まっしろな夏と、黒いかげ⑤

2019年11月9日

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 妹を抱きかかえようとしてた手を思い切り引き、右半身の体勢から半回転して、遠心力を目一杯利用して力いっぱい地を蹴った左足で、熊の右手の腹――猫でいう肉球を、狙った。

 僕の最も強力で、かつ、絶対の得意技。右利きなのに凄く器用で綺麗だと、おとうさんにも誉められた。僕の必殺の蹴り。

 昔おとうさんも大きい動物を倒したことがあると聞いたことがあった。
 だから、はくりゅうからては無敵だ! とか、僕ももしかしたら、とか、そういう甘い期待があったのかもしれない。

「つあっ!」

 だけど現実には――蹴り足は熊の右手の腹に触れた瞬間、叩かれた方向に吹き飛ばされ、体が反転した。

 脊髄から頭のてっぺんに突き抜けるような激痛に、顔が歪む。
 まるで世界にひびが入ったかのような衝撃。
 痛すぎて、逆に笑えた。こんな痛いの、現実なわけがないって。

 呻く間もなく、また熊が左爪を振り上げる。

 ――くそぉ!

 ほとんどヤケクソのような気持ちのまま、ほとんど考えなしにただ思い切り、同じ足でその爪めがけて蹴り上げた。
 妹を守らなきゃいけないという、ただその一心だった。

 ぼり、

 という、何かが硬い物が磨り潰されるような音が、体を走り抜けた。





 一つや二つにじゃない。

 左足の脛がバラバラに砕かれる感覚に気が遠くなりながら、今度は身体ごと飛ばされる。
 歪に体をねじりながら、三メートルほど先に受身も取れずに背中から落ちる。息が詰まる。一瞬目が回り、上下感覚が喪失する。痛みが体中を侵食する。
 足を押さえて叫びながら転げ回りたい衝動を必死に押さえつけ、頭をめぐらし、熊の姿を探す。

 白いカーテンのようなテントの生地、硬そうな四角い柱、積み上げられたランタンやリュックや折り畳み椅子やガスコンロなどの荷物、三角形に切り取られた外の風景、

 いた。

 視界に捉えた熊は、こちらに向かっていた。
 立つ暇もない。熊は、走ってきていた。そのまま、頭から突っ込まれる。

 どん、

 という衝撃を胸に受け、妹とは反対側の端の柱に、テント全体が大きく揺れるほど激しく背中を打ち付けられる。

「――っぁ」

 ゆっくりと、前に落ちる。うつ伏せに、倒れた。

 胸が激しく痛む。

 まるで体全体が軋みを上げているかのよう。

 あばらの二、三本も折れたのかもしれない。

 胸を両手で押さえて、苦しくて体を折ると、床の木目に水滴が落ちた。
 顔に水がついてた。

「……っか、――っは」

 僕は自分でも気付かないうちに、泣いていた。
 身体がガタガタと、誰かに揺すられているかのように激しく震えている。
 ここに来て初めて、等身大の、現実味のある恐怖を感じた。


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