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“円熟”ハワード・コリンズ 外人初日本準優勝,ウィリーに勝利し鮮やか足掛け下段突き 理に適った組手で大山倍達に技が枯れていると讃えられた武人!

2022年4月18日

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この記事を書いた人
青貴空羽

小説家にして極真空手家。
更に2年間の英国留学不治の病うつ病になった経験、オタク文化を発信する為ブログTwitterYouTubeを始める。

Twitter:@aokikuunovel

空手バカ一代

空手バカ一代のハワードコリンズ

空手バカ一代でも海外の強豪選手として、かなりの期間大々的に取り上げられその存在感を示し続け、世界大会でも多大なる活躍を見せた名空手家である。

イギリスはウェールズより日本に訪れ、若獅子寮に入り、そこで大山倍達も認めた稀代の天才空手家と言われる大山泰彦などの後輩となり、ともに大山倍達に直接指導を受け、第3回、及び第4回全日本空手道選手権大会に出場し、その第4回大会では決勝リーグ進出を決める試合で、"日大の花"山崎照朝と対戦。

先生の予想で山崎照朝圧倒的有利と言われ、試合でも山崎照朝が強烈無比なパンチで押しまくり、バックブリーカーでぶん殴るまでされ、何度も場外を繰り返したと言う話だったが、その最中、一瞬山崎照朝がその天地の構えから、他の構えに移行しようとするその一瞬の隙をつき、右上段回し蹴りを放ち、それにより山崎照朝は膝をつき、それによって技ありを奪い、奇跡の判定勝利をもぎ取ったと言う。

実際その瞬間ハワードコリンズ自身も信じられないような表情を浮かべていたと言い、その後のコメントでも、「山崎先輩にかけたのは偶発的なもの。決して実力ではなかった。満に1つの奇跡に近い勝ち方だった」と語っているらしい。

史上初の一日制による100人組手達成者

そして決勝リーグでは三浦美幸と対戦し、完璧とも言える足掛け下段突きを決めたと言うが、再延長の末に判定負けを喫し、2位決定戦では勝利し、外国人としては初の準優勝に輝くことになった。

そして驚くべきことなのだが、その第4回全日本空手道選手権大会が開催された1972年10月22日から、わずか約一ヶ月後、12月1日に、ハワードコリンズは史上初の、1日制による100人組手達成者となったと言う。

しかもその100人組手は、その1ヵ月前に行われた大山泰彦が失敗している旨もあり、成功させまいと言う雰囲気があったといい、事実はコリンズは潰されかけ、ハワードコリンズ自身もその100人組手について、彼らは自分を殺そうとしているのだろうかと感じていたと言い、しかし結果的に様々な敬意を経て、パイオニアとしての輝かしき栄冠を手にした。

その翌年にハワードコリンズはイギリスに戻り、ヨーロッパでの指導を開始。

1975年11月1、2日には、第一回全世界空手道選手権大会に出場。

スウェーデンのG・ソーダーベリー選手を相手に、どっしりとした構えで間合い、タイミングを計り、卓越した技量を見せつけ、見事な後ろ蹴り、それを伏線に使った後ろ回し蹴りをぶち当てて勝利。

そして3回戦では、アメリカの"熊殺し"ウィリー・ウィリアムスと激突!

あまりにも早い星のつぶし合いと言えたが、身長では20センチ以上、体重も15キロ上の相手にも1歩も引けをとらず、豪快に突っ込んでくるところに体を沈めての下段後ろ回し蹴りで見事な足払い。

さらにローキックの蹴り合いでも競り勝ち、ウィリーのパンチも的確にさばき、円の動きで場外に押し出されることもなく、まさに武道の真髄とも言える踏み込んでの右の正拳突きをぶち当て、体重判定により勝利。

