死に至る病――うつ病闘病記⑦「人生転落からの、感情の萌芽」

2023年11月13日

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人生の落後者、恥さらし

将来は破滅

正直言ってその時の事は余り覚えていません。

ほとんど目を合わせず、顔を伏せたまま、ポツポツと尋ねられたことを答えていたように思います。

人生の落伍者。
将来は破滅。
ただの恥さらし。

言葉にすれば、このような形容詞が自分についていたように思います。

ここに来たことを、日本と言う国の形式上、働けなければ生きていけないから。

そして一応自分の会社からの話から、こういった状態ですので、失業保険がもらえないかと言う、そういう話もありました。

しかし、結局のところ友人の会社ではそういった福利厚生雇用社会保険には入っていませんでしたし、それより以前の会社では離職してすでに1年以上が経過していたので、それは無理との話でした。

それを聞いたとき私の頭をよぎったのは――

死ねって言うのか?

死ねって言うのか?

もはや頭の中は、闇に覆い尽くされて、真っ暗闇しか見えない状況。

そんな中自分の担当は、至極真っ当な質問をしていたように思います。今日はどのような御用向きですか? どのようなお仕事を探していますか? 現在の状況はどのような形ですか?

目線も合わせず、ぶっきらぼうに、やけくそ気味に答えていました。
仕方なく、辞めざるをえなくて、どうしようもなく、どうしようもないやつなので――おおよその形は、そのような答え方だったと思います。

自暴自棄は、極みまでいっていました。自己肯定感はほぼゼロに近い。事実として、このようなところで立派に仕事を斡旋、指導している立場から見れば、もはや相手にすることもないだろう人間だろうと……。

そのように見限り、あきらめ、後は恥だけ晒してさっさと帰ろうとしていた私に、なぜか彼は沈黙と、真剣な視線をよこしてきたのです――

わからない、なぜ?

なぜ、聞いてくれるのか?

正直よくわかりませんでした。

どうせ薄笑いされて、適当に流されて、それでも無理やり仕事を探させられてやっぱりうまくいかなくて、ただ余計に肩を落として帰るだけだと、そう考えていました。

なんでそんなに真剣にこちらの話を聞くのか。

なんで一言も口を挟まないのか。

私は戸惑いながらも、そのまま、すべてを洗いざらい、語り尽くしました。
その時の私には、言葉を装飾している余裕などありませんでした。

「どうして?」

逆に問われていました。
戸惑いは増すばかり。
何がどうどうしてなのかわからない。

断片的な記憶

その時の私には全てを、記憶する余裕がありませんでしたので、彼の言葉は断片的に残っています。

「なぜ、そんなに卑屈になる必要があるのか」

「なぜ、そんなに私があなたは責めると思うのか」

「あなたは、精一杯やってきて、素晴らしい人生を送ってきたじゃないか?」

言葉に詰まりました。
次の言葉が出てこない。
ただ、私の胸はうち震えていました。

私は笑われて、嘲笑されて、相手にすらされず、うち捨てられて、それで当然の人間だと思っていました。

だから何も成せずに実家に戻って、全てが終わるんだと、そう思っていました。いや、そんなことすら考えられませんでした。ただ、どうしようもなくダメだと。

だからそんな風に言われても、うまく頭を切り替えることなど出来ませんでした。

関東の父

彼は、そんな私をまくし立てることなどしませんでした。
ただ全てを受け入れて、聞いて、その上で私の言葉を持っていました。

その時もし私にただただ前向きになれなどと説教されていたら、私はむやみやたらに反発していたかもしれません。

その日、彼は2時間もの間、私の言葉に付き合ってくれました。
私の心に寄り添ってくれました。
後に聞いた話ですが、ハローワークでは1人の相談は基本的に30分と枠が決まっているそうです。
彼はそんな規定を無視して、ただただ私のために時間と心を預けてくれたのです。

バカみたいな話かもしれませんが、その時の私に彼は、まるで関東の父のように感じられていました――

芽生えた感情の芽

夢うつつ

全てを吐き出して、ただうなずいてもらって、そんなに時間が終わり、私は帰宅しました。

正直夢うつつでした。
まるで現実では無いからようでした。

ですが、初めて、ほんの少しですが、肩が軽くなったような気がしました。
襲いかかる重たいプレッシャーが、少しだけ外れたような錯覚を起こしていました。

家に帰って、久しぶりに父に電話してみました。

この会話は、ほとんど覚えていません。
ただ、今の自分をほとんど笑い飛ばしてくれたような覚えがあります。
激励してくれたような、そんな印象が残っています。

父は、自分如きに傷つけられるような、そんなヤワな武道家ではありませんでした。
自分の罪から目を逸らすような後ろめたさはありましたが、さらに少し、肩が軽くなったように勘違いしました。

その日も私は、夜遅くまで眠れず、昼を過ぎるまで起きる事は出来ませんでした。
不安の波が止む事はありませんでした。

だけどそんな苦しみの日々の中で、いくつか目標というか、次の日になったらやってみようと思うことがありました。
出来ました。

話をしてみよう

また、ハローワークに行こう。

そして、話をしよう、そして話を聞いてもらう、話を聞こう。

電話をしてみよう。
何人かの信頼できる人に、話を聞いてもらおう、話を聞こう。

目標と言ったら、ちゃんと生きている人に怒られるかもしれません。
働け、うだうだ言ってないで動け、甘えてるんじゃない、そんなふうに言われるかもしれません。

ある意味ではそれこそ甘えだったのかもしれません。外にすがるものがないから、必死になってすがっていただけかもしれません。

だけど、突然何もできなくなって、絶望の淵で、ただお金がゼロになるのを待つだけだった日々。
ただ1つだけ、芽生えたこの感情を、私は手放したくありませんでした。

それこそすがるものがなかった私にとっては、それは唯一の、救いとも言えるものでした。

そんなふうに思いながら、布団にくるまって、それだけを目的に、恐怖の夜と戦いました。

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