死に至る病――うつ病闘病記㉔「離職の恐怖、伝える恐怖、未来が見えない恐怖」
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迫られる即決
まず、小休憩はないという話だった。
しかし、5時間も6時間後ずっと立ちっぱなしということではないらしい。
長くても立ちっぱなしは1時間半ということ、だから暑い中でもずっと放置でははないという話。
そこでふと、現在面接をしているその後方の隔離スペースで作業している人の姿が目に入り、あそこに割り当てられるようなこともあるのか? と考えたりした。
そしてその場で隊長は、ぐいぐいきた。
2人とも素晴らしい人材だから、もう採用だから、よければ今すぐ決めて、明日の説明会に来てほしいと。
さすがに戸惑いがあった。
即断即決はためらわれた。
しかし隣のもう1人が、即答してしまった。
明日も行くと言ってしまった。
私は現実的に明日は派遣があったので行けない。
とりあえず三日ほど待ってもらえないかと告げた。
三日後なら休みだったので、それまでに決めさせて欲しいと。
了承され、とりあえず現在結果待ちの最後の面接の報告期限が2日後なので、それ次第で決めようと思った。
帰りに、一緒に面接した人と話した。
実はその人は半年後に行政書士の資格を取るための試験を受ける予定で、あくまでここの面接は足掛けと言う話だった。
やっぱり東京は、こういう人が多いんだろうなと考えた。
そして2日後、無事というかなんていうか、もう一つの面接結果のほうはいつも通りに落ちて、そしていよいよその警備の説明会に行くことになった。
説明会場につくと、もう1人説明に来る予定だから、しばらく待ってほしいと言われたが、30分たっても音沙汰がなく、結局始められた。
聞くところに一緒に面接を受けた人は次の日の説明会に現れず、あれから音信不通だと言う。
説明を受け、本当は20時間受けなければいけないという講習をなぜか2時間程度の口頭説明だけで終えて、制服を合わせられて、そしていよいよ警備としての初勤務の日取りが決まってしまった。
いよいよ、パートをやめる段取りが整ってしまった。
戸惑いはあったが、しかしここまできた以上、運命だと思って、受け入れて前に進もうとは考えていた。
拒絶と侮蔑の離職請求
1番の難関が、コールタールだった。
結局のところパートとして始めて、まだ2週間も経っていなかった。
こんな早く辞めるぐらいだったら、最初から断っておきよ的な事は言われることは間違いなかったし、あの性格だから、粘着質に、または激怒されたり、様々なことが起こることが予想された。
正直言って、胃が痛くて、緊張して、仕方なかった。
そこでも結局は戦友に救われた。
話を聞いてもらって、どう話せばいいかアイデアをもらって、練習までして、そしてコールタールに勇気を持って声をかけた。
するとなぜか1回目の離職通達は、スルーされてしまった。
仕方ないので次の日に事務局で離職の手続きをしたいと改めて尋ねると、やはりコールタールに話を通す必要があると言われた。
仕方なくまた勇気を持って胃が痛いのを抑えて声をかけると、露骨に顔をしかめられて、ため息を吐かれて、侮蔑するような視線を向けられた。
そして露骨なため息。
「ハァ……それってさぁ、ここを受けるときにわかってなかったの? いやまぁ今更言っても仕方ないけどさぁ……」
わかりやすい位の露骨な軽蔑だった。
それからもネチネチと言われて、それに耐えて、なんとかかんとか離職の段取りを整えようとした。
「それで、いつまでなの?」
「あの、いつまでと言うのは……?」
「いつ辞めるの? 今すぐってわけじゃないんでしょ?」
本当はできるのならば今週末でも止めたかったが、さすがに怖じ気づいた。
「あの、その……そうですね、とりあえずは2週間後などは……」
調べた法律によると、申告して2週間後にはアルバイトやパートの場合は仕事を辞めることができるみたいなことが書いてあった。
するとコールタールはもう一度舌打ちして、
「はいはい2週間後ね、じゃあそれまでは働いしっかり働いてね」
こんな緊迫感をあと2週間も耐えなければいけないかと思うと憂鬱で胃袋が破けそうな気もしたが、仕方ないと思えば仕方ないし、終わりが分かっていれば耐えられるかと切り替えて、そしていよいよ派遣、そして引き抜かれた先のパートを辞め、うつ病になって以来初めてのアルバイト、そして警備と言う初仕事に挑むことになった――
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