死に至る病―うつ病闘病記⑩「僕を救ってくれた奇跡の言葉」
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無理を通すか、諦めるか
正直ぼくは身体を犠牲にしてでも働こうかと考えていました。
実家にも帰りたかったですし、このままでは当初の通り12月末で関東撤退となってしまいます。
だからすぐにでも仕事を入れようかとさえ考えていました。
多少身体を痛めてでも、ここさえ乗り切ればという圧倒的焦りが全身を浸していました。
しかし腱鞘炎寸前の右手はバッグを掴んだだけで痙攣を起こす有り様。
とても力仕事が出来るような状態ではありません。
それこそ無理すれば――嫌な想像が頭を過り、もはや僕は自分では決められなくなっていました。
そこで、僕は空手の先輩に相談することにしました。
その先輩とは僕が、世界で世界で尊敬している人物でした。
だからといって空手のチャンピオンだとか、そういう風に無闇に強いというわけではありません。
ただいつも穏やかで、周りのことを考えて行動し、決して偉ぶらず、いつでも誰にでも公平に接して、あらゆることを恐れたり軽んじたりせず、自然体が常の人でした。
僕はそんな風になれたらと、そんな風に生きれたらと、そう憧れていました。
そして僕の小説を、すべて読んでくれて、さらにはすべてに心温まる感想をくれていました。
それまで僕が書いてきた小説は、短編を加えると200近くにもなります。
誰より僕の夢を一番応援してくれる、そんな人でした。
実家にいる間は月に一度のペースでアニメイトに行ったりボーリングやカラオケを共にして遊び、色んな悩みも相談しました。
僕の人生において、誰よりも信頼しているといっても過言ではない人でした。
そんな先輩に、僕の現状を告げました。
胸の裡の焦りを告げ、そして前述の無理を強行しようかと考えを伝えました。
その時。
僕は焦燥に焼かれ、恐怖に焦がされていた僕に、先輩がゆっくりと話を全て聞き、たっぷりと間を空けて僕に受け止めるだけの余裕を持たせてくれてから贈ってくれた、その言葉が今でも忘れられません。
それは指示でも、助言でも、そして感想でもありませんでした。
それは、願いでした。
憧れの人の願い
「俺は……青貴には、成功とかそういうものより……心穏やかに、毎日楽しく過ごしてほしいと思ってるよ」
なにを言われているのか、最初の数秒間は理解できませんでした。
そして気がつけば、僕は両目からボロボロと涙を零していました。
それまでの僕は、自分の人生とは夢の為にすべて捧げるべきものだと考えていました。
普通のひとが会社で朝から晩まで週五で働いている中、僕はアルバイトで凌ぎ小説と空手にかまけている。
だから楽しんだり、のんびりしたりしている暇はない。
というよりそんな権利はない。
僕はそんな風に考え、自分の守るべきルールとして決めて、それに忠実に従ってきました。
だからいつからか。
あんなに好きだった空手の稽古も、小説の執筆作業も、楽しいものではなくなり――義務感が伴う、苦しい時間に変わっていました。
いつからか自分がどうしたいかや、楽しいという感情、幸せというもの、それから目を逸らし続けているうちに――その実態を、見失っていました。
そんな僕に、先輩は言葉を投げかけてくれたのです。
夢や成功、職業や社会的地位、財力などより――僕が心穏やかに、楽しく過ごすことを願っていると。
止まらない涙
だくだくと、涙が止まりませんでした。
それは僕が意図したものではありませんでした。
ただ信じられないくらい、その言葉は胸に染みこんでいきました。
心を、優しく包み込むようでした。
僕を、許してくれるようでした。
僕は、今まで自分を縛っていたものが、苦しめていたものがなんなのか、そこで初めて知ることが出来ました。
その後、戦友や父、ハローワークの担当の方にも相談しましたが、みな、誰もが、僕の身体を慮ってくれました。
誰も責めたりしませんでした。
誰も僕に、無理をすることなど求めてはいませんでした。
それは当然と言えば当然かもしれませんが、僕は青天の霹靂とも呼べるべきものでした。
僕を苦しめていたものは、縛っていたものは、他ならぬ僕自身でした。
それにようやく気づいた僕は、焦ることをやめました。
やめて、ただ身体を休めるように努めました。
休むことを努めなくてはいけないというのが情けない話ですが(笑
そのおかげで、先延ばしにしていた潰瘍性大腸炎の定期的な内視鏡検査の予定も余裕を持って組めました。
おかげで大量の下剤ともしっかり正面切って向き合えましたから、色々と危機的な状況に陥らずに済みました、その翌日はじっくりと体を休めましたし(笑
ちなみにその詳細についてはこちらをどうぞ
→不治の病―潰瘍性大腸炎闘病記「余命宣告に下剤地獄と死に瀕する」
その時点では、なんの問題もないようにさえ感じられました。
しかし実質問題として、働けずに、つまりは身体が治らずに三日が過ぎていました。
焦らないようにしつつも少しづつどうするか悩んだり悩まなかったりしているそんな夜に、突然部屋のチャイムが鳴らされました。
絶望の淵で現れた、予期せぬ来訪者
僕は驚きました。
なぜなら僕の家は、新聞の勧誘さえ含めて、今まで一切の訪問者が訪れたことがなかったからです。
「遂に新聞の勧誘かな……?」
大学時代を思い出しながら魚眼レンズから外を覗くと、そこにはとても新聞勧誘員には見えない上品そうな老婆が立っていたのです。
僕は戸惑っていました。
突然の来訪者。
しかもどうも押し売りのような雰囲気はない。
どう対応すべきか、いずれにせよ勧誘ではないならと心を決めて、僕はその扉を開きました。
「あの……どちら様でしょうか?」
僕の姿を身留めた老婆――おばあさんは、上品に丁寧に、その頭を下げました。
「初めまして。わたくし、この建物の向かいの大家ですが」
瞬き二つ。
脳裏に過るのは疑問符。
なんで?
向かいの大家さんがここに?
自己紹介してもらってなんですが、ぼくの頭には余計疑問が増しただけでした。
「は、はぁ……そうですか、それは初めまして……その、それでなんの御用でしょうか?」
怒涛の年末の幕開け
「はい、わたくし、恐れながら向かいから、そちら様がよくベランダにお洗濯物を干しているのを拝見させていただいておりまして」
「は、はぁ……」
「それもしっかりハンガーとハンガーの間を分けて、丁寧にキチンと干しているのを拝見させていただいておりまして……」
「は、はぁ……?」
だ、だからなんなのだろうか……?
「それで、とてもしっかりした方ではないかと想像させていただいておりまして」
「そ、それはどうも……恐縮です……」
なぜか頂いたお褒めの言葉に僕が恐縮していると、大家さんはニッコリと微笑みます。
「それでわたくし、先ほども申し上げましたが向かいの大家をさせていただいておりまして、それで住んでいらっしゃる方にも好評をいただき、長い間住んでいただけていたのですが……このたび久しぶりに、お一人の方がお引っ越しをされる運びとなりまして……」
「そ、そうなんですね……」
「そこでもしよろしければですが――そちらに引っ越していらっしゃいませんか?」
「…………へ?」
文字通り、それまでも十二分なほどに波乱の人生だったのですが、さらにそれをも超える怒涛年末の幕開けでした。
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