3月のライオン 魂の虚空と慟哭! 将棋と温かな交流が人生を再生していく
無価値を受け入れる主人公
この漫画を読もうと思ったきっかけは、私自身が前作である『ハチミツとクローバー』が大好きだからだ。
前作は青春もので何十回読み返したかわからない。
だから次回作もどんな形であろうと必ず手に取ろうと決めていた。
しかし第1話を読んだとき、それがこれまで読んだあらゆる漫画と一線を画するものだと直感した。
この漫画は冒頭の1コマ目が、主人公の無価値さを徹底的に糾弾するので、そして主人公がそれを受け入れてしまうところから始まる。
そしてこの主人公は史上5人めの中学生棋士で、それは現在将棋会を席巻している藤井聡太が出現する前のことで、しかしこの主人公はプロになったことで満足しまい停滞してしまっているので、藤井聡太が二冠を手にしてしまったことで結果的に現実がフィクションを追い越す形になってしまってはいる。
このマンガで描かれているのは、どこまでも生きるということのその難しさと、それと相反するような魂の慟哭だ。
引きちぎられるように終わった日常と、将棋の神様との嘘
ある日まるで引きちぎられるように、主人公の桐山零は交通事故によってその家族の全員を、失う。
自分の身元引受人となる親族は、父親が継ぐ予定だった病院の引継ぎや遺産争いに終始していて、桐山零は施設に預けると決定している。
これから先、桐山零には一瞬たりとも心落ち着ける場所は無いことを知る。
その時に、父親の友人であるプロ棋士から、君は将棋が好きかという問いかけを受ける。
そこで、彼は嘘をつく。
引き裂かれるような切なさ、狂おしさ、どうしようもなさ
そこから、彼は将棋の子供たちと共に暮らすことになり、そして彼の才能ゆえに子供たちは少しずつおかしくなっていき、そして家庭は崩壊していく。
一生懸命努力すればするほど、そして家庭に尽くせば尽くすほど、いい子になればなるほど、子供たちは居場所を失い、親たちはなす術を失っていく。
そして最終的に彼は独立することを選び、中学生プロになって、そして家を出る。
そんな自分を、彼は他人の卵を押しのけて、割って、殺して、そして他人の親鳥から餌を受け取るカッコウだと思う。
胸が引き裂かれるような想い。
自分を引き受けてくれた義父への感謝、そして家族を崩壊させてしまったことに対する申し訳なさ、自己肯定の低さ、それでも――生きるためには、どんな時でも勝負の際には、どうしようもなく生きる方に向かってしまう自分を、持て余す。
これは、現代という世界の生き辛さ、真面目な人間ほど馬鹿を見るという矛盾、その上でただ当たり前に生きるとはどういうことか、という問いを読む者に突きつけ、そして作者自身も思い悩んでいるように私は思われてならない。
結果的に彼は独立した先で、先輩との付き合いで飲み潰されていた時に鉢合わせた河本さん姉妹と交流を持つことによって、自分がロボットではなく――そして自分によって救われる人間もいるのだと言うことを知る。
成長ではなく、人としての再生
そして彼の担任のおせっかいなまでの気遣い、棋士たちの交流、そういったものによって人生や世の中というものに、折り合いをつける術を身につけていく。
しかしその中で、助けてくれた河本さん姉妹のもとに離婚した父親が現れてその仲をメチャクチャにしようとするのを身を挺して救おうとしたり、ただ生きるためにやっていたはずの将棋がそのために自分のすべてを投げ捨てて誇りやプライドや自分そのものをぶつけて戦っている先輩棋士の島田開や自称ライバルの二階堂晴信との交流によって、その意味合いや向き合い方が変わっていったりする。
これを成長と一言で片付けるのはたやすい。
だが、彼は思い悩む。
知らなければ、それが寒いと、寂しいと気づかなかったのにと。
9×9の81マスで戦う将棋よりも、人生や世の中と言うものははるかに複雑だ。
しかし、9×9で戦う将棋は、全宇宙の原子の総数が10の80乗を遥かに凌ぐ10の220乗もの可能性を秘めていると言う。
この作者は、そしてこの作品は、安易な答えというものを模索していないように見受けられる。
だから未だに、この作品が向かう先が視えてこない。
そして私は、それがとても心地よく、そして無機質で無感情で自分に価値を見出せなかった主人公が、その胸の奥に熱いものを秘めていくところが、私にはとても嬉しく、自分にも火がつくような錯覚を覚えている。
藤井聡太が前人未到を連続で打ち出している現在、将棋や将棋会と言うものを知るきっかけにも良いだろうし、これを機に人生と言うものを考えるきっかけにもなると思う。
それに今回はシリアスなところばかり抜き出してしまったが、その本質は柔らかく暖かく、ギャグやコメディアな日常もたっぷり詰まっているので、気軽な気持ちで読む欲も十二分に満たしてくれるだろう。
ほんの少し何かに行き詰まっていたら、手に取りたい作品だ。
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