“人間要塞”西田操一 160kgの胴廻し回転蹴り!南豪宏と極真に挑戦し岡本徹と戦った重戦士!

2024年1月16日

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西田操一

白蓮会館空手の西田操一

正直彼についての戦いの記録と言うものは、それほど多く残されているわけではない。

私もその試合を数多く見たと言うわけでは無いかもしれない。

しかしインパクトと言う意味では、格闘技界にもその爪痕を残すレベルと言えるのではないだろうか。

身長177センチにして体重が150キロ、さらには160キロとも言われていた。

格闘技をかなり長く見てきたと思われる私としても、ここまでの体重の選手と言うのは正直記憶にないレベルだ。

あの最凶巨神兵と言われて、K-1で大変な活躍を見せたセーム・シュルトも、身長224センチを誇りながら、体重は130キロにとどまっている。

そんな彼は1989年に行われた、格闘技の祭典第2回空手リアルチャンピオン決定トーナメントに出場。

第1回戦で正道会館のエース、佐竹雅昭と対戦。

このときの西田操一は、後に行われた白蓮会館の大会で体重120キロと紹介されていたように、その最盛期の体重では無いようだったが、それでも体重としては佐竹雅昭を大きく上回っているようだった。

身長としては10センチ佐竹雅昭が上、そんな中佐竹雅昭は胸へのパンチからのローキック、西田操一は下突きを返していくと言う展開。

ほとんどお互いガードをせず、打たせて打つと言う展開で、その中佐竹雅昭のローキックが効いたのか、徐々に西田操一の動きが鈍っていくも、後半は根性で盛り返し、再び打ち合いを演じ、最後は飛び後ろ回し気味の胴廻し回転蹴りを見せるなど、その巨大に見合わない器用さも披露し、その大会を終えた。

そして1992年、白蓮会館にて開催された第8回全日本大会に出場し、無差別級で3位に入賞、さらに2年後の第10回全日本大会重量級の部で優勝を果たす。

“撃墜王"宮野孝裕との激突

さらに翌年の第11回大会でも決勝まで進出し、そこで後に極真の第15回全日本ウェイト制、及び体重別の世界大会である第2回カラテワールドカップで他流派として初の王者として制する、宮野孝裕と激突。

この時点でも宮野孝裕は94年の白蓮会館全日本軽中量級準優勝、同年の拳武道全日本軽中量量級で優勝を果たしており、体重は下ながら、その圧倒的な実力は既に多くの期待を寄せられていたようだ。

対する西田操一はその時点で、10回の優勝に加えて、前年の券武会及びミラージュカップ優勝とそうそうたる戦績を並べていた。

その時のナレーションでは体重120キロと言う話、開始と同時に気合いとともに突進してくる宮野孝裕の突きをその体で受け、飛び膝蹴りを跳ね返す。

果たして戦いは壮絶な打ち合い、パンチと膝蹴りのみの戦いとなる。

驚くべきは、これだけの体格差があれば、手数VSパワーの戦いになりそうなものが、しっかりと宮野孝裕のペースについていき、実に腰が入ったシャープな膝蹴りを返している点にあるだろう。

これだけの圧力にさらされながら、1歩も引かない宮野孝裕の気合い、そして足腰も見事の一言。

試合は延長戦に突入、やはり真っ向からの打ち合いとなり、一切避けることもガードすることもしない西田操一は、余裕なのか笑顔を浮かべ、相手にもたれかかり、体を躱されたと思ったその瞬間、まさかの胴廻し回転蹴りを放った。

衝撃だった、この巨体が、宙に舞った。

しかも狙いは正確で、確実に宮野孝裕のこめかみを狙っていた。

そこで勢いを得て、パンチから、膝蹴りのラッシュ。

再々延長先、お互い上の道着を脱いでの戦い、パンチや膝蹴りがダイレクトに腹に当たるから、ダメージはさらに増すだろう。

膝蹴りの最中、放たれた壱発の西田操一の下突き、それに宮野孝裕の動きが鈍る。

それに気づいたのが、さらに追撃の鉤突き。

肝臓を捉え、宮野孝裕の動きが止まる。

そこを狙って下突き、膝蹴りをたたみかけてここで宮野孝裕が少し下がり、距離を開ける。

しかしこの人、すごいな、もうほんとに一切ガードしない…。

これにより西田操一は重量級を2連覇、翌年はあの白蓮会館の絶対的覇者とも言える南豪宏に決勝にて土をつけられたようだったが、さらにその翌年の第13回大会では再び優勝。

都合三度の全日本重量級の覇者となる。

そして西田操一は、1997年12月20、21日に行われた極真の第29回全日本大会にも出場。

極真第29回全日本への挑戦

1回戦で岐阜の大江選手を相手に、廻し蹴りを食らいながらも突進、ものすごい重たい左右の胸への突きから下突きを放ち、寄せ付けずに勝利。

そして2回戦ではとんでもない対決が実現。

後の第8回世界大会において、あの全日本大会を3度制し、その世界大会に於いて優勝を果たす"不動王"と呼ばれていた豪拳鈴木国博を、まさかのそのパンチの打ち合いで圧倒し、一方的に追い込むことになる、マラデン・ぺキックと対戦。

超重量級同士、超ハードパンチャー同士の戦いは、大会が新関するど迫力のものになったと想像するに難くないが、それを再延長3対0で下して、3回戦に進出すると言う快挙を成す。

3回戦では大阪北の安藤選手を相手に、その前蹴り、後ろ回し蹴りを顔面に受けても微動だにせずに、冷静に足払いを決め、4回戦に進出。

ついにここまで来た。

対戦相手は4年連続で全日本大会ベスト4に入った確かな実力を持ち、この後に行われた第30回全日本大会及び第7回世界大会で優勝を果たす、岡本徹。

足払いの達人として知られ、その抜群の安定感、崩しの技術には定評があり、あの"空手革命児"塚本徳臣と対戦しても、決して崩されることも1本を取られることもなく、常に再延長や最終延長まで持ち込む、まさに極真第1戦級の実力を持つ男だった。

それを相手に西田操一は真っ向から立ち向かい、中段廻し蹴りを浴びても、ローキックをたたきこまれても膝蹴りを返し、パンチの連打やハイキックにもひるむことはなかったが、やはり手数、たくみさんに完封されることになったのだろうか、延長3対0で破れている。

全日本大会入賞のベスト8まで、あと1歩のところだった。

その後は所属フリーとなり、PRIDEやDEEPなどの総合格闘技や、キックボクシングの試合にも出場の場を広げたと言う話だ。

そのあまりの巨大な体、まるで相手の攻撃を意味介さない打たれ強さ、重たい下突き。

まさしく対戦相手にとっては、要塞のような威容、絶望感を彷仏とさせていたのかもしれない。

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