“パンガイの蹴り”安田英治 予告前蹴りの真実!澤井健一腸断裂の秘密、半硬軟による刺し貫く原理!

2024年4月9日

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予告前蹴り

大山空手極真会館師範代予告前蹴りの安田英治

ケンカ十段、予告前蹴り、安田英治。

私はそれまで、その彼の伝説、それを大山倍達を始めとした様々な著書、さらに調べることによって知り、彼こそが極真史上最強に次ぐものではないかと考えた。

そんな時、彼をよく知る人からの連絡を受け、彼の実態、歴史、真実を教えていただき、彼は私の試験ではあるが、極真史上最強であるのではないかと言う結論に立った。

そしてさらに話を伺い、長年の疑問がついに氷塊した感覚を得た。

そのあまりにも有名な2つの、よく前蹴り。

それが最も有名になった事件、澤井健一との戦い。

その疑問とはただ1つ。

前蹴りによる、腸断裂、そのような重症を負わせる事は、如何様にして可能だと言うのか?

極真空手家の中にも前蹴りを得意とする方が多くおり、その中でも最強クラスの力を持つ空手革命家、塚本徳臣。

前蹴りにより数多くの技あり、1本勝ちを奪い、その威力を知らししめたが、しかし腸断裂などに至ったことは私が知る限り知らない。

果たしてその威力の秘密は何なのか…

その疑問が解けた結論をお話しする前に、まずは今回伺った話を順序つけてご紹介させていただこうと思う。

安田英治は学習院大学空手の空手部入部し、1年経っていきなり主将になったという。

江上茂師範に、安田は飛ぶ鳥落とすと言われ、半硬軟――パンガイヌーンに力を入れさせてもらったという話だ。

半硬軟――パンガイヌーンとは手足の指先や拳、第二関節をひたすら硬い物にぶつけて鍛えるものであり、安田英治は年をとってからも両足つま先で立ったり、子供用バットでテレビ見ながら叩いており、もはや癖になっていたのだという。

