第9話「仮初の日常①」
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本編
桐峰筋(きりみねすじ)。
早瀬市(はやせし)の中心地に位置する繁華街のここは、市内でも一際都会然とした雰囲気を漂わせている。
ここは大学生の遊び場であり、夜の街であり、大人の憩いの場でもある。
道路に面した店は全て飲み屋か、カラオケやボーリング場などの遊戯施設か、ちょっと中世ヨーロッパのお城を思わせるフォルムを持つホテルばかり。
一歩路地を中に入ると更に危ない店もあるという話だが、僕は今のところそこまで踏み込んだことがないのでわからない。
時刻は夜の七時過ぎ。
さらに土曜日、ということもあいまって、辺りはかなりの賑わいを見せている。
スーツを着崩したサラリーマンが肩を組んで真っ赤な顔で往年のブルースを熱唱していたり、モデル雑誌から抜け出してきたような世間一般のイメージどおりの大学生らしき男女の集団がわいわい騒ぎながら次のステージを求めて闊歩している。
そんな街の一角に、僕らはいた。
僕らは二人とも、大学の入学式の時と着たものと同じスーツに身を包んでいた。
ある飲み屋の前の歩道で二人、向き合って立っている。
僕のジャケットは紺色で、白のシャツに青のストライプのネクタイを締めている。
どこかブレザーのような印象を受けるそれを、僕はかなり気に入っていた。基本的に原色でシンプルなものが好きなのだ。
髪も今日はワックスを使ってそれなりにまとめてきたつもりだ。そんなに短いわけでもなければ、長すぎる印象を与えない、そういう髪型。特にかっちり固めるわけではない、けれどだらしなくないそういう髪型。
ネクタイにもタイピンをつけている。革靴は専用のもので磨いてきた。落ち度は無いはずだ。
何しろ、今日は勝負の日なのだから。
目の前に立つ美香(みか)ちゃんを見る。
少し背の低い、ショートカットの黒髪の彼女は、今日はグレーのスーツを着込んで少し大人びて見えた。
いつものような場を和ませる柔らかい笑顔もなりを潜め、表情は堅く強張っている。
――嫌な想像が、頭をよぎる。
きっと、もう心の中では言い訳を考えているんじゃないかとか、本当はあんな顔してるけど心の中じゃ『面倒くさいな、この人。いつまでも先輩面利かせて』とか考えてるんじゃないかとか、そういう次々に溢れてくる弱音や後ろ向きな発想を全力で押さえ込む。
落ち着け。
まだ何も始まってないし、何もやってないんだ。
その前にそういうネガティブシンキングを行うはやめろ……脳の中だけでかぶりを振って、現実の表情は何とか笑顔を保った。
自分でもわかるくらい頬が引くついた、強張った下手くそな笑顔だったが。
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