まっしろな夏と、黒いかげ④

2019年11月9日

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 ……でかい。

 後ろ足だけで立った状態の頭が、天井近くに達している。おとうさんでもそこまで届かなかったから、おそらく百八十近くあるだろう。
 体の厚みはおそらく僕が両手を回しても足りないくらいはある。
 テレビで見た相撲を思い出す。あの力士さんたちは腰周りがこれくらいあったが、この熊は腕も足も全てがバランスよく巨大なのだ。

 背筋に、冷たいものが流れるのを感じた。今までの鬱陶しく暑かった汗が、急に体中を冷やしていく心地がした。

 熊はきょろきょろと辺りを見回したあとこちらに気づき、その大きな体をゆっくりと折り、屈んだ姿勢でこちらにのしのしと近づいてきた。

 気づく。

 人間とは違う尖った口の端から、涎が垂れていた。唇がめくれ、凶々(まがまが)しい牙が覗く。
 意図に気づき、足元から背筋にかけて冷気が駆け上がっていくような心地を味わう。

 ――まさか、食べる気か?

 恐怖で口に溜まった唾液を、飲み下す。
 ……冗談じゃない。

「沙那」

 僕は逃げようと思って、傍らにいる沙那を見た。

 沙那は驚愕と衝撃で腰が抜けてしまったみたいで、ぺたんと座り込んだまま目を見開いて熊がいる方を呆然と眺めていた。
 もう一度声を掛けたが、まったく反応が無い。
 まるで魂が抜けてしまったみたいに瞳を揺らして、熊を見つめている。
 とてもじゃないけど、こんな状態では立ち上がらせてなおかつ走らせるのは、無理のようだった。

「……沙那、逃げるぞ」





 熊を刺激しないように小声で声を掛けて、抱き抱えようとしてしゃがみこむ。
 その時、

 グアァ――ッ!

 唸り声とともに、熊がいきなりこちら目がけて駆けて来た。
 前足と後ろ足をバネのように使って全身で跳ねるように突撃してくる。

 突然の出来事に慌てて僕は逃げようと、沙那を抱きかかえようと手を伸ばした。

 だが、当の沙那の方はこの事態の変化に急に恐怖を思い出したようにガタガタっと震え、暴れるように後ずさり始めた。
 そのせいで掴もうとした手は擦り抜けて、空を切る。

「っ……」

 慌てて追いかけて、再び抱き上げようとした瞬間、既に目の前まで迫ってきていた熊が僕のちょうど左脇にいる沙那目がけて、左の前脚を振り上げるのが見えた。
 考える時間など、微塵も無かったように思う。

 その瞬間、長年練習して体に染み込ませてきた技が自動的に飛び出した。
 実戦の場においては、この時はこうして、や、この時はこう考えて、などと悠長にやってる余裕は無い、と実感した。
 実際役に立つ、出るのは、身につけたものだけなのだ、と。

 左上段廻し蹴り。


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