“中間距離の天才”八尋康成 闘う藤井聡太!?伝統派の閃きが相手を切り裂く!

2024年4月9日

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オーストラリアの伝統派出身

現在ネット上で検索しても詳細な情報は得る事は叶わないようだがその組み手、スタイルから窺い知れるように、八尋康成はどうやら新極真会に入る以前には他流派に所属していた頃もあり、そこでの実績もかなりのものだったと言う話も聞かれている。

そんな彼は2005年に大阪府立体育館で行われた第3回カラテワールドカップエントリーしているが、組み合わせ上オーストラリア出身と言うことも相まってか、1回戦からヨーロッパ最強にして優勝候補ナンバーワンと言われた、事実として歴代の軽量級の中でも無差別でも通用すると言われるディミターGポポフとあたり、そこで敗れ残念ながら映像として残されることなく、その大会を終えている。

そして翌年2006年4月16日に行われた第11回関東大会の軽量級で準優勝に輝いている。

そして-本当に通常だったらまずありえないことで、そしてさらにはその関東大会で決勝まで勝ち上がっていると言うことまで含めたらもはや考えられないと言って間違いのないレベルの話なのだが-その、本当にわずか1ヵ後、大阪府立体育館にて2006年5月20日、21日に開催された第23回全日本ウェイト制空手道選手権大会において、皆の度肝を抜く破竹の快進撃を見せつけた。

実際のところ私が彼の戦いを見たのがこの大会が初めてで、そしてきちんと評価できるレベルで見ることができたのも、これが最後となってしまった。

4回戦、対戦することになったのは、福岡のホープ、山野翔平。

彼はその時まさに伸び盛りで急成長を見せており、その後の第25回全日本ウェイト制では優勝、27回、28回では準優勝、さらには無差別の第40回全日本大会ではベスト8、第4回の世界体重別の大会であるカラテワールドカップで4位に入ったほどの、まさに軽量級の輝ける星と言えるほどの実力者だった。

この試合山野翔平が圧勝し、そのまま優勝して、彼の時代がやってくるかもしれない、そんな予想も全然あり得ると考えていた位だった。

それは事実として、翌々年から訪れることになったのだから、私の見方は間違っていなかったと言うことになった。

大きく見誤っていたのは、そのオーストラリアからやってきた、個人的に現代の将棋会でブームを巻き起こしている最年少二冠藤井聡太に見た目似てるなぁと思える、そんな彼の存在だった。

試合は山野翔平がいつもの通り、絶妙な距離感で蹴りを放ち、パンチにつなげて、ペースを取ろうとしているように見えた。

それに対して八尋康成は、強烈なパンチを打ちながらステップワークで距離をとり、そしてオーソドックスから、いつの間にかステップのうちにサウスポーへとスイッチして-

一瞬だった。

顔面骨折の掛け蹴り

山野翔平が、倒れた。

そして起き上がろうとするが、しかし諦めたようにまた倒れ伏して、そして二度と立ち上がろうとしなかった。

信じられないものを見た。

テレビの解説ではかかと落としと言っているが、私としてはどちらかと言うと掛け蹴りに近いと思った。

しかも瞬間的に直前にステップからのスイッチをして、モーションを減らし、見えづらくしての、一撃。

山野翔平はほとんど反応すらできず、なんと顔面の骨を骨折してしまったと言うから気の毒な話だ。

なんだこの男は?

こんな異質な動きは、私は見たことがなかった。

そして試合は準々決勝へ。

相対する岩原弘和は、なんと前年度の第10回関東大会において、無差別級の準優勝と言う強者だった。

確かに八尋康成も今年度の関東大会において準優勝を果たしているが、それはあくまで軽量級の話。

軽量級と無差別級では正直言ってその激戦ぶりは比較にすらならないし、同じ準優勝と言うことから考えても、実績と言うことを考えるのならばはっきりはるかに格上の相手と言えた。

やはりというか戦前の予想は、はっきりと岩原有利というか、岩原が優勝候補といっても間違いない扱われようだった。

度肝を抜かれた。

八尋康成は、世間の予想とまるで逆に、岩原をほとんど格下扱いに翻弄していた。

離れた間合いから常にとびはね、壱発を狙い、そしてそれを確実に当ててきて、しかも近づいても強烈なパンチ、重いローキックで、相手に全く自分の組み手をさせない。

特に延長にて放たれた掛け蹴りは、会場中に聞こえるほどの炸裂音を響かせるほどだった。

オーストラリアで続くその系譜

準決勝は第3回空手ワールドカップ軽量級の部準優勝、さらには第4回カラテマワールドカップでもベストエ8、ロシアでも輝かしい実績を持つヴァシリ・クディアコフの圧倒的な頑健さとパワーによって押し切られてしまったが、3位決定戦はやはり華麗なステップワークと重いローキックより完勝している。

その後第9回世界大会、さらには第4回空手ワールドカップまで出場を果たしているが、第9回世界大会では極真史上最強の軽量級として知られる、人間風車谷川光2回戦で当たってしまい、再延長まで粘るがその牙城を突き崩せずに敗れ、第4回カラテワールドカップも上好までの入賞は果たすことができなかったようだ。

その後選手を引退し、オーストラリアのナショナルチームのコーチを歴任し、オーストラリアの支部長を務めていると言う話だ。

日本の支部長などが訪れた際も、皆が快く楽しく気持ちよく過ごせるように配慮していると言うことから、その人柄も伺い知れるのではないだろうか。

組み合わせや時代の流れから長く、皆に知られる形で表舞台に立つ事は出来なかったが、我が師をして中間距離の天才と言わしめた、その凄まじい間合いの空間把握能力とナイフで切るような蹴りを、私は忘れることができない。

中間距離の天才、八尋康成。

そのオーストラリアでの末長い活躍を、私は心より期待させていただく。

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