空手家でもなく、空手愛好家でもなく、空手をしている人です

2019年10月11日

空手してるひと。

子供の頃は、ひたすら空手が好きだった。

昔からバトル漫画が大好きで、バトルアニメが大好きで、格闘ゲームが大好きで、そんなのばっかり見てて、実際自分でそんな感じの技を出せる空手が大好きで。

土曜日とか日曜日の朝は10時位から空手の練習を始めて、だけど子供だから効率的だとか、集中してとか、そんなことできるわけもなくて、バラエティーとかアニメだとかそんなの観ながら、だらだらだらだら1日中空手の練習をしてたりした。

自分の師匠でもあり父から、子供の時言われた一言。

お前には才能がない。

逆に、一緒に空手をやっていた弟は、天才と言われていた。実際センスは凄まじいものがあった。比べられることこそなかったが、それは実感していた。

全く気にならなかった。空手が好きだった。そして、稽古そのものが好きだった。正拳中段突きして、前蹴りして、腕立て伏せをして、腹筋をして、サンドバックを叩く。それ全てが大好きだった。

いつか父からの評価が、お前は空手愛好会になった。空手家ではないが、空手を好きでやっている人と言う意味だ多分。

すっ飛ばしてすっ飛ばして、そして数年前から、空手愛好家ではなくなったと自覚した。きっかけとしては、極真空手の創始者である大山倍達が説いた、空手の理念である、点を中心として円を描き線はそれに付随するものなりと言う意味を自分なりにある程度は深い意味で解釈できるようになったことが起因する。

空手家として、自覚ができた。だが、同時に疑問もわいた。

だからなんだ?

空手愛好家と、空手家。確かに習熟度が違うかもしれない。だけど、現実としてその時の自分はうつ病真っ盛りで、まともに稼ぐこともできず、そして体力の低下のせいで2年連続大会に出ることもできなかった。

それからまた2年ほど経って、主として羽生善治の本を、そして動画も、あらゆるものをあさりに漁って、その結果として導き出されたものがある。

私は空手愛好家でも、そして空手家でもなく、空手をしている人だと。

卑屈ではない。空手愛好家といえるほど、子供の時のように情熱を持って稽古を続けているわけではない。

そして、私は空手家ではない。なぜなら、それで稼いでいないから。それに関しては父と見解が一致した。家がつく以上は、それで稼ぎ、生計を立てる必要があるだろう。

じゃあ何なんだ?

空手をしている人。

この言葉には、いってんの嘘も含まれていない。私は現在、週4日から5日ほど、1回2時間強ほどの稽古を続けている。そして、日々研究を重ね、稽古内容も改善を続けている。今日より明日、そして明後日、より深く空手を理解出来るように、精進できるよう努めている。

だが、そこに明確な目的があるわけではない。現在私はチャンピオンと言うものにそこまでの価値を見出していない。

ただ道を歩いている。ただ稽古している。空手をしている。

私は、空手をしている人だ。
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