第96話「残心」

2020年10月7日

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目次

本編

 それを聞いて隼人がサーブを打って、僕がレシーブして、彼女がトスで上げて、それに合わせてネット際に走りこんだ僕が跳び込んだところに、

「――お前のアタックなんぞ、ブロックしてくれる!」

 すっかりその気になった神龍が、僕のアタックのブロックに来た。
 両手を万歳のように伸ばし、壁の如く跳び塞がる。
 顔には余裕の笑みが張り付いている。

 僕も笑みを浮かべた。

 自分が切り替わるのがわかる。
 口元だけを吊り上げる、攻撃的な凶暴な、獣じみた笑い。
 こんな笑い方、普段僕はしない。
 する時は、限定された条件下だけだ。

 拳を握り締める。
 手を握るのではない。
 拳を、握り締め、作り込むのだ。

 ただ指を閉じるのではない。
 小指側から順に折り畳んでいき、親指で堅く締める。
 第二関節が拳より前に出ないように、埋め込む。
 それを弓矢のように脇の下で引き絞り、腰、脇、肩、肘の順に一気に開放。

 それを目の前のバレーボールに、叩き込む。
 狙いは神龍の左頬へ。
 もっと簡単に言うと僕は――

 神龍の"顔面"めがけて、バレーボールを思い切り"グー"で、ブン殴ってやったのだ。

 バレーなら丸っきりの素人だが、殴ることならキャリア十四年、白柳空手三段の師範代にして、煉仁会空手全日本大会三位の、いわゆるプロだ。
 岩のように硬くなった拳が、柔らかいバレーボールの表面に食い込み、めり込み、入り込み、突き抜ける一歩手前で、そこまで溜め込まれた張力が一気に反発し、爆発し、まるで弾丸のような勢いで、目の前で笑ってる神龍の頬に食い込み、めり込み、入り込み、突き抜ける一歩手前で吹き飛ばす様を、僕はじっと眺めていた。

 その時の神龍は、何かをやり遂げたような満足げな顔をしていた。
 ……ような気がする。

 唸りを伴って神龍の頬に着弾したバレーボールはその余波で顔全体の皮を波立たせ、そのまま体を十メートル近く吹き飛ばし、やばめな角度で頭から地面に接して、ゴロゴロと凄い勢いで六回転して、最後に顔面を砂の上に痛打して、止まった。
 そして、うつ伏せに倒れる神龍の顔の周辺にはゆっくりと血の海が出来ていった。

 僕は、空手で一本勝ちしたあとに行う動作――片手を掌の形で前に出し、片手で拳を突く――残心(ざんしん)を行った。
 安らかに、眠れ。


「あっはっはっはっは! いやー、悪い悪い!」

 鼻に紙を詰めて神龍が大笑いしている。
 せっかく介錯してやったというのに、タフなやつだ。

 今僕たちは、照ヶ崎海岸の海の家、『まんてんのほし』に来ている。
 砂浜を東に歩いて十分のところにある防波堤の傍の、一段上がったところにある建物だ。

 剥き出しの木の柱が八本打ちつけられ、地面から三十センチくらい上がったところでベニヤ板が張られ、その上にござが敷かれている。
 屋根の部分にはビニールシートが張られている。実に簡素なつくりだ。

 遮るもののない潮風が、全身の汗を乾かしていく。
 海の傍だと本当にクーラーいらずだと思った。
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