空手と灰色熊の極限越えた死闘! アントニオ猪木の異種格闘技戦を繰り広げた怪人ウィリーウィリアムス!
ストリートファイター
ウィリーウィリアムス。
熊殺しとして、極真史上最強として、そのあまりにも人知を超えた拳のスピード、にもかかわらず常人をはるかに上回る巨人の如き体躯、骨格、筋力から放たれる、それを掛け算した結果生み出される想像絶する破壊力、それらの私は第2回世界大会、つまりは彼が全盛期を迎えた舞台を中心にお話をさせていただいた。
そして今回はそのウィリーウィリアムス、全盛期ではこそなかったかもしれないが、そこにまで至る歴史、さらにはその後の戦歴、それを皆様にお話ししていこうと考えている。
ウィリーウィリアムスは本人の話によると、空手を始める前にはストリートファイトをメニーメニータイムス、オールタイム、エブリデイないと、つもりは四六時中昼夜問わず路上での喧嘩に明け暮れていたという。
それが極真空手を始め、大山茂との出会いにより、相手を尊敬しあい、思いやることを学び、自らの拳、蹴りの破壊力を知り、コントロールすることができるようになったと語る。
極真や大山茂に合わなかったら本当に人を殺していたかもしれないと考えますと恐ろしいです、というその言葉自体が全く以て恐ろしいと思えるが――
そんな彼は24歳の時、1975年11月1日から2日にかけて行われた第一回世界大会に出場するため、大鷲チャールズマーチン、飛び後ろ回し蹴りの租ウィリアムオリバーらとともに来日。
その際紹介された映像は、まさしく我々の度肝を抜く抜くものだったといって間違いないだろう。
滝を背に基本中の基本である型、三戦を披露するその姿は、逆光も相まって全体像がはっきりと見て取れず、しかし同時はその193センチにも及ぶという肉体にもかかわらず、無駄な贅肉が全くついていない、磨き上げられた彫像のような肉体は、それが動き出すことに違和感や、どこか美しさすら覚えるような光景であった。
特に背中の筋肉は、範馬刃牙のオーガと呼ばれる範馬勇次郎のそれを彷仏させるものがあった。
山奥で大木を相手に突き蹴り、手刀、頭突きをすら繰り出す様は、もはや人間を超えている感すらある。
さらにはそのウィリーと、アメリカの大将格であるチャールズマーチンの組み手が披露され、下段廻し蹴りを知らされていなかったにもかかわらず、飛び込んでの正拳突きがものすごく、お互い190を超える巨大にもかかわらず俊敏にしてスタミナが尽きることを知らず、この2人に穴なんてあるのかと思わされるものだった。
第一回世界大会
第1回戦、西ドイルのアクセル・ルワンドスキーを相手に、左中段廻し蹴り三発喰らいながら伸びる右正拳突きを返す。
さらに廻し蹴りをもらいながらも、左上段回し蹴りはやはり伸びる。
さらに連発の一発が顔面を捉え、ごり押しのパンチだけでなく回し蹴りの蹴り合いでも五分以上にもっていく。
というかむしろ中間距離を中心とした、的確な組み立てといえるだろ。
2回戦のラーサンは頭突きや金的蹴りなどの反則を重ねたといい、その減点により3回戦に進出。
そこで相対するのは日本の本部で修行し、全日本大会準優勝に輝き、100人組手も完遂している外国人の中でも最有力候補の1人である、イギリスのハワードコリンズ。
開始早々から中段回し蹴りと飛び出すが、ハワードコリンズの下段後回し蹴りという妙技により早速転ばされてしまう。
コリンズの下段、それにウィリーも見よう見まねなのか背足による下段回し蹴りを返し、そう考えれば目を見張るような対応能力といえるが、さらに突き、膝蹴りで追い込み、まるで豹のようにマット上を跳ね回る。
ワンツーからの中段廻し蹴りで攻めかかり、ハワードコリンズの回し蹴りは体で跳ね返し、前に前に圧力をかけていく。
下段回し蹴りを飛び跳ねて躱し、一瞬の飛び込みで相手を効かせるチャールズマーチンとはまた一線を画した戦い方だ。
戦いの行方は延長2回にもつれ、体重差と試割り枚数によってウィリーよりもコリンズが4kg軽く、試し割り判定では5枚多いということを以て敗れ去ることになったが、非常に強いインパクトを世界に残すことになった。
