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この記事を書いた人
青貴空羽

小説家にして極真空手家。
更に2年間の英国留学不治の病うつ病になった経験、オタク文化を発信する為ブログTwitterYouTubeを始める。

Twitter:@aokikukose

極真空手家にして名キックボクサー

山本真弘。

我が新極真会長崎支部が誇るべき伝説的な活躍を見せた素晴らしい空手家にして、名キックボクサーだ。

山本真弘は、長崎県の大村市の出身で、それにもかかわらず中学校から毎週月曜日、長崎支部の支部長である山田政彦が直接指導、および住んでいる家である諫早の道場に、9時から行われる組み手強化の稽古に先輩に毎回送ってもらい、参加していた。

私はその頃諫早を中心に稽古していたので、その頃のことをよく覚えている。

当時から、化け物だった。

初めて彼と会ったときのことを覚えている。

身長及び体重も決して高い方ではなく、筋骨隆々としているわけではなかったので、正直強い印象は全くなかった。

組み手で当たった時も、それまで戦ってきた他の者たちと全く同じように、何気なく前蹴りを出した。

その瞬間のことだった、あの時の事は今でも忘れられない。

腹が爆発した、本気でそう思った。

後にも先にも、ここまで決定的な1本負けは味わったことがなかった。

腹を抑えて、のたうち回った、これが後に山本真弘の恐怖の必殺技として知られる、左中段廻し蹴りの初の諫早でのお披露目だった。

それから山本真弘が来る月曜日の9時が、恐怖の時間帯となった。

同世代の皆は、恐れおののいていた。

どいつもこいつもローキックや膝蹴りやパンチで倒されて、ある時水飲み場で顔洗っていたら、隣でゲロ吐いていたのを見てぞっとしたものだった。

高校生大会を軒並み制覇し藤原ジムへ

そんな彼は、当然のように大会でも頭角を現し、高校1年で出場した県大会ではベスト4、高校2年生では早くも全国大会で軽量級の部で優勝。

県大会は当然のように圧倒的強さ、それも決勝戦では他流派の全国チャンピオンになっていた田添和也を前蹴りで技ありを奪っての圧倒的な強さを見せつけての優勝。

そして3年生で全国大会を現在のK-1で活躍する小宮山工介の兄である小宮山大介との対決も期待されたがそれはなされなかったがニ階級制覇を達成。

さらに高校生であるにもかかわらず長崎県大会の一般部の部に出場して、のちに県大会で準優勝を果たす強豪である金子洋高に左上段回し蹴りで1本勝ちを奪うという奇跡の大逆転を演じての入賞を果たす。

そしてそのまま高校卒業と同時に、上京し、全日本キックボクシングにデビュー。

連戦連勝を重ね、負けを知らない男と言う異名も取り、そのままフェザー級王者である山本元気に挑戦したが、残念ながら引き分けによりタイトル奪還は逃すが、さらにその後IKUSA U60グランプリで同門であり活躍していた石川直生に逆転KO勝ちするなどして、劇的な優勝を果たす。

そして2度目の挑戦で山本元気に勝利を果たし、フェザー級王座を獲得。

幾度ものスランプを乗り越え日本初の世界王者へ

その後打倒ムエタイを標榜し、何度もムエタイ選手との戦いを繰り広げるが、結果はあまり芳しいものが得られず、特に宿的ともいえる日本人キラー、切り裂き魔ワンロップ・ウィラサクレックとは2度にわたり対戦するが、その肘打ち、そして前蹴りをさばききれずに、二度ともKO負けに終わってしまう。

しかし対日本人には無類の強さを発揮し、特に印象に残っているのは、Kick Return Tournamentと呼ばれるもので、大宮司進、石川直生、そして”爆腕”と呼ばれる圧倒的な強者として知られていた大月晴明をパンチでダウンを奪っての判定勝利しても優勝は、今でもその輝きを失っていない。

そして長らくプロデューサーである谷川貞治にK-1参戦をアピールしており、ようやく念願叶った2009年にオープニングファイト裕樹選手と戦い、左膝蹴りでダウンを奪って勝利をつかんだ。

しかし、やはり、時代が遅かった。

その後”狂拳”竹内裕二を相手に、初めての対日本人でのKO負けを喫して、Krushライト級グランプリ2009では、その後K-1王者として現在に至るまで長らく君臨する久保優太に勝利し優勝するなど煌きを見せるが、ようやく出場したk-1 WORLD MAX 2010 63キロジャパントーナメント1回戦で、大和哲也と対戦し、結局その後彼が優勝すると言うその流れのため、悲しいかな1回戦負けを喫した。

その後しばらく勝利に恵まれなかったが、また復活を決めて、IT’S SHOW TIMEと言う団体において、ハヴィエル・エルナンデスを相手に、前蹴り、膝蹴り、奥足のローキック、そういった長崎の新極真会で培った完璧なる理にかなった組手を見せて、日本人初の世界王者を戴冠した。

この瞬間こそ彼が1番その努力と組み手が花開き、最も認められた瞬間と言えたのかもしれない。

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