”最強王者”ブアカーオ・ポー・プラムック~ムエタイ史上最強の五人

2024年4月11日

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わかりやすい強さ

リングにもたれかかるブアカーオ・ポー・プラムック

この男を最初に書く事にしたのは、彼が1番強いだとか凄いだとかそういった意味合いではない。

これからあげる4人は私が考える限りは、遜色がないのではないかというレベルであり、誰が上と言う事はないつもりである。

理由は、書きやすいからだ。

おそらくは日本…いや今となってはもはや世界的な知名度という意味でも、トップクラスに君臨するといってもそう間違いではないなのではないだろうか。

K-1と言う社会現象が日本全土を尽くし、ゴールデンタイムのお茶の間を席巻した頃、彼は2度のチャンピオンに輝き、若い女性を中心とした人気を手にした。

しかしそういった知名度とは、また別の意味合いもある。

彼の強さが、いわゆる見た目にも分かりやすいと言うことだ。

K-1に出現した超攻撃的ムエタイ戦士

それまで格闘技という土壌がなかった日本という国に一大ブームを巻き起こした、K-1。

最初は100キロ以上の怪物たちがぶつかり合うヘビー級のみのその戦場に、中肉中背が多い日本人にもチャンスが大きい70キロ制限のミドル級であるK-1 WORLD MAXというと舞台。

当然のように期待された日本人王者を、しかし第一回大会は剛腕アルバート・クラウスにより敗北し、しかし第二大会で不屈の精神で日本人初のK-1世界王者となった魔裟斗。

しかしそれを、ムエタイ最強幻想を現実にするその実力と共に圧倒した引きずりおろした男。

それこそが、現地ムエタイでは当時一流半程度の実力と思われ、あくまで当て馬的に日本に呼ばれた――ブアカーオ・ポー・プラムックでした。

倒されない超攻撃的スタイル

私は考えていました。
なぜブアカーオは、他のムエタイ選手が得ることができなかった地位と名声を得ることができたのか?

そう考えた時、1つの回答が頭に浮かんできた。

彼は、倒れなかった。

今までも、そして現在も、様々なムエタイの選手が、世界的にメジャーなキックボクシングと言う舞台に挑戦して、しかしその中で栄光を手にしているのは一部だ。

彼らが最も苦労するのは、苦戦するのが、そのルールの違いだ。

すでにこちらで述べているが、ムエタイは本場であるタイでは格闘技というよりもギャンブルとしての側面が強いので、勝ち負けやダウン、ノックアウトにはこだわらない。

むしろ早い段階で倒してしまっては、ギャンブルが成立せずに、プロモーターに叱られてしまうほどだ。

そういうわけで、鉄壁のディフェンスを誇るムエタイ選手たちも、接近戦での拳のやりとりはそれほど経験があるわけではない。

そうならないように肘打ちや首相撲を駆使して、まずクリーンヒット許す事は無い。

しかしK-1などを始めとした特殊ルール――肘打ちはもちろんのこと、首相撲さえ禁じられた舞台においては――さすがに奥の腕で顔全体を覆い前手を伸ばしたムエタイ独特の特殊ガードでも、捌ききることが難しい。

実際第一回目においても驚異的な足和田で決勝まで進むことができたガオランカウイチットもアルバートクラスに左フックでKO、そして第2回目に登場してきた下げたをキャットフードも優勝した魔裟斗を相手に、後年聖人があのガードはアッパーに弱いと語りその通りに狙われ、KO負けで破れてしまっている。

そして基本的には攻撃する方と守る方では、攻撃する方が有利ということが大きい。

ではブアカーオが違ったのは何か?

遠距離からの上段前蹴り

まず挙がるのが当初の彼の代名詞ともいえる、遠距離からの上段前蹴り。

ほとんどジャブのようなスピードとノーモーションで放たれるそれに、対戦相手はまともにもらって、のけぞり、バランスを崩されました。

現地のムエタイではギャンブルとしての姿こそが本質なので、序盤で圧倒したり、離れてダメージを与えることが好まれません。
もしかしたらブアカーオでその当時実力者と思われなかったのはその辺に事情があるのかもしれません。