そして続く4回戦では、あの第8回全日本大会で優勝を果たす、佐藤俊和と対戦。

お互いに円心気味の壮大な構えを見せて相対し、早々に佐藤俊和がその馬力に任せて下突きの連発を繰りだす。

それにお返しするような後ろ回し蹴りで、そのあまりの破壊力にハワードコリンズ自身の方が後ろに吹っ飛ぶ。

間合いを保ちたいハワードコリンズだったが、佐藤俊和の突進は止まらない。

廻し蹴りからの後ろ回し蹴りという華麗な技を中心に反撃するが、その圧力を攻略することはできず、延長では後に"空手革命児"塚本徳臣が技あり、一本を奪い、一気にその知名度、使用者が広がる内回し蹴りを繰り出すと言う驚くべき先見性も示しましたが、残念ながら延長の判定0対4でベスト16と言う結果となった。

全英大会三連覇、欧州大会優勝

その後1976年のブリティッシュオープンでは無差別級で優勝に輝き、さらに体重別となった1977年、および1978年の重量級の部を制し、3連覇を達成。

特に1977年には当時身長2メートル2センチ、体重100キロと紹介され、"南アの巨魁"と呼ばれ、あの"熊殺し"ウィリー・ウィリアムスと並び称される世界大会優勝最右翼と呼ばれた、ケニー・ウーテンボガードと準決勝にて激突し、その圧倒的体格差をものともせずに勝利をつかんだといい、

さらにユーロピアンチャンピオンシップにおいて、第1回の1978年大会ではかつてないほどの力強さ、パンチ力を見せつけ対戦相手を圧倒し、そこから伝家の宝刀足払い下段突きに繋げ、つけいるすきを見せつけず、やはり重量級で優勝を果たしている。

ハワードコリンズは親指と人差し指、そのたった2つの指だけで逆立ちをこなしたと言うから、その膂力も凄まじいものがあったと言えるだろう。

そして1979年11月23日から25日に行われた、第二回全世界空手道選手権大会に出場。

ハワードコリンズは実に落ち着いた構えで相対し、相手の蹴りを蹴りで止めて、パンチもさばき切り、逆に強烈なパンチを返し、試合を圧倒し、最後は完璧な足掛け下段突きによる一本勝ちを奪う。

まさしく円熟の域。

てか下段突きが勢い止まらなくて当たって、相手効いてないか…?

4回戦ではC・マンローと対戦。

後ろ回し蹴りで間合いを確保し、連続の後ろ蹴りを腹にぶち当てる。

下段をさばき、パンチをさばき、その圧力を真っ向から受け止め、内回しを放ち翻弄し、パンチの打ち合いに付き合い、相手の上体を浮かせておいての、狙いすました足払い一閃!

完璧に決まり、その真上に下段突きを決めて、場内沸かせる技ありを奪っての勝利!

準決勝では第9回全日本大会優勝、1回世界大会6位、"人間機関車"の意味を持つ、東孝と激突。

下段廻し蹴り、投げが交錯する荒々しい戦いになり、再延長でハワードコリンズに2本旗が上がったと言うが、3度目の延長線で逆転され、0対3で、惜しくもハワードコリンズの最終成績は、5位と言うことになった。

その1993年に大山倍達より七段を授与され、現在ハードコリンズはスウェーデンで指導を行っていると言い、その段位は最高段位である8段に至っていると言う。

ヨーロッパではマスターとして知られ、その名も大いに轟かせ、大山倍達の著書の中では、

「174センチ、85キロと外人にしてはさほど大型ではないが、なんといっても業師である。

突いてよし、蹴ってよし、接近戦よし、離れてよし、その上試し割りも多かった。技が、枯れていた。

既に円熟の境に差し掛かっていると言っても過言ではあるまい」

と語られ、

「常にクリーンでケレン味のない試合を演じたのがコリンズだったといえよう。

イギリスの騎士道精神を身に付けているようで面魂も良かったし、いつも姿勢を正していた。

逆境にあっても、我を見失うと言うことがなかったようである。

彼は日本人以上に武人だったと思われる」

と、讃えられた。

文字通りの"円熟"ハワード・コリンズ。

彼はその綴った足跡、そして伝え広め育てた武道精神、その技術、それが本日の極真空手の礎のひとつとなっている事は間違いないだろ。

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