Ⅰ/箱庭の世界⑤

2019年11月17日

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 不意にかけられた声に、祖母は振り返った。

 白の生地に鮮やかな赤による装飾がなされた、神父服。

 一歩離れたそこで、神父さまが慈悲の笑顔でこちらを見つめていた。

 祖母は慌てて居住まいを正し、

「いえ、そんな……神の子たる我々の義務のようなものですし……」 

 作られた笑みに、神父は温和な笑みを浮かべる。

「義務ではありません、権利です。それをみんな、なぜかお忘れのようだ。我々は神に、祈ることができるのです。それは神の子たる我々が与えられし最大の幸福であり、権利なのですよ?」

 わかりきっている。

 その言葉を祖母は、口をつぐんで抑えた。
 神父はなおも声を上げ続ける。

 たったひとりしか観客がいない、オペラでもやるかのように。

「しかしその権利を、幸福を行使しようとしない残念な人々が、巷にははびこり過ぎている。だがヴィレムさん、あなたは違う。あなたはこうして毎日その権利を行使し、幸福を享受されておられる。素晴らしい! 感服いたします。まったく、みなそのようになられればこの時代ももっとよくなるというのに……」

 そして芝居がかったように神父は頭を抱える。その仕草に、祖母は帰宅したくてたまらない心地になっていた。

 祈るだけで時代がよくなるなら、そんな苦労はない。

 だけどこうして祈りに来ている自分がいることもまた、事実だった。

 そしてそんな自分は決して神父のこんな口上を聞きに来たわけでもないと、理解もしていた。

「しかしヴィレムさんは毎日教会にこられ、本当に熱心に祈られておりますね。いったいなにをそんなに祈っておられるのか、正直興味があるところではありますね」

 そして詮索まで始める始末だ。

 正直さっさと退散しようかと考えた。

 だけどなぜか、気まぐれが働いた。なにがきっかけかはわからない。
 しかし祖母はなんとなく、この大仰で好奇心旺盛な神父にことの真相を離してやる気分になった。

「――私はただ、たったひとつのことを願うだけですよ」

「ほう、たったひとつのことですか? それはよほど重要なことなのでしょうね。いったい、どんなこと――」

「あなたはなにか、願いがありますか?」

 唐突な言葉に、神父の猜疑心が一瞬かき消える。まさか懺悔を聞く立場の自分が逆に質問を受けるなどと、考えたこともないという顔だった。

「……私の願い、ですかな?」

「そうです、あなたには願いがありますか?」

「そう……ですね。あまり自身の願いなどと大それたことは抜きにして、世の平穏、神の子たちの幸福を念じてきた身なのですが……」

 嘘をつけ。

 反射的に祖母は思っていた。
 そんな御仁が祈りに来ただけの信者にここまで話し込むわけがない。
 結局この男は、ただ暇なだけなのだ。

 しばらく考える素振りを見せたあと神父は、

「……あえて言えば、お金でしょうか?」

 これはまたストレートにきたものだ。
 祖母は感心すらした。
 そこまで真っ正直にこられると、こちらもぐうの音も出ない。
 そう思っていたのだが、

「こういうと俗な響きがするかもしれませんが、そうではありませんよ? いまのこの時代、なにをするにもお金がいるでしょう? 逆にいえばお金がないというのは、手足がないにもひとしい状態とも言えなくはないですか? そういうわけではわたしは必要最低限のお金があればことたりるかな、と」

 その必要最低限の具体的な金額を知りたくもなったが、まぁこの男らしい解答かとも思った。





「それで、ヴィレムさんの祈りとはいったい?」

 相手も答えたのだからというもっともらしい理由をつけて祖母は、

「ただ、たったひとつ……私の可愛いアレ=クロアが、どうか生涯を穏やかに過ごしてくれますようにと――」

 それは、その時だった。

 教会の扉が、大きな音を立てて刎ね開かれたのは。

「え……」

 神父はそれに、呆気にとられたような声を出す。
 突然の出来事が、理解出来なかった。
 なぜこの神の家に、自身が予測できない事態が起こるのかと。
 しかしそれとは対照的に、無学な祖母は理解していた。

 なまじ学などなく、そして予測など出来ようもない世界に生きてきたため、祖母は体感として、理解していた。

「アレ……」

 これが、終わりの始まりだということを。
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