“剛柔一体”佐藤勝昭 1回世界王者で初全日本2度制覇 !山崎照朝、西田幸夫を先輩に柔道出身で飛び二段、後ろ蹴りを使う!

2024年4月9日

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極真空手の第一回世界大会王者

大山倍達が目白の自宅の庭から始め、立教大学裏のダンススタジオ跡で起こした大山道場を経て世界初の直接打撃性を取り入れ創立した極真空手がそのたゆまぬ努力と世界への挑戦の果てにたどり着いた。

世界35カ国、128名が集結し、入場者2万5000人を記録したその世界大会にて、日本人としてその頂点に立った男だ。

身長180センチ、体重85キロと言う、当時としては破格、現代においても非常に恵まれた体格を持ち、中学生から初め、怪我で断念するまで続けていたと言う柔道の腕前は高校でコーチを引き受け、海外で普及させようと考えていた事の腕前だったと言い、そこで培ったパワー、柔軟性、体幹、その技術は十二分に空手においても生かされたことだろう。

第3回全日本空手道選手権大会で一気にその実力を示す形となり、後に空手バカ一代などで紹介されて、極真を脅かす、山ごもりをして挑んできたと言う驚異の我流空手家として知られる富樫宜資と対戦し、その額に飛び膝蹴りを当てて勝利したと言い、さらに3回戦では芦原英幸の愛弟子である二宮城光、4回戦ではあの"日大の花"山崎照朝の弟、山崎照道に勝利して、決勝リーグ進出。

他のリーグから上がってきた"妖刀村正"と呼ばれる廻し蹴りの名手、大石代悟に左中段廻し蹴り、山崎照と並び立つ天才と謳われた大山泰彦に左前蹴りで1本勝ちして、堂々たる初優勝を勝ち取ったと言う。

まさに歴代の勇士を打ち倒してしての、文句なしの日本一を成し遂げたと言えるだろう。

その後はその功績を認められ、国賓として招かれたスペイン皇太子夫妻の前で空手の技を披露したり、第4回全日本大会では3回戦にて、盟友佐藤俊和と激闘を繰り広げ、再延長にて3対1の惜敗を喫し、本部道場の正指導員となり、挑んだ第5回全日本空手道選手権大会。

第5回全日本大会ベスト4

その高い身長をさらに大きく見せるようなどっしりとした、まるで山のような雄大な構え。

無駄打ちは一切せずに、相手にプレッシャーをかけていき、相手の後ろ蹴り蹴りをその腹で受け止め、掴んでの膝蹴り、そして相手の前蹴りをつかんでの、足払いを仕掛け、そのまま身体を浴びせる!

体を乗せたわけではなくそのまま勢い良く相手の体をマットに叩きつけ、相手は頭から落ちて佐藤勝昭の袖を離すこともできず、うめき声をあげると言う危険な状態に陥り、そのまま圧巻の1本勝ち。

まさしく柔道と空手を極めた男ならではの決まり手と言えるだろう。

準々決勝では第9回全日本大会で4位にも入賞する強豪、浜井織安と対戦。

序盤からそのリーチ差を生かした、長い前蹴りで牽制し、間合いを十分に測って、タイミングを計っての、いきなりのステップインにして飛び二段蹴り!

すごい!

練習としてはあるものの、全日本の、準々決勝で扱い、直撃させて、わざありを取るなど、私としてはほとんど見たことがない!

見事に顎を捉えて、浜井識安はひっくり返って倒れる。

180センチ90キロの巨大を感じさせない軽やかで鮮やかな妙技。

さらに今度は接近して、強烈な膝蹴りの連打。

しかも受けが硬く、文字通り隙がない。

左の廻し蹴りが恐ろしいまでに伸びる。

膝蹴りの勢いで、場外を超えて壇上外にまでいきそうな勢いであったが、その寸前で止めて、相手の奥足を掴んでかばうと言う、余裕とともに優しさも見せると言う武道家の鑑とも言えるあり方。

