沢村忠vsサマンソーアディソン “キックの鬼”で一世風靡の最初、ルンピニースタジアム神の階級フェザーのランカーという高い壁に真空飛び膝蹴りで挑んだ歴史の転換点!
キックの鬼
沢村忠。
キック黎明期である1960年代から70年代に活躍し、キックボクシングというものを日本に知らしめ、広め、プロ野球の王貞治を抑えての日本プロスポーツ大賞獲得、まさしく日本のヒーローとなったキックボクサーである。
日本のお茶の間で、真空飛び膝蹴りのKOによりあらゆる世代の心を鷲掴みにし、その活躍は漫画となりアニメとなり、社会現象を巻き起こした。
そんな彼は241戦232勝228KO5敗4分けとも、一説には500戦以上をこなしたともいわれ、まさに空前絶後ともいえる戦績を誇るといえるどろう。
そんな数多ある戦いの中で、1つのキーポイントになったといわれているのが、空手からキックボクシングに転向してからの2戦目、1966年6月21日に渋谷のリキ・スポーツパレスで行われたといわれるサマンソーアディソン戦である。
サマン・ソー・アディソン。
ルンピニースタジアムフェザー級8位。
ムエタイに対して造詣が深い方ならばご存知だと思うが、小柄なタイ人の中にあっては数多ある階級の中で、そのフェザー級を含む軽量級と神の階級と呼ばれており、多国に侵されるなどという事はまずありえない、まさに不可侵の領域といえる。
そもそもがラジャダムナンスタジアムで日本人が外国人として初タイトルを取るのが1978年のことで、その次が18年後の1996年、ルンピニースタジアムに至ってはフランスのキックボクサーのムラッドサリがチャンピオンとなるのはさらにその3年後の1999年といわれており、その戦いは体重超過により直前で対戦相手が変更等されているという話もあるらしいのだか…
そんなそもそもが外人が割り込むことができないムエタイの世界の中で、その中でもトップ中のトップがひしめき合う二大殿堂、さらには1999年に至るまで不可侵を貫いたルンピニーの、神の階級のランカーという、文字通り誇張なしのまさに神が遣わせし戦士。
転向2戦目ということを加味しなくても、あまりにもあまりにもあまりにも高い壁といえる相手。
空手vsムエタイと銘打たれた高戦いで、果たして沢村忠はどのような戦いを繰り広げ、そしてサマンソーアディソンはどのような神技を見せつけたのか。
沢村忠は神輿に担ぎ上げられ、鉢巻を巻き、そして空手着をまとってあぐらをかいた状態で観客の前に姿を現した。
サマンソーアディソンも同じく神輿に担ぎ上げられ、タイ国フェザー級8位と、そのサマンソーアディソンというリングネームがタイ語で偉大なる矢の束という意味だと紹介されていた。
まずはサマンがワイクルー、握手、抱擁、試合開始。
ルンピニースタジアムフェザー級8位
サマンが飛び出し、まずは左ハイキック。
続いて右のミドル。
ムエタイの定石通りのまずは挨拶といったところだろうか。
そして左ミドルキック、左ミドル、腕狙い。
それに沢村忠の飛び横蹴り、この時からその後の活躍の片鱗が見えるといえるだろう。
サマンの右ハイキックに、沢村忠の右中段横蹴り。
ムエタイVS空手という構図が浮き彫りになる攻防。
サマンの伸び上がるような右のハイキック、美しい、さらに左のミドルハイを沢村忠屈んで回避、追撃の後ろ廻し蹴り。
一切無駄な力の入っていないしなやかな蹴り。
沢村忠の前蹴り、単発の沢村忠に対して、サマンはまるで扇風機のように右左に廻し蹴りを連発する。
沢村忠、ここで初めて右の上段廻し蹴り。
それにサマンは右ミドルからの首相撲、膝蹴り、そして引き崩す。
これは初体験の相手にはたまらない連続攻撃だといえるだろう。
