谷川光vs逢坂祐一郎 69kg対110kgに世界準優勝の実績越えて超人がヒーローの如き武道の真髄、輝きを魅せる!
小よく大を制す
元は柔よく剛を制すから派生した言葉と言われ、武道における最大の難事。
そしてそれゆえに技術を伴う武道の真髄、そのように言われることが多い言葉である。
事実として柔道の世界でも、神様として知られる三船久蔵が、その柔よく剛を制す、その言葉をさらに独自の解釈で推し進め、柔よく剛を和す、その領域まで足した。
そして極真空手の世界においても、それは最も到達したい、到達すべき領域ではあるのだが、事実としてそれはすでに述べた通り、最大の難事であると言えた。
大山倍達。
極真空手の創始者にして、強さとはなんぞや、実践武道とは何なのか、それを追求し、石を砕き、裂き、牛を倒し、その角をへし折り、最後には熊とまで戦ったと言われる男。
その彼が著書について、その概念について述べている言葉がある。
曰く、
カラテは小が大を倒すところに醍醐味があり、そこに武道の真髄もある。
小よく大を制すを超えて、小が大を倒す。
この言葉の難しさについて、私は長年考えてきた。
小が大を倒す
牛若丸と呼ばれ、第5回世界大会で優勝に輝いた緑健児が、その準々決勝で対戦した"本部の怪物"七戸康博との対決では、身長165センチ体重71キロに対して、身長185センチ体重104キロと、身長差では20センチ、体重は33キロもの差があった。
七戸康弘は過去4度全日本ウェイト制重量級を制覇しており、無差別の全日本でも二度のベスト4、世界大会でもニ度ベスト8に輝いているそんな相手を破ったのはまさしく驚くべきことであり、試合内容としてもその異名通りひらりひらりと飛んで躱しての華麗なる胴廻し回転蹴り、飛び後廻し蹴りで舞い、引き分けての末の体重判定勝利をつかんだ。
体重差と言う意味ではオランダからやってきたジョン・ブルミンの1番弟子、柔道四段、空手三段でヨーロッパの選手権保持者ヤン、カレンバッハと"スモールタイガー"藤平昭雄との、身長155センチ体重60キロに対しての、ここがいくつかの説に分かれるのだが身長187センチ、95キロと110キロとも言われる戦いがある。
身長さは驚きの32センチ、体重は35キロから50キロ差と、幅があるものの凄まじいものがあるが、この差をものともせずに藤平今日はその太い丸太のような中断廻し蹴りを開いて受けて、飛びかかり、羽目板の上に押し倒し、馬乗りに襲いかかろうとたところ体格差、技術を生かされ投げ飛ばされ、同じ展開を繰り返し、30分後最終的にはカレンバッハが参ったをしたという。
これぞまさに伝説的とも言える戦いだが、実際にその最中で決着がついたと言うわけではなく、まいったと言うまで追い込んだと捉えることができるかもしれない。
では実際小が大を戦いの中で生した戦いとして、第17回全日本大会における、3回戦、堺貞夫と桑島保浩の戦いがある。
身長157センチ体重60キロに対し、身長172センチ体重85キロ、さらには桑島保浩は第16回全日本大会でベスト16、18回大会でベスト8、そして20回大会で優勝を果たす間違いのない第一戦級の選手。
身長差15センチ、体重差25キロ、その相手に堺貞夫は、円運動の極地、それによる捌き、そして鉄拳とも言えるもの凄まじい政権の破壊力を発揮し、再延長の末、判定3対0で破ると言う成し遂げている。
上段などの一発ではなく、本戦ではなく、勢いではなく、着実に積み重ねてダメージによっての勝利と言うのが大変に評価できる一戦と言えるだろう。
重量級同士の体重差と、軽量級と重量級での大重さは全く意味合いが違い、そういった意味でも、ここが戦いの中の判定で決まったと言う意味では、最高峰だと考えていた。
しかし、それをも上回る戦いというのが存在した。
トップレベルになればなるほど実力が拮抗しており、重量級同士でもその差をつける事は難しく、引き分け引き分けになるのが常であり、そんな中で軽量級でありながら重量級と差をつけると言うのは、もはや計測が不可能なほどの偉業であると言える。
しかもその相手が、日本レベル、そして世界レベルでも、まさに最強クラスであるのならば――
その試合こそが、今回紹介させていただきたい、第6回世界大会5回戦、谷川光VS逢坂祐一郎である。
世界準優勝という最強レベルの猛者
逢坂祐一郎は過去4度やはり全日本ウェイト制重量級を制しており、さらには出場した第32回、34回全日本大会では4位、5位に入賞し、いずれもその時の優勝者である塚本徳臣、鈴木国博に敗れると言う形であり、さらには世界大会も第6回から第8回まで3大会連続出場、その第7回世界大会ではやはり同じく世界王者となる岡本徹に準決勝で敗れて5位、続く第8回世界大会では破竹の勢いを見せて、やはり王者となる鈴木国博に敗れるが世界準優勝にまで登りつめている。