その後第二回世界大会においても想像絶するような暴れっぷりを見せた後、ウィリーウィリアムスはアントニオ猪木と対戦。
グローブをつけて練習に励む様を見ると、最初の異種格闘技戦ともいえる大山空手VSムエタイの3対3マッチ、そしてその後のK-1でのフィリオらの戦いぶり、それらの系譜を思ってしまうのは私だけだろうか。
特に頭を下げて半身になりながら体を揺らし君にパンチを放つその姿は、どことなくモハメドアリや、トーマスハンズを連想させるものがあるように思われる、さすがの黒人のバネか。
腕ひしぎ十字固めや猪木アリ状態の対策をしている彼を見ると、時代が違えばミルコやノゲイラ、ヒョードルなど、プライドで凄まじい時代を築いたりしたのだろうか――
1980年2月27日、蔵前国技館で格闘技世界ヘビー級選手権試合としてウィリーウィリアムスはリングに上がり、限り、後ろ回し蹴りなどの、アントニオ猪木のドロップキックに負けない派手な技を披露し、場外乱闘などもこなし、格闘技界のみならず日本を大いに盛り上げた。
そしてウィリーはといえばで何といっても代名詞になっているのが、その熊殺しだろう。
その映像の中ではモハメドアリは偉大だが3分以内にノックアウトしてみせると語っているが、実際のところ本人の話によると、
あの頃は自分の力も1番強力な時だったと思います。
ですから、人間が相手であれは誰が来ようと全く問題ありません。
本当にイージーでありましたけれども、さすがに熊と戦った時は、
熊殺し
お、おい、ちょっと待てよ、と初めて気持ちが引くことを体験しました笑
熊と闘いまして、初めて用心するということを覚えることができました
と語っている、いやまぁそりゃそうだろう笑
実際のところその関係者、道場でもその身を慮って大変な議論が交わされたというが、結果的には先にお話ししたアントニオ猪木との戦いにつなげるために、その身を投じることになったという。
その全長は2メートル45センチ、体重は320キロを超えるといい、単純計算で身長差50センチ、体重差220キロ以上、考えるのがばかばかしくなるものであり、それ以上に野生の獣と霊長類である人間の戦闘力というのは、例えば一般の人間であれば犬や猫に――いやー説によれば相手が野生のものであるならば、空手家であってすら勝つ事は容易ではないという話だ。
試合に出たものであるならばわかると思うが、対戦相手が同体重の人間であってですら、戦う前は怖い、恐ろしい、逃げ出したいという思いに駆られることがある。
それを、ウィリアムスはおい、ちょっと待てよね立ち向かっていけるのは、やはり24時間昼夜問わず365日戦っていたという、その戦うために生まれたようら常人では考え難い、到達できない精神によるものなのだろうか。
銃を持ったハンター達の逃げ惑う中、駆け回るクマに向かって最後の防具ともいえる道着の上着すら脱ぎ捨て、躊躇なく駆け寄るウィリー、いや正直頭おかしいすわ…
だって獣だよ、何が起こるかわからないんだよ?
気合とともに回り込み、躊躇なく胸の正拳突き、まじか、それで逆上して、殴りかかってきたら首やっちゃうんじゃないか?
さらに押すような蹴りから突き、した時、正拳突き正拳突き、回し蹴りを挟んで突きまくり、突き離そうとするがのしかかられ、怖い怖い怖い怖い、そのまま倒された320キロで潰されてしまうし、噛みつかれたらどうかしてしまうだろう!?
倒れ、離れ、首にしがみつく。
さすがにやり過ぎじゃないかと思ったらやっぱり振り回されて、人間なんか100キロあってもまるでペットボトル振り回すみたいに地面に叩きつけられ、覆いかぶさられる。
ウィリーのパンチが効いたかどうかとかそういうことよりも、245センチ320キロの熊とこうやって押し問答できてる時点で常識を超えた体感、腰の強さ、腕力脚力といえるだろう。
人間というものの可能性を極限まで突き詰めて体現した男、動くアポロン像のような、正しく戦うために生まれた男ということもできるかもしれない。
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