“國手”王向斉 史上最強武術家郭雲深を師,澤井健一を弟子!ボクシング世界王者を気絶させロンドン・タイムズに載り、形意拳など中国拳法の粋を集めた意拳―大成拳創始者!
半歩崩拳あまねく天下を打つ
そのように称えられ史上最強クラスの力を持つと言われた一打必殺の拳を持つ形意拳の達人、郭雲深。
その弟子にして、中国全土を練り歩き、様々な拳法の本質を抽出し、創意工夫の末に大成拳――意拳とも呼ばれる独自の拳法を作り出した拳法家。
その彼の強さを物語るエピソードとして、16歳の時、武器を持った数十人の山賊に襲われたが、単身素手で立ち向かい、撃退したとされ、王向斉は数が多い敵でも数人を倒せば、後は恐れをなして逃げる、と述べたという。
その多くの戦いの中には、ボクシングの世界チャンピオンも含まれていたという話もあり、40代の時に上海でイングルというボクサーが、
中国の武術は語るに足りぬ
と豪語し、それに対して、その言葉を覆す希望として白羽の矢が立ったのが、王向斉だったと言う。
筋骨隆々のイングルに対して、王向斉は痩身にして小柄。
どう考えても一方的な展開になるかと思われていたが、イングルが放ったワンツーの右。
王向斉はガードするわけでもなく、なにげなくあげたように思われた右腕がイングルの腕に触れた瞬間、相手は崩れ落ちていたと言う。
しかもその瞬間、イングルは気絶していたのだと。
後にイングルはイギリスのロンドン・タイムズに、私が見た中国拳法と言う文章の中で、
イギリスのロンドン・タイムズに載る
私の腕が王向斉の腕に触れた瞬間、まるで電気で打たれたように感じ、心臓が飛び出すかと思った
中国武術侮り難し、と述べていると言う。
この後王向斉は、
拳は理を学べば精に至る
運用は虚実にあり
霊機は内より変じ
力は遠くに聴く
身の動き猿の素早さに似て
踏歩は猫に似て軽く
筋肉に動の力を含み
豪気長虹を貫く
という詩を詠んだという。
さらに後年には日本人の武道家やレスラーとも試合を行い、交流をし、その中に後に外国人として唯一弟子入りを果たし、大氣至誠拳法を創始する、澤井健一も含まれていた。
澤井健一は幼少の頃に武道を学んだとされ、柔道5段、剣道4段、居合道4段を取得し、その後三十代の1番脂ののった時期に中国に渡り、北京にて60歳を迎えていたと言う王向斉とたちあったという。
その時のことを澤井健一は、
君、強いのなんのって、私はかつてあんな先生にお目にかかった事は無い。
私も中国に渡る前は日本でかなり武道をかじった。
柔道も五段もらっているし、三船先生や徳三宝先生にも随分と稽古をつけてもらった。
また、居合道のほうもかなり進んで、腕には自信があったつもりだよ。
その私が、あの小柄な先生と立ち合い、めちゃめちゃやられてしまった。
それも普通のやられ方ならまだ諦めもつくが、程度を越したやられ方をしてしまったんだ。
得意の柔道で組み付こうとするたびに何度もはね飛ばされる。
そこで今度は、先に組み付かせてもらうと「それで良いのかね?」といわれ、「よい!」といった瞬間、心臓を打たれ、またもやはね飛ばされていたという。
後に澤井健一はこの時のことを、ぴりっと刺すような、 そして心臓が揺れるような変な痛さで恐ろしくなったと語っている。
さらに得意の剣でも挑んだが、結果は全く同じで、 その時王向斉は静かに剣も棒もすべて手の延長なのだと静かに言われたという。
完敗という結果にあまりのショックを受け、食事ものどを通らないほどであったが、 遂に弟子入りを決意。
その際王向斉は、
私の技は激しい滝を登る鯉以上で、無から有を得るものである、
教えて教えられず、習って習えず、万人中一人も習得が難しい技なのだから、どうせできるかどうかわからないものを何年も無駄な修行を積むより、初めから何も知らなかったものとして諦めて帰った方が良いのでは、と悟さすが澤井健一は食い下がり、最後は決勝まで描き、弟子入りを果たしたと言う。
しかしそこからの練習はやはり上記を逸したものであり、説明もなくただ立っていろと言われ、ほったらかされて、ひたすら立禅を続け、王向斉が姿を現すは週に1度だけ。
それも稽古場を1周して何も言わずに帰ってしまし、心が折れそうになるが続け、尽くし、ついにその教えを乞うに至る。
その際、
拳法を学ぶのは、常に当たり前のことを自然に行うだけである。
川に水が流れ、空高く旗がはためき、波に揉まれる魚のように自然のままで、必ずしも形式を追求しない、形あるもの、あるもの全て仮のものであるが、技が至れば無心にしてまさに真技となるのである。
さらに気の力に対して、
己の力は、例えてみれば回っている独楽のようなものである。
みたところ止まっているようで、無力に見えるが、触って弾き飛ばされたとき、初めてその力を理解し得る。
