”空手革命家” 塚本徳臣⑦ ~肺炎出場に始まる冬の時代から6秒瞬殺一本勝ち、優勝取消迄の混沌時代

2020年8月3日

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プレッシャーが、勝たなければならない、そういう重圧が限界に来ていたのだろう。
それは、当時のインタビューでもたびたび耳にしていた。

そして、本人が語っていた。
優勝するたび、稽古時間を1時間伸ばす。
それが事実だと――そして真実事実なのだろうから、33連勝していた彼は当時、1日一体どれだけの稽古を積み上げていたのだろうか?

運命の分岐点は、第30回全日本大会。
彼の体は、巨大と言ってよかった。その威圧感たるや、凄まじいとしか言いようがない。

しかしその試合直前、彼は肺炎にかかり、緊急入院していた。
そして試合当日、全く治ってはいなかった。
事実として、1回戦2回戦、なんとかかんとか無理矢理手を出しているといった様子だった。

彼を知る、近しい人々は棄権をすすめた。
当然のことだった。
勝つ勝たないどころか試合など、出来るような体調ではない。

しかし彼は強行出場し、そして3回戦で敗れた。

その翌年に迎えた第7回世界大会、彼の体重はベスト体重を10キロ近く下回っていた。
皆、その変化に驚いていた。
しかし初戦は、秒殺1本勝ち。ほんの少し、大丈夫かと言う雰囲気が漂ったが――迎えた次戦、対戦相手は確かにのちのヨーロッパ大会重量級準優勝の強豪ではあったが、打たれるままに脾臓を打たれ、全く押し返せない展開。
かろうじて勝ちを拾い、次の4回戦では中量級の選手を全く捉えきれず、ダメージを与えられず、体重判定によって敗れる。

しかし翌年の全日本ウェイト制大会で復活を印象づける力強い組み手で優勝を果たし、同年の無差別での第32回全日本大会では、異次元の強さを魅せ付けた。

世界大会翌年を思わせる、6試合中4試合の1本勝ち。

そのうえ準々決勝では、のちに世界大会準優勝を果たす体重110キロを誇る逢坂祐一郎から、極真レコードに残る開始わずか6秒という最短記録のマッハ蹴りによる瞬殺を奪う。

まさしく圧倒的な強さを見せつけ、完全復活を世に知らしめた。

――しかし後、その第32回全日本大会の優勝は取り消されることになる。

ドーピング検査で、陽性が出た為だ。事情を知る人によると実際のところそれはドーピングではなく、知り合いから受け取った風邪薬だとかマリファナであったとか様々な話が飛び交っているが、しかしそれにより1年半の出場停止処分となった。

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