そこで一旦引退するが、その5年後現役復帰し、それほどのブランクがありながらいきなり無差別の全日本で準優勝と言う驚くべき実力も見せつけている。
基本的に出場した無差別の全日本以上の大会では敗れた戦いは、その大会での全日本王者、世界王者のみで、5位以上の成績、それぞれで準優勝と、誰もが疑う余地のない世界最強クラスの猛者。
そんな彼と、谷川光は、第6回世界大会5回戦で対戦した。
谷川光は身長167.5センチ、体重は69キロ、紛れもない軽量級。
対する逢坂祐一郎は身長183センチ、体重110キロ、その身長差15.5センチ、体重差――41キロ。
41キロ…それを知って、私は軽くめまいがする気がした。
25キロ差を跳ね返した体重60キロの堺貞夫も凄まじいと思ったが、体重69キロに対する41キロとは、半分をすら大きく超えるほどの差があるではないか――
そんな逢坂祐一郎は1回戦、重量級の相手を上段回し蹴りの1本勝ちで下し、3回戦、そして4回戦は自らをすら上回るような巨漢を相手にパンチと下段、そして上段回し蹴りで押しまくり、本戦での圧倒的な勝利をつかんでいる。
軽量級どうのこうのじゃなくて、やはり後の実績通り、恐ろしいまでの実力。
対する谷川光は顔面パンチなどをもらいながらも、自らを上回る相手に内に内に入り込み、真っ向からのローキック、そしてパンチにより延長により下してきた。
そんな2人の戦い。
開始と同時に間合いを詰め、しかし誘導間合いで止まり、間合いを図り、まずは逢坂祐一郎が左の下段廻し蹴りから強烈な下突きで押し込もうとするが、それを谷川光は堪え、同じく左のローキックで応戦。
さらに右の下段、逢坂祐一郎は下突きの連打。
畳み掛ける畳み掛ける巨大な圧力だが、高速で左、右に盛り込み、それを全て打ち消す。
風車戦法。
谷川光の代名詞とも言える動きだ。
最初の山場をしのぎ、間合いを図り、逢坂祐一郎の右の下突きに合わせて前に出てその威力を減らす。
インローに下突きを合わせられそうになるがズラし、膝蹴りも外し、驚異的な集中力で上段回し蹴りも流す。
再延長戦に入り、接近戦からのローキックの打ち合い、揺るがない。
そこに強烈な胸へのパンチを合わせて、ローキックをステップバックして躱して、出てくる時に前蹴りのカウンター。
さらに詰めてきたら左に回り込み、パンチも落として流し同時に体捌き。
ローキックにローキックを返し、ほぼ同時に左右の鉤突き。
前蹴りで入り、前蹴りで合わせ、前蹴りをさばいてローキックを返す。
ここまで完璧なさばき、動き、合わせをしていると言う事は、もはや考えていては間に合わない、体が反射している領域に達しているのではないだろうか?
膝蹴りに鉤突きを合わせ、パンチと膝蹴りをこらえ、懐に飛び込む。
回り込みながらローキックに突きを合わせ、中段廻し蹴りで飛び込み、胸のパンチ、膝蹴りを体をくねらせ威力を殺し、インロー足を流してさばき、左右にまわってまわってまわってまわって、パンチパンチパンチのパンチパンチミドルローにローを返し畳みかけ、鉤突き鉤突き。
再延長戦4対0、谷川光優勢勝ち。
4対0。
極真の試合においての判定では、これが非常に大きい。
3対0と言う事は、基本的には副審がニ本しかあげておらず、主審がとるか否かによって、引き分けになるかどうかが左右されてしまう。
しかし4対0と言う事は、副審が3本上げており、主審がとろうが取るまいが、勝負は喫している。
つまりはそれだけの差があると認められたと言う事。
ここに1つの答えが提示されたと言える。
体重41キロ差、というかほぼ体重の1.6倍、それほどまでの体格の差を埋めて、さらには上回り、旗を上げさせるためには、完璧な集中力による手さばき、体さばき、流し、そして常軌を逸した打たれ強さ、腰の強さ、回り込み、そして多彩な蹴りとパンチ力、それが必要とされると言うことを。
もちろん絶望的なまでのへ難易度、条件の道ではあるが、それを乗り越えることで体格差を超える、いや小が大を倒すことが可能なのだ。
そういった、常人を超えた――いや人を超えた、超人的な強さ、ヒーローの如き姿を見せつけてくれた、そういった輝かしき一戦と言えるだろう。
ちなみにだが谷川光はこの後の準々決勝戦で、第7回世界大会で優勝に輝く岡本徹を体重判定でとは言え破っている、まさしく超人だこの人…笑
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