死に至る病―うつ病闘病記⑫「200分の4の奇跡のはじまり」
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どうしようもない僕を救ってくれたのは、人の縁でした
考えていたのは頭を悩ませていたのは単純な、物理的な常識的な問題点でした。
「さすがに一人じゃ、引越し……できないよなぁ……」
当たり前といえば当たり前の事態。
しかしない袖は振れない。
実際やろうと考えてみて問題は――冷蔵庫、洗濯機、カラーボックス、の三点でした。
いくら空手をやってきて、体力に自信があるとしても、一人で持ち運ぶのは相当無理がある代物。
かといって引越し屋さんなどを使うなど、ただでさえ――というか予定の十分の一しか出来なかったお仕事の時点で大幅に赤字になっている現状、文字通り論外。
どう考えても不可能なものは不可能、僕は頭を抱えて――そして結局、同じように打ち明け、相談することにしました。
誘ってくれた大家さんに――そして手伝いに来てくれた管理人さん、これから先お隣になるかもしれない、住人の方。
ほとんど参加していなかった、町内会の会長――声をかけて集まってくれた、若い人たち。
ありがたくて、申し訳ない気持ちにすらなりそうでした。
だけどとにかく本当に、嬉しかったです。
結局のところ僕は、お金や仕事には見放されたかもしれませんが、人には恵まれていました。
不幸も連鎖するが、幸運も連鎖する、かも
その後、一週間ほど安静にしてある程度は症状が落ち着いたのを見計らい、派遣スタッフに復帰しました。
正直最初はまたキツイ場所で身体を痛めるのではないかと戦々恐々としていましたが――次に回された現場は歩いて45分で行ける好立地なうえ、身体的にかなり楽な現場でした。
作業能率もある程度融通を効かせてくれて、多少遅くなっても左手での作業を許してもらえました。
しかも次の日には使ってないから、と戦友に自転車を貸してもらえ、まだ入居していないにも関わらず大家さんに駐輪場を提供してもらうという文字通り有り難い申し出が続きました。
本当にぼくは、恵まれていると思いました。
ぼくがやってきたことは間違いじゃなかったのかもしれない、と思えました。
そしてぼくはトータル10日ほど働くことが出来、無事年末、実家に帰省することが出来ました。
地元ではみんな優しくて、楽しく過ごすことが出来ました。
念願の空手の忘年会では、すべてを忘れて騒ぎました。
そしてこれには驚きましたが、たまたま有給がたまっていたということで、戦友が初めて地元に遊びに来てくれました。
そんな戦友を家族総出の大接待で迎え、戸惑いながらも忘れられない大切な思い出になったと笑ってくれました。
すべては、ぼくが望んでいた形になりました。
こんなにうまくっていいのかと、それまでの緊張の糸が切れて本当にフワフワとした心地の中に居ました。
そして、それは12月29日の夜8時過ぎのことでした。
ぼくは自室でなにげなく、「ぽぷかる」というホームページをチェックしていました。
ぽぷかる、とはJapan Popculture Awardの略という話で、愛知で開かれる――端的に言ってしまえば東京のコミケを意識したイベント、ということでした。
これを知ったのは、それから約2,3か月ほどのまえのことでした。
Twitterで少しでも、と自分の小説の宣伝の場を検索しているところ、たまたまヒットしたのがきっかけでした。
そこで小説部門の作品も募っている、ということを知りました。
通常のライトノベルの新人賞しか出したことがなかったので一瞬躊躇いましたが、なんのデメリットもないし挑戦だ、とうつ病なりの勇気を振り絞り、応募することに決めました。
それから既に述べた通りなんだかんだと色々とあり、すっかり記憶から薄れていました。
そんな折りふとTwitterの通知でやり取りを思い出して、予告を確認すると、そろそろノミネート作品が発表されるという話だったのです。
正直、期待感は薄いものでした。
小説賞、2%の狭き門
ぼくは長年――それこそその時点で10年以上ライトノベルの新人賞に応募してきましたが、
大手出版社で応募作品数は600程度、
中堅で200前後、
新鋭だと4,50というのが実情でした。
そしてぽぷかるはプロではなく地域活性のイベント、なのでせいぜい3,40程度の応募数を予想していました。
しかし実際ぼくは応募した時の通し番号は、190超。
そしてホームページをチェックしたぼくの目に飛び込んできた文字は――
『ノミネート作品、4作品決定!!』
こりゃないわ……とぼくは苦笑いすら浮かべて上から順番に確認していきました。
今までの賞でしたら、まず一次選考で三分の一、二次選考でさらに三分の一、三次選考でさらに三分の一、そして最終選考で8人の受賞者、という流れの発表形式でした。
しかし今回は一発で、それもたったの4作品。
うんまず箸にも棒にも掛からないでしょう。
「200分の4って……倍率50倍かぁ……」
ぼくはパソコンの前で、ひとりポツリと呟きました。
それまでの僕は受賞どころか二次選考突破することすら至難の業というレベル。
今回はざっと考えて、そのなんと20倍近くの倍率。
無理ゲー過ぎだろ。
「あーこりゃないわー」
ぼくは半分笑いながら、マウスをぴこぴこと操作しました。
一作目、ちがーう。
二作目、ちがーう。
当たり前な結果に笑いが止まりませんでした。
三作目、ちがーう。
はいはいラスト一作。
四作目、青貴空羽。
え。
「え?」
ぼくの心と実際の声が、ダブりました。
そうだ、愛知にいこう
ありえなさ過ぎました。
想像もしていませんでした。
というか事後処理くらいの気持ちでした。
だからその結果に、心がついてきませんでした。
というか、状況を把握できませんでした。
というか意味が理解できませんでした。
率直に言って、信じられませんでした。
「……ンなバカな」
とりあえず保留で、誰にも言わず胸の中に留めておく事にしました。
一応すべての小説を読んでもらっている空手の先輩だけには伝えました。
先輩は素直に喜んでくれました。
だけどぼくは念を押しました。
「いえ、でもまだなんの連絡とかもないんで、実際のところわかりませんから……」
こういう時保険を掛けるのが、今まで報われてこなかった人間の悲しいところでした。
その二日後です。
一件のメールが送られてきました。
概要としては――
『当該作品がノミネートされました、おめでとうございます! つきましては是非授賞式にご来場いただきたくメールさせていただきました!!』
「…………マジ?」
事ここに至って未だ、ぼくは現状を把握しきれずにいました。
しかし愛知に行かなくてはいけないことは確定しました。
だからぼくはその足のままフラフラと、階下のリビングに下りていきました。
そこに家族みんなと、戦友が律儀にも取り込んだ洗濯物を畳んでいました。そういうところ生真面目だからどこ行っても受け入れられるんだろうな。
そこへぼくはポツリと、
「俺……愛知いくわ」
「また引っ越し?」
妹のその疑問は最もな指摘だよな、と思いました。
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