しかしそれに対しても沢村忠は飛び前蹴りで対抗。
沢村忠の左上段回し蹴りに対して、サマンは右ストレート、初めてに近い手技、そう考えるとここまで足技だけで構成されているというのは驚くべきことといえるだろう。
右ミドルで腕が流れる、やはりやや効いてきているのだろうか。
この辺から伝家の宝刀スイッチしての左ミドルの連打が見られるようになる。
それに沢村忠、この試合初の右の下段廻し蹴り。
さらにお互いのローキックが交錯し、サマンの右ハイキックが顔面を捉えるようになり、ここで第一ラウンド終了。
わずか3分間でこれだけの攻防が行われたというのに私は若干の驚きを覚えていた。
2分間のインターバルを挟んで第二ラウンド。
運命の四ラウンド
サマンはやはりギアを上げてきているように見受けられた。
左ミドル左ミドル左ミドル右ストレート。
パンチを躱わして左右ミドル、右ミドル、その右ミドルが、やはり効果を発揮しているように見受けられた。
それに沢村忠も左右回し蹴りで対抗、しかしサマンの左ミドル4連打、ロープまで貼付になる!
沢村忠左中段廻し蹴りの連打を返すが、右ストレートが顔面を捉え、戦いは第3ラウンドへ。
ここから中段廻し蹴りを掴まれてころばされる展開が続き、ハイキック、右ストレート、膝蹴りと、非常に力強く叩き込まれてしまう。
ムエタイは3ラウンド4ラウンドが勝負といわれているから、文字通りの正念場といえるだろう。
右のローキックを掴まれたの右ストレートでロープまで吹き飛ばされ、飛び込んでのハイキックがついにその顔面を捉え、沢村忠が1回転してしまう。
ここを好機と見たかサマンは間合いを詰め、しかし沢村忠も中段廻し蹴りで追い返す。
サマンの右ミドルが強烈でどてっ腹を捉え、ハイキックをくらったら顔が吹き飛びそうな勢い。
右中段廻し蹴りを捕まえられての右ストレートでダウン。
もはや右のミドルを堪える力がなく、そんな中でも沢村忠が右の前蹴りで顎を跳ね上げたりするが、そこから勢いをつけた投げを食ってしまいマットを転がる。
ロープ際で首相撲からの膝地獄、さらに右フック、非常に厳しい戦いとなってきたところで第4ラウンドへ。
サマンの右ハイキックは本当に華麗で、外れた足がロープの外に行ってしまうほど。
サマンの左ミドルキック4連打、さらに右のミドルキックでロープとサンドイッチ!
沢村忠の前蹴りは有効だが、後が続かず、サマンの強靭な脛を使った廻し蹴りをさばき切ることが叶わず、右ストレートからの膝3連打で崩れ落ちる。
飛び上がるもの凄まじい膝、しかしそれを喰らいながらも沢村忠は投げを打つ。
首相撲からの膝が止まらず、それに沢村忠は飛び蹴り、ここまで追い詰められると出るのは自分が信じる得意技、それだけなのかもしれない。
しかしサマンの左ミドルが脇腹に直撃してそれで体がくの字に曲がる。
次のサマンの右ストレートで、沢村忠はマットに崩れ落ちた。
そしてその最後は――
しかしこれからキックボクシングも日本に根を下ろし、栄えていくことでありましょう
と締めくくられた。
16度とも19度ともいわれるダウンでも屈することなく立ち向かい続け、前蹴り、投げ、飛び蹴りを放ち続け、自らの輝きを信じ、そしてマット中央で倒れ伏し、動けなくなるまで戦い抜いた、その突進、技術が後に彼の隆盛の礎なったといえる。
そしてサマンもまた、その異次元ともいえるテクニック、スピード、強さを見せつけ、沢村忠に本場を教えた、まさに日本におけるキックボクシングの転換点ともいえる戦いといえただろう。
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