ぼくの日常①

2019年11月22日

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 生きている意味ばかり考えていた。

 物心ついてから、ずっと。
 それ意外ここでは、することがなかった。

「成海さん、朝ですよ」

 ベッドを四角に仕切っていたカーテンが、裕子さんの手によって開かられる。

 とたんに窓からの陽射しが、燦々と照りつけてくる。
 それに手庇を作って防いでから、ぼくはにっこりとほほ笑む。

「はい、おはようございます裕子さん」

 それに裕子さんも事務的というか、やや堅めなというかさらにいえば笑顔にすら見えづらい笑みというか――端的に言って、頬の筋肉をゆるめた。

「おはようございますね、成海さん。朝ですよ。ほら、見てごらんなさい。今日も、いい天気ですよ」

 差し出された窓の外に、ぼくは視線を移す。

 真っ白な雲と、蒼い空に、輝く太陽。
 俗に言う、晴天。

 それは果たして、誰にとって都合のよい天気なのだろうか? 少なくともぼくではないことは、確かだと思う。

 一日は穏やかに、それこそ春の小川のように流れていく。

 裕子さんに起こされたあとは、備え付けの洗面台で洗顔し、歯を磨き、配膳される朝食をとる。

 その後ふたたび裕子さんに今度は検温され、薬を飲まされ、そののちようやく、自由時間が訪れる。
 基本的にはぼくはその時間、本を読んで過ごす。もしくは漫画、たまにゲーム、稀にテレビというところだ。

 子供の頃は、丸っきり逆の配分だった。
 そのわかりやすさに、惹かれていた。
 だけどいまは、そのわかりやすさが、興味を失わせていた。世の中わかりやすいもので、本質をついているものは少ない。

 そののちお昼ごはんを食べ、点滴を受け、安静時間を眠って過ごし、自由時間、晩御飯、そして消灯という流れだ。

 僅か150文字程度の、ぼくの日常。

 これを延々と繰り返してきた結果、ここにぼくという成海遼という人間が形成されている。

 なんて欺瞞。

 ぼくは思わず、苦笑を漏らしていた。

 懸命にという言葉すら、虚しく響く。

 変化がない。





 ただ同じ一日が、それこそ金太郎飴みたいに続いてきただけだ。
 いや、続けてきたと言い直すべきだろうか? どちらでも同じだとひとは言うかもしれないが、どちらかということがぼくの根幹を揺るがすほど重要なことだったりした。

 病気を軸に据えて、ぼく自身の事は隅に追いやられた生活。
 それこそが、この日々――引いてはぼくの人生の本質でもあり、そして同時に問題でもあった。

 もちろんそんな本音、誰にも話したことはない。話してどうなるものでもない。
 だから言わない。だからぼくはこうして、半分自動で動いている。

 敵は病気じゃないんじゃないかと、ずっと疑ってきた。

 受け入れなければならない現実というものに、ぼくは半分殺されていると思う。

 ぼくはもうただワガママを言うだけの子供じゃない。
 何も出来はしないし、なにが変えられるというわけではない。すべては決定されていた。
 そして医者に、看護士に、両親に、ぼくは生かされている。
 それは事実だと思う。もう紛れもなく。
 だからぼくがこんな生活を強いられているというのも、仕方がないことだというのも頭で理解はしている。それがきっと、人の世の中で生きていくということだから。

 だけど、それでも。

 どうか、心までは。

 そう願い、ぼくは心の周りに幾重もの防壁を張ることに決めた。

 そんな自分が正しいのかどうかは、正直判断できなかった。
 少なくとも物語の主人公やヒーローはそんな防壁など張らず、全力で、思いのままに生きている。

 だけどぼくにはその生き方は、選択できない。
 病人というハンデを背負っている以上は、仕方ないと悟っているようなところはある。

 だけど、それでも。

 心の底に、ある種の感情は抱えていた。

 パンドラの箱の底に残っていたという、アレに近い。
 というか、そのまんまだろうか?

 ぼくは果たして、日がな愛想笑いを浮かべて床につくという日々を送るためだけに、生まれてきたのか?
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私から見て、以前の那須川天心との試合の記事で述べた通り、彼はまさに現代に生きる宮本武蔵といっても過言ではないでしょう。
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