それと同様に行きの力は何十回、何百回、あなたに説明してもわからないだろう。
しかし、私と立ち会って気持ちからは少しは理解したと思う。
だが、あなたがその力を習得するには立禅の中から、自ら悟る他が道は無いのである。
気の力とは、息の中に石を投げた瞬間、悠然と泳いでいた魚がピッと方向転換するようなものである、と語られ、実際に手を取ってもらった際は、
澤井健一と立ち会う
君ねぇ、この王向斉先生、体はずいぶん小さいんだよ。
私が先生の手を握るとあまりの細さにまるで子供の手を握ったような感じさえする。
しかし、その先生が稽古をつけてくれる時など、もう怖くて人間と思えないほどだった。
何しろ、組み手をする時など私の方なんか見ないで、白目をむいて首はカメのように体の中に入ってしまう。
私が突くとどのように受けるのか、手にトリモチでもついてるんじゃあないかと思うほど、ピタッと吸い寄せられ、ガタンと引っ張られる。
すると私の体がひっさらわれ、頭に巻いたタオルが円盤のようにクルクルと飛んでいく。
首が痛いのなんのって。
しかし、先生は必ず体制が崩れた私を支えてくれた、という。
王向斉は当時の修行者が外見の派手なものを好んで、武道の本質を探求しないのを憂いていたといい、拳理を理解することなく、表面上の動きに囚われたり、あるいは真理にかなっていない方を習得して、やたら派手に動き回ることも花拳繍腿といったという。
これは花の拳に刺繍のような腿という意味で武道として、クソの役にも立たないとの事だ。
王向斉は普段のなんでもない稽古の中にその本質があると言われ、澤井健一曰く。
うちの先生は、昔田んぼの中で15年間も這をやったと言うんだよ。
そのために体は細く、小柄だが腰回りはシマウマのように張っており、歩く姿はちょうどアヒルのようだった。
性格も、大変きつく、実の息子も武道を嫌い、商売に走るので自分の子と思わなかったほどだ。
王向斉はその多大なる功績、極めた拳技を認められ、国を代表する使い手"國手"と謳われ、北京郊外の大きな邸宅に住み、その生活は北京知事が全部見ていたと言う話。
この弟宅には後に毛沢東が住み移り、弟子の数は一万人は降らないと言われており、その頃の中国で王向斉老師の名を知らない人はいなかったと言う。
澤井健一がある日王向斉のお宅にお伺いすると、お子さんは庭に出て屋根にいる鳩を一心に見ており、
私が先生の横にいても先生はハトから視線を離さない。
あまり一生懸命ハトを見ているので、私は不思議に思い先生に聞いた。
すると先生は、あのハトをよく見なさいと言う。
ハトは歩きながら方向転換する時、必ず尾っぽの方から動かすだろう。
武術にたとえれば、ハトの尾っぽは我々の腰であり、すべての動作は腰から入らなければダメだと言われた。
要するに腰が動いて手が動き、腰が動いて初めて体全体が動くと言うんだな。
私は普段何の気にも留めなかったハトにも学び取る先生にすっかり感心した。
王向斉老師は、このように生活の中ではまるええきり無心で遊んでいるように超然としていた。
澤井健一曰く、
立禅と這
完成された技のあれこれ、表面上のすべての動きは、木にたとえれば技であり葉である。
この枝と葉、根と幹がしっかりしていれば、自然とできるとのことだ。
つまり、この場合の根は我々の精神状態、内に秘められた己の力をいい、幹はしっかりとした足腰をいう。
立禅と這はこの根と幹を作るようなものである。
一見ジーっとした、何でもないような稽古でも気の遠くなるほどの時間をかけ、下肢を練ることにより信じられないほどの威力と完成された動きが自然にできるようになる。
意識的な表面上の動きそのものよりも無意識の中から自然に湧き出る技――
ここに、大成拳法の極意がある。
かたちあるもの、意あるものすべて仮のものである。
技が至れば無心にしてまさに真技となるのである。
その拳法は意拳、もしくは中国武術の精髄を集大成した拳法との意味で大成拳とも呼ばれ、さらにはその稽古の中核をなす立禅、站樁は拳法の枠を超え、気功として、健康を培い、育むものとして、多くの人の助けとなり、広く知れ渡り伝わっていったと言う。
そして外国人唯一の弟子である澤井健一は、その意拳を日本に持ち帰り、王向斉の許可を得て大成拳を大氣至誠拳法と名前を変え創設し、それはつまり大氣拳は大成拳であり、誠に至るとは大成拳に至る、ということなのだと言う。
その澤井健一もまた、現在の打撃系格闘技の父である極真空手の創始者大山倍達と深い親交があり、現在の日本の武道、格闘技、そういったものに深い影響与えた人物であり、その発端である王向斉は、それこそ計り知れない世界中に影響与えた大武術家、武道家であると言うことができると考えられる。
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