そのあたりについてはこちらで詳しく書いているのでよろしければ
ムエタイ幻想の正体〜極真空手家が15年以上研究した末の真実〜

そこから飛び込んでのローキック、しっかり首相撲でロックしてからの膝蹴りの嵐。

両戦術とも、いわゆるタイ本場で見られるような牽制の意味合いなど微塵も観られませんでした。
むしろ打ち据えられている小比類巻が腹、さらに直撃された首を抑えて悶絶、そして魔裟斗が全身ミミズ腫れになっていく様子こそ、見ていられないほどでした。

肘打ち無しのハンデなど、もはや感じさせませんでした。

初出場のその圧倒的強さの為、K-1で首相撲が禁止になったと言うのはあまりに有名な話。
上段前蹴りも禁止になったのではないかと言うほど、それ以来ブアカーオは前蹴りを出さなくなりました。

しかしそのルールの変化にも対応してしまったのがブアカーオ。

左ミドルキックの速射砲と、強烈無比な右ストレート

対戦した皆が言っているように、彼の左ミドルは異常に早かった。

強烈だったという印象は薄いらしい。

それよりも速射砲のように、のべつまくなく打ちまくる。
それにより間断をなくし、相手に付け入る隙をなくす。

ムエタイ元来の、思い切り交換してリズムを作り、ポイントを取るものとはまったく違う使い方により、完璧に試合をコントロールしてポイントをとってしまいました。

個人的に最も素晴らしい戦いと思ったが、あの鉄の拳の意味を持つマイク・ザンビディスとの1戦でした。

拳を当てるどころが、全く間合いに入ることもできずに、本当に左ミドル1本だけで、完全に戦いを組み立て、間合いを制し、戦いを制し、まさにパンチを、ボクシングを、ムエタイが制した一戦でした。

そして肘打ち、首相撲の代わりに会得してしまったのが、強烈無比な右ストレート。

彼自身のパンチの才能も大きいだろう。

2006年のグランプリなど、ムエタイ選手にもかかわらず準決勝の日本グランプリチャンピオンの静かなる壊し屋佐藤嘉洋と、決勝では魔裟斗にも勝利しているシュートボクシングの完成形とも言われるアンディサワーに連続でパンチでのでKOを収めてしまうほどでした。

ムエタイ出身で、あれだけパンチでなぎ倒している選手も、当時ではほとんど見受けられなかった。

ハードパンチャーと知られるアヌワットーゲーオサムリットも強かったが基本的に大振りであり、ボクシング技術という点であれば個人的には及ばないと考えている。

それに、目が良かった。

肘がなくても、首相撲がなくても、相手のパンチを目で確実に把握して、紙一重で躱すテクニックが並外れ、神懸っていた。

そしてなにより、ムエタイ戦士としての地力が桁外れだった。

後年、当人がメインだったり主催したムエタイの大会に於いて、何人もの強豪ヨーロッパ選手などを、肘打ちで葬っている。そもそもK-1の最初の出場でも、首相撲からの膝蹴りで皆何もさせられずにリングに沈められていた。

ブアカーオの強さは、秘めたるその類まれなるボクシングセンスと、ネオ・ムエタイと言っても差し支えない日本独自のキックボクシングルールに完全対応した高速左ミドルキックや突き飛ばす上段前蹴り、相手を転ばせるローキックなどの技術に加えて、確かなムエタイとしての下地が融合した、まさに時代が生んだ最強王者だったのだろう。

世界に飛躍したスーパースター

史上最強王者、K-1WORLDMAXで優勝して優勝カップを抱えるブアカーオ・ポー・プラムック

ブアカーオは結局、その余りにも鮮烈な活躍によって、日本どころか世界中にも知られるほどのスーパースターとなってしまい、その名声や実力は、初出場から15年が経った現在すら陰りや衰えを見せることはありません。

実際彼の名を冠した大会や、彼がプロモートする大会が世界各地で行われ、大盛況を博しています。

そして彼の最も強烈な武器を封じられた日本とは違い、海外では強烈な首相撲からの膝蹴りでノックアウトの山を築き、肘打ちで何人もの顔面を切り裂き、リングを血で染めています。

実際K-1の煽りでも言っていましたが、選手の多数が貧困のためにムエタイを選ぶ状況の中、彼は純粋に強さを求めてムエタイをやっていました。

そしてK-1で活躍したことで、そのあまりにも華麗な戦いぶり、そして男の私でも惚れ込みなほどの甘いマスクによって、想像を絶するような人気を博しました。

それまでの単純なギャンブルとして国内だけで行われていたムエタイという、その体質を崩した、大いなる1人と言う事は間違いなくいえるでしょう。

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