界大会優勝を果たした佐藤勝昭が育てた愛弟子原田雄次。
あの正道会館の全日本大会で、極真空手の全日本大会準優勝の実績を持つ中山猛夫相手に唯一勝った気にさせなかったという恐るべき底力を持つ男だというが、そんな難敵を延長の末に判定で退け、2回戦を不戦勝。
そして3回戦、ついに冒頭に述べた男との激突が実現することとなる。
米英最強クラスの激突。
米英最強決定戦
大きく両手を掲げ、引き下ろし気合入れるチャックチズム。
狭いスタンスのチャックチズムに対して、ジェフホワイブロウは広いスタンスで上下に飛び跳ねる。
チャックが飛び込み、ジェフが迎え撃つ。
左右の廻し蹴りをリズミカルに打ち込み、ジェフホワイブロウを場外に叩き出す。
そして最後、いきなりジェフホワイブロウ必殺の、幾人にも強豪を沈めてきた後ろ蹴り。
それを紙一重で見切り、続いての後ろ蹴りも致命傷を避ける。
しかし気になるのがその右手。
ガチガチに固められ、伸ばすことができない様から、もしや拳を痛め、骨折しているのだろうか?
ローキックと前蹴りの激突。
後回し蹴りを躱し、飛び込んできたところをいなす。
猛烈なようでいて、しかし柳のように柔らかい。
華麗なる上下の蹴りの交錯。
しかし接近戦で繰り出される左右の拳の嵐は、文字通りの暴風のよう。
ジェフの飛び前蹴りが顎をかすめるが、それも紙一重で避け、徐々にチャックチズムはその狙いを拳へと変遷させていく。
今度は逆に後ろ回し蹴りから猛烈な下突き下突き下突き!
ジェフの顔色が変わり、つい投げを放ってしまう。
ジェフも正拳突きを返すがチャックチズムの下突きの猛烈さに連打が止められ、さらに上段回し蹴り、左右の連打から膝蹴りが美しい。
ここでジェフホワイブロウが起死回生の縦回転の胴廻し回転蹴りを放つが決定だとはならず、44年も前の攻防とは思えないハイレベルな応酬。
チャックチズムが攻撃をさばきながら胸への連打、下突きに繋げ、その上下の拳のコンビネーションの末、再々延長にてついに英国チャンピオンを退けるに至った。
本大会においても屈指の名勝負といわれるこの戦い。
最終的にその勝敗を分けたものは、巌の如きその拳の破壊力の差だった。
大激闘をねぎらいウィリーウィリアムスに飲み物ふるまわれ、さらに4回戦をリビアのアルシファウに判定勝ちし、そして迎えるは入賞まであと1つという所の5回戦。
相対するは日本の人間機関車、第9回全日本大会王者、東孝。
東孝、柳澤聡行との決戦!
そこでもその敏捷性を持って飛び込むものの、しかしそこで待っていたのはその強靭な腰、講道館三段まで鍛え抜いたという強烈な投げ。
それが繰り返し決まり、チャックチズムは昏倒。
間合いをとって蹴りに出るも、東孝は頭から突っ込んでの代名詞ともいえるローキック。
パンチと膝蹴りが交錯し、またしても投げ。
さらに盛り込むところに下段廻し蹴りを合わせられ、倒れ、その揺さぶりに対応しきれず、チャックチズムの最終戦績はベスト16ということとなった。
しかしそこからまさかの約12年後。
チャックチズムはUSA大山空手VS正道空手5対5マッチの副賞として、再び檜舞台に図ることとなる。
驚くべきことにチャックチズムのは世界大会出場時点で31歳という決して若いとはいえない年齢であり、それで21歳のジェフホワイトブロウにスタミナでも圧倒し、さらにはその副将戦では驚愕の42歳。
対戦相手は180センチ80キロ、正道会館の全日本大会でよねん連続ベスト4にして、黒澤浩樹やアンディフグらと死闘を繰り広げ、佐竹雅昭朝2度の激突を果たしており、1988年に開催されたリアル空手チャンピオン決定トーナメントにおいては、決勝にてその格闘技界の第一人者の1人ともいえる佐竹雅昭を破っている、その時点では上り坂ともいえる23歳の間違いのない正道会館のエース、柳澤聡行。
チャックチズムのほうも190センチ95キロと体重が増しており、どう考えてもスタミナが気になるところだが、柳澤聡行のローキックを軽やかに躱す。
そして往年の前蹴りからの膝蹴り。
距離を取り、組みつき、瞬発力で魅せる戦法。
それ自体は素晴らしいものの、やはり短髪であり、拳も1つの区切り2、3発見せる程度。
第3ラウンドは掴みが多いということで道着を脱いでの戦いとなり、その筋骨隆々とした凄まじい体躯を見せつけ、やはりその飛び前蹴りを躱しての膝蹴り。
さらに相手の廻し蹴りを躱しての左右回し蹴り、そして左右胸のパンチからの下突き。
しかしそこまで。
その鉄拳が本当の意味で火を吹くことは最後まで、なかった。
しかし倍とまではいえない年齢差の現役バリバリのエース級の選手を相手どってのこの戦いぶり。
恐るべき、そしてその潜在能力の全てを解放した戦いを見たかった、そういわしめるべきものがあるといえるだろう。
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