今では部位鍛錬と呼ぶものに近いだろうか。

江上茂はスポーツの空手を良しとしなかったようで、沖縄に重きを置き、半硬軟と同時に沖縄の歴史も勉強していたようだ。

大山倍達並び門下、安田英治もまた空手よりも座る稽古――勉強に重きを置いておいたという。

池袋のバレースタジオは空手稽古が終われば歴史と思想学。

そこに参加して初めて大山道場であり、だからこそ極真空手がここまで大きくなったのだという。

実際安田英治に空手を教わる際、琉球侵攻についてレポートからだったという、1609年の島津藩からの、実に徹底しているといえるだろう。

大山道場の前身の目白野天時代は大山先生と安田と大山先生の知り合いの学生達だけだったという。

池袋のバレースタジオ跡を大山道場にしてから、大山先生が連れて来た黒崎健時、少しあとに石橋雅史が来たという。

待田恭介は少年の時館山時代に習い、大山道場ができてから、できたよーと大山倍達が呼んできたという話。

その時点で安田英治はすでに剛柔流と松濤館で段位を持っていたので、自主トレと指導補助を受け持っていたと言う。

空手部入部時に主将に江上茂、部員の前で真剣勝負の組手を4回連続で一本勝ちしたと、小坂という先生が昔興奮して教えてくれたのを聞いたという話だ。

だからこそ大山倍達とは師弟関係ではなく、指導も受けてはいなかったようだ。

実際著者What is KARATEの中でも大山倍達の相手役となっている写真が掲載されている。

そのように歴史、座学を基本としている大山倍達、安田英治両名は同様に、スイッチの入れ方を間違えなかったといい。

ヤクザとの喧嘩然り、澤井健一の腸を断裂させた前蹴り然り、当然だがその数々がそれで終わりではなく、そのままでは何度でも仕返しに来てしまう。

だからこそ間に人を入れて手打ちにし、そこまでやって喧嘩が強い、座る稽古は大切だという話だ。

そして真剣勝負に対する考え方としても、組手前に一礼しますが、礼を尽くしても通用しない人に空手を使うわけですから。

絶対に負けはありない、それはスポーツとの違いであり。

真剣に組手して負けたら勝つまでやる、何年かかっても、帰り道待ったりとか、安田英治及び大山倍達もそのようなタイプだったと言う。

しかしそんな風にして受けたはずの澤井健氏との戦いで、安田英治が空手をやめようと思ったのは、罪悪感からでは実際はなかったといい。

澤井健一は先の動画内でも述べたように手術を受けて一命をとりとめ、改めてお見舞いに伺っうと澤井健一の奥様が大変お怒りで――曰く、

もう嫌だよ真剣勝負って言ったやん!
みたいな感じになったと言う話だ笑

全然許してくれなくて、何だかんだあった末に姉と大山倍達と一緒に行ってやっと事が収まったという顛末らしい笑

そしてその発端となった、予告前蹴り。

曰く、パンガイの蹴り。

半軟硬の蹴り

曰く、蹴りをやりたかったら足指、貫手やりたかったら中指と薬指で、2つは選ばずに蹴りか貫手を選び、足指ぴーんと伸ばして蹴り込むという。

上地流の専売特許的にいわれているが、首里手でも昔から使うという話だ。

江上茂の先生、すなわち船越義珍先生の大家は首里手の安里安恒先生といい。

教えは、

人の手足は剣と思え!

安田英治は半硬軟(パンガイヌーン)やりすぎで、足の指がほとんど折れて固まっているという。

壮絶としか言いようがない。

半軟膏、パンガイヌーン、部位鍛錬、それのやり過ぎで、足の指がほとんど折れ、そして固め、そのつま先で、それはつまり文字通り、さし貫いたのだろう。

手足を、剣と化して。

古の、伝説的な、安田英治にしかできない、"拳聖"澤井健一の腹を貫き、腸を断裂させる、その威力の秘密、それがついに明らかになった心地だった。

しかしそれが明らかになっても、そうそう真似できるようなものではなく、そもそもだ足の指を叩き、折り、固め…そもそも折ると言う事はアレだし、さらに固めると言うのも…なるほど予告前蹴り、腸断裂、その伝説が、いかに常人と、その常識と外れているか、それを思い知らされる。

さらにそれはレポートの力だという話だ。

レポートとは空手の歴史や思想の事であり、例えばサーフィンは波に乗る前、すなわち前の日の天気予報を気にする姿こそが本質である、と例えられた。

大山倍達も若い時はそんな事を考えながら転々とされ、その夢は強くなって自分の空手を有名にする事だったのではないかと言う。

安田英治は、大山先生の明るさがよかったと語っていたと言い、学生の時には一度真剣に組手をして負かされおり、その際大山倍達の膝を蹴ったら大山先生も本気になったという話だ笑

高校生だったから適当に思いっきり膝蹴ったら怒っちゃって、と言っていたという。

大山先生はとにかく強かった、突きも蹴りも効かなかった話していたといい、若き日に安田英治は大山倍達に空手を続けるように頼まれたのだと。

それに安田英治は、

空手でメシが食える時代って考えられないですねー、大山先生。

と伝えたという。

安田英治は、空手だけは-空手だけは純粋であってほしいと思っていたようで、食べる物も我慢して、家の手伝いをしながら勉強して、辛いけど空手があるから僕は楽しい!と思っていた少年時代のその思いを、ずっと変わらず胸に抱えていたのかもしれない。

そんな安田英治は晩年、2011年に世界大会を一緒に見に行き、それから折に触れて空手の話をするようになったという。

極真の合宿に安田英治の御息女が参加された際、西瓜を食べたいと我儘を言った折り大山倍達が西瓜を買いに行ってくれた話など興味深いと言う話だ。

そして最後に、2011年の世界大会を見に行った時。

最期の世界大会観覧

来賓招待状に久しぶりに出席をつけ、車椅子で会場に入り、松井章圭、郷田先生、待田先生から挨拶を受け。

試合が終わり外に出た時、先程館長と何かお話ししていましたね。空手やってらっしゃったのですか?と初老の男性に声をかけられたという。

それに安田英治は、極真空手のただのファンです。と自ら答え、話しを聞くとある地区の長をなさってるらしく、皇居の警備も任された事もあり、大会入賞もあると自己紹介され、大変結構なお話しありがとうございました、と代々木を後にしたという。

空手と言うものを――大山倍達を、彼が作り上げた大山空手、極真空手を愛し、その真髄をその見て体現し、最後までそのあり方を変えず、その道を全うした真実の武道家-空手家、安田英治。

様々なことに振り回され、己が道を見失うことが多い現代人の我々が見習う点は、非常に多いと言うべきなのかもしれない。

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