さらに正拳突きも早く重く、一発で効かせてしまう。

うわあ…つえぇ…。

柔らかく速くて硬くて強く、正しく剛柔一体。

そして準決勝、対盧山初雄。

バンバン前蹴りを狙っていく佐藤勝昭に対して、盧山初雄はそれに合わせていく形で内股へのローキックを狙っていく。

そう思ったところに、急襲の三日月蹴りが佐藤勝昭の脇腹をとらえる。

極真史に残る実力、人格を兼ね備えたと言われる中村忠師範が見守る中、2人は誘導間合いでにらみあい、武道的な見事な牽制、狙いを交錯させる。

と思っていたところに、一旦離れて続行した途端に放たれた、飛び二段の、今度は前蹴りがまともに盧山初雄の顎を捉える。

このレベルの戦いで飛び蹴りが顔面を捉えるというのが、正しく驚愕すべき事実と言えるだろう。

絶にして、妙の技。

しかしそこで、佐藤勝昭の左中段廻し蹴りに合わせるというか返す形になった右の中段突きで、一瞬佐藤勝昭がひるむような様子を見せる。

そこを見逃さずに三日月蹴り、さらに中段突きで、全く同じ場所を立て続けに攻める。

しかしそこで下がらずに、膝蹴りで反撃。

続行されたところに再びの三日月蹴り。

お互いの持ち味が存分に生かされた、名勝負。

延長では佐藤勝昭がバンバン左の廻し蹴り、前蹴りを連発してプレッシャーをかけていき、それに時折盧山初雄が右の中段突き、三日月蹴り、インローを返すと言う展開。

ほとんど全くの五分のような展開に思われたが、判定3対0で、そこで佐藤勝昭は惜しくも敗れる。

第6回全日本空手道選手権大会では、準々決勝戦で三瓶啓二と対戦し、開始早々払った左上段回し蹴りで前歯2本をへし折り、下顎の骨も顎までめり込ませると言う重症を負わせ、ドクターストップで勝利。

準決勝では尊敬する先輩でもあったと言う西田幸夫と対戦し、前蹴りにより膝の靭帯に大きなダメージを与えての勝利と言う形でのお世話になった恩返しを果たし、決勝は第9回全日本大会で優勝を果たす東孝に延長4対0で勝利しての、史上初の大会2度目の制覇を成し遂げ、歴史に名を刻むこととなった。

世界大会での破竹の活躍

そして迎えた、1975年11月1日、2日の二日間にわたって開催された、第一回全世界空手道選手権大会。

この大会直前大山倍達は高弟たちを集め、こう語った。

「長年の悲願であり願望であった世界大会。

長年私は夢見た。

実戦空手が世界的に証明される大会。

内外ともに多事多難であり、極真空手が地上最強の空手になるかこの勝敗にかかっていると言っても過言ではない。

万一日本が負けるようなことがあるならば、ここは全員腹を切るという悲壮な覚悟で出場しなくてはならない」

その中佐藤勝昭は1回戦、インドネシアのR・ソエシーロ選手を相手に、強烈な胸への突きからの、左中段廻し蹴りで1本勝ちで勝利し、さらに2回戦は得意の2段蹴りで連続の1本勝ちしたと言い、続く3回戦。

ウルグアイのE・ガリジア選手を相手に、相手の廻し蹴りを膝受けで華麗に捌きながら、一瞬の隙で放たれた後ろ蹴りでダメージを与え、そこからの繋げて廻し蹴り、飛び2段蹴り、膝蹴りのコンビネーションで、文句なしの完璧なら1本勝ちを奪う。

まさに無人の野をいく勢い。

4回戦ではキュラソーのヒリシャス・バリエントスと対戦し、反則である顔面、金的攻撃を多用される中、接近したところを1本背負いし、マットに叩きつけた後膝で肩口を押し左手で顎を抑え、正拳突き下段突きで決めとし、その瞬間が後に映画として公開され大変なムーブメント巻き起こす「地上最強の空手」のポスターになったと言う。

文字通りの第1回世界大会を象徴する男佐藤勝昭は勢いそのまま準決勝に進出し、芦原英幸のサバキを受け継ぐ男、後に第8回全日本大会で準優勝、第10回全日本大会で三瓶啓二、中村誠といった、後世の一時代を築く二人を連覇しての優勝を果たす、二宮城光と激突。

これは極真史上においても、稀に見るほどの名勝負、高レベルの激突となった。

試合は開始直後に、二宮城光が左右の突きからの左上段廻し蹴りを飛ばし、早速のあわやと言う場面を作る。

さらに接近してプレッシャーをかけて、棒立ちになったところを狙っての足払いからの下段突き、一閃!

技あり!

世界大会準決勝で、まさかの早々の技あり奪取!

