自分が信じられなくて、勇気を持てなくて、ようやくわかった自分というモノの真実

自分と言うものが、何なのか。

子供の時から、何か妙な感じがしていた。

鍵を閉めること、ガスを止めること、特にトイレはいつ行きたくなるか、恐怖を覚える位だった。

父は厳しい人だった。だからこそ、その影響があるのかもしれない。

つい先日、自分が神経症であると分かった。

科学の名言で、神は細部に宿ると言うものがある。

小さいことかもしれないけれど、気になってはいた。朝出かける時、何度も何度もガスの元栓を注意して、窓を調べて、ドアを何度も何度も何度も何度もガチャガチャする。

4月から施行される派遣法の改正に伴って、うつ病の影響で派遣スタッフで食いつないでいた私は、窮地に追い込まれていた。

こうしてこうしてこうやっていこうと、ほぼ決めても、どれだけいろんな人に相談しても、不安が消えることがなかった。

最後の最後、とことんまで話し合って、それがわかった。

論拠がない、根拠がない、保証がない未来が怖くてたまらない。

それが何なのか、ようやくわかった。

私は、自分が信じられなかった。

空手に小説に、一生懸命がんばっている自分が大好きだし、うまくいってほしいと心から願ってはいる。

だけど今までの報われない日々の為、そして神経症の為、自分が誰かに認められると言うことが信じられず、だからこそ確証のない日々に飛び込む勇気が持てず、どうしても前向きにならずにきた。

それじゃダメなんだ。
自分を変えなければいけない。

勇気を持って、何より大事なのは、自分を信じて。

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確証なんて決して得られる事は無い。なぜなら未来ので、確定していないからこそ未だ来ていないと言う漢字が当てはめられているから。

だからこそ、敬愛する羽生善治先生が言うように、適当ではなくこれまで蓄積してきた経験や知識から迷いなく浮かんでくると言う直感を、信じて。

論拠がないとか根拠がないとかそんなこと言わずに、勇気を持って。

自分を掴み取る。
未来を掴み取る。

私は心の底から、そんなふうに生きていきたいと、願っている。
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