不治の病――潰瘍性大腸炎闘病記⑤「死に瀕する」

2019年10月18日

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第五回目。

ある意味では、ここからの話が本当に伝えたいことの一角です。

自分はそれまで、当たり前に生きてきました。当たり前に生まれ、育ち、学び、働き、暮らしてきました。そして当たり前にそれがずっと続くと思っていました。

いや、勘違いしていました。

違いました。世界は、そんな風にできていない。そんな安心は幻想で、一歩間違えればそれは崩れ落ちうる。

それを知りました。

それはまさに、価値観の反転、人生観の反転でした。

不治の病。

死に瀕する。

その意味を、おかみしめください。




 これが私の最初の経験だった。

 激しい痛み。
 それが、ずっと続いていく。表面の切れたり擦れたり、そういうものではない。

 体の内側が、文字通り内臓が蝕まれている。

 命が削られている。

 命がすり減っていく。

 それが実感としてわかってしまう。激しい痛み、凄まじい倦怠感、それがずっと終わらない。ほとんど、寝ている時以外ずっと続く。

 ずっと命がすり減っていく。

 最初は苦しいと言う言葉だった。

「ぐ、ぅう、ぅ……あ、あぁあぁああ……!!」

 それがいつの間にか変わった。苦しい、辛い、苦しい、辛い、苦しい、辛い、苦しい、辛い――

 何回何十回何百回――あるいはそれ以上の回数をこなしただろうか? わからない。だけど気づけば僕は、こう思っていた。

 死にそうだ。

 生々しい言葉だと思う。今まで僕は、死んだことがない。だからどれぐらいいけば死ぬかと言う目安がわからない。

 だからこそ、予測しかできない。

 死にそうだ。

 それぐらい辛いだとか、それぐらい痛いとか、そんな言葉すら浮かばない。文字通りの極限状態。

 かつてあずみと言う時代劇暗殺漫画で、内臓に損傷を受ければ決して助かる事はない、という事実を知った。

 内臓をやられると言うことは、人間にとってそれだけ致命的だ。

 その内臓が、どんどん蝕まれていっている。

 だけど原因不明だから、打つ手がない。

 極限状態で、おそらく思うでもなく身体の方が警戒信号を発し続けていたのだろう。

 死にそうだ、死ぬ、死んじゃう、死にそうだ、死、死ぬのか、死ぬ? 死、死とは? 死、死、死死死死死死死死――

 続く言葉はとどまることはなく、いつかしか一つの言葉にたどり着いていた。

 死ぬかもしれない
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