これだけのレベルで技ありが取られると言う事はほぼなく、つまりがとられたと言う事はほとんど間違いのない敗北を意味していると言っても間違ってはいなかった。

しかしそこで佐藤勝昭はひるむことなく、二宮城光の連打に応えるように下突きを連発して、そこから得意の膝蹴りにつなげていく。

さらにそこから1本背負いにもっていくようなモーションすら見せる。

単純な馬力ならば、膝蹴りの技術ならば、明らかに佐藤勝昭の方が上の模様、というかこの時点で世界最強クラスだろう。

それが落ちついて、一旦離れられて、続行した直後。

まるで舞散る桜のように、ふわりと舞い上がり、伸び上がり、捉えられない、そんな一瞬の左上段廻し蹴りが、二宮城光の顔面をまともにとらえる。

のけぞり、顔面が切り裂かれ、そのダメージが認められ技ありとなる。

とんでもねぇ。

世界大会準決勝で、技ありというか、ダメージがはっきりと現れることすら稀なレベルの中で、お互いが技ありを取り合うと言う信じられない展開。

しかもよく見ればこれ、顎に来ると思って待ち構えている二宮城光のガードを越えて、こめかみの辺りを狙う、途中から起動が伸びる、いわゆる縦蹴り、ブラジリアンキックに近いような起動を描いていた。

恐るべし、正しく恐れるべし、佐藤勝昭。

戦いは3度目の延長戦にまでもつれ込み、佐藤勝昭が左の中段廻し蹴り、膝蹴りで激しく攻め立てていく。

さらに先程の上段廻し蹴りも惜しいところをかすめ、その中でも二宮城光は起死回生の下段突きを狙っていく。

さらに後ろ蹴りもどてっ腹を穿ち、前蹴りも巧みで、パンチも重く、ありとあらゆる技、間合いで隙がなく、4対1の判定で決勝に進出した。

相対するは第5回全日本大会準決勝と同じ顔合わせとなった、盧山初雄。

その開始はいきなりの佐藤勝昭の飛び2段蹴りから始まった。

盧山初雄はまず前回と同じように内股への下段を狙っていくが、前回から学習したのか、佐藤勝昭は的確な脛受けでそれをさばいていく。

そして左の下段から、やはり途中から上段に軌道が変化する廻し蹴りにつなげていき、盧山初雄の顔面を脅かす。

盧山初雄は前回と同じように左掌底で肩を抑えての下突きを狙っていくが、それにも構わず左中段廻し蹴りで攻め込んで行く。

飛び膝蹴りを連続を止める術はもはやないと言えるだろう。

そして前回と違うところの大きなものとして、後ろ蹴りが挙げられるだろう。

まだ見ていられたはずの誘導間合いで飛んでくるこの飛び道具があるので、前回よりも明らかに間合いを支配でき、そして腹にもダメージが与えられる。

戦いは3度目の延長戦にまで及び、佐藤勝昭はその巨体による見事なステップを刻み、そこから放たれた左上段廻し蹴りがやはり盧山初雄の顔面をかすめ、そこから体を反転させたら後ろ蹴りで体を突き飛ばし、ローキックをさばき、完全にペースを自分にもっていく。

もつれても柔道の経験を生かして、常に自分の体を上に持っていき、どんな場面でも対応できる懐の広さを見せつける。

そんな中でも盧山初雄は右の正拳付き、三日月蹴りで、その一点に賭ける。

しかし佐藤勝昭はこれだけ蹴り続けて、叩き続けて、動き続けても、一切息が切れるところがないところも、物凄まじいスタミナと言えるだろう。

判定は3対2で、佐藤勝昭の勝利。

文句なし、完全無欠の、世界一のその実力を証明した結果となった。

その後は王道流空手道佐藤塾を設立し、そこまで培った技術、温厚で、思いやりが深く、どのような相手にも分け隔てなく接する、山崎照朝などから学んだという怒ったり卑屈になることなく、相手を認め、尊重し、共に高みに向かっていくという高い得を備えた精神性、武道観を多くの後進たちに伝え広めていると言う。

柔道で右の膝を怪我していたために、蹴りに関してはほぼ左1本だったにもかかわらず、ステップを踏んだり、その巨体にして飛び蹴りや二段蹴りを扱い、負担が比較的小さい後ろ蹴りに用いたりと、創意工夫を凝らし、彼だけにしかできない組手へと昇華させた、その功績は多大なるものがあると言えるだろう。

力、技、心、心技体全てを兼ね備えた空手家の理想像を体現した、剛柔一体、佐藤勝昭。

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