Ⅲ:なめくじお化け

2020年4月25日

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 顔を上げ、ゲロと鼻水と涙を振り切って、駈け出した。
 村の中を、見る影もなくなりただ死体と丸太と瓦礫とそこから上がる煙が無残な現実を伝えるそこを、駆け抜けた。

 大切な人に、呼びかけながら。

「お母さん、ミレナ……ど、どこだっ!」

「おかあさ――」

 ミレナの声。それに振り返ると――



 見たことがない"なにか"が、横たわっていた。



「な――――!」

 息が、詰まる。
 それは、今まで見たどんな動物とも違った。

 体長は二メートルほどか。
 なめくじのようなぬめった表皮と形をしており、全身からは不気味な針のようなものが突き出ている。
 手と足も生えているのが、さらに不気味だった。

 それが、掻き消えた。
 次の瞬間、壁に大穴があいた。

「……は?」

 意味がわからず、エリューは呆けたような声をあげた。
 その他と比べまだ原形を留めている家屋の壁がなくなり、その場所になめくじお化けがいた。
 なにが起こったのか、まったくわからなかった。

 その壁の向こうに、誰かが立っていた。
 赤いドレスを着ている、女性。
 そのなめくじに背中を向けて、そして丸めていた。

 不思議だった。
 そんな異形の化け物相手に、そんな無防備な姿を晒していることが。
 よく見ればそれは、何かを抱えているようにも見えた。

「……ミレナ」

 ――何かを守っているように、見えた。

「う、ウソだ……」

 よく見るとその背中には、無数の傷が走っていた。
 斜めに、背中全体を切り裂くような形で。

 着ているのは赤いドレスではなかった。
 それにより背中全体は、血に濡れて地面にまで滴っていたのだ。

「おかあ、さん……?」

 それは、ミレナの声。
 そして、さっき聞かれたのは――

「ミレナ、聞きなさい……お母さんのことは、忘れなさい。そしてエリューと一緒に、逃げなさい……お父さんとお母さんは、二人を愛してますからね」

「お、おかあさん?」

「行きなさい……」

 そしてその背中――お母さんは、腕に抱いていたミレナを、突き飛ばした。
 茫然とした様子のまま、ミレナはエリューの腕に収まる。

 そしてその、化け物が撥ねた。

 同時にその背中が、真っ二つになった。

「――――」

 エリューはその光景を、真っ白な気持ちで見ていた。

 なにも感じない。
 なにも考えられない。

 真っ二つになった背中は、それぞれがまるで塵屑のように地に落ちていった。

 そこから濁流のように、血が溢れだす。

「っ……み、見るなッ!」

 ミレナの顔を、手のひらで覆う。

 ミレナに反応は、一切見られなかった。
 まるで人形のようにされるがまま、自分たちの母親がいた場所を見つめていた。

 エリュー自身も、目を覆いたくて仕方がなかった。

「う、うそだ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ、ウソだ……っ!」

 込み上げる吐き気と涙を必死に堪えて、妹を抱えて駈け出した。

 お母さんに、頼まれた。
 それこそ、命を賭けて。
 応えないわけには、いかなかった。

 後ろを振り返らず、一心不乱に駆け続けた。

「うっ……ぐ、ぇ……う、ぅうぇ……っ!」

 嗚咽だけが、喉から絞り出され続けた。

 ミレナからの反応は、それでもない。
 ただエリューに、連れられるままだった。

「……ねぇ、お兄ちゃん?」

 全速力で駆け続けて、二十秒弱。
 とつぜん妹から、呼びかけられた。

「ハァ、ハァ……な、なんだ?」

「お兄ちゃん……お母さん、どうなったの?」

 思わず足が止まりそうになる。

「ミ……ミレナ」

「村のみんなは?」

「あ、あのな……」

「みんな、どこにいるの?」

「…………っ!」

「ねぇ……なにか言ってよ?」

 言えるわけがなかった。
 エリュー自身が誰より現状を否定したくてたまらないのだ。
 具体的な事実など、告げられるわけがない。

 それがミレナに、拍車をかけた。

「――お母さんっ!!」

 とつぜん、としか言いようがないタイミングでエリューの腕の中から飛び出し、走っている方向とは逆に駆けだす。

 それにエリューは慌てる。

「み、ミレナ!? 待て、そっちに行っちゃだめだ! 戻って――」

「お母さんっ! クディおじさんルテアおばちゃんミニキちゃんサンパちゃんラニちゃんスンケくんローイおじいちゃん……っ!」

 それは、魂からの叫びだった。
 心の奥底から絞り出される、救済の声。

 戻して、と。
 自分が持っていた望む現実を、この手にと。

「…………」

 それに一瞬、エリューの心がブレた。
 それはエリュー自身も心の底から望んでいるものだったから。

 なにもかも、あとのことだった。



 妹の首が、宙に舞った。



「――――あ」

 ただ声が、喉から漏れた。
 他にはなにもない。

 指の隙間から、砂がこぼれ落ちるイメージが湧いた。
 それをすくい取るすべは、自分にはない。

 じゃりっ。

「…………ッ!」

 音に、振り返る。
 なめくじお化けは、その体を引きずりながらこちらに迫っていた。

 ――だいたいなんなんだ、この生き物は?
 今まで見たことも、聞いたことだってない。
 ベーデ婆ちゃんが言っていた戦わなければならないというのは、このことなのか?

「はっ、はっ……ちっ……くしょう!」

 息切れして、堰き切ったように涙が零れだす。
 なんで自分がこんな目に遭っているのか?

 ずっと田舎で、平和に暮らしてきたのに。お母さんとミレナの三人で、変わり映えしないけど楽しい日々を過ごしていたのに、こんな……こんな――――っ!

 なめくじお化けの姿が、掻き消えた。
 その瞬間、エリューはミレナの頭をその胸にかき抱いていた。

 母が最期に、そうしたように。

 最後まで、目は閉じなかった。

 すべてが、スローモーションのように映る。
 これが死の直前に起こる走馬灯というものなのか、その時のエリューには判断がつかなかった。
 なめくじお化けがゴムのように縮み、弾け、跳び、こちらに向かって身体を伸ばす。
 それに伴って全身の針が伸び、手が自分の肩を掴み、その針が、自分の首を薙ごうと――

 バンッ、と弾け散った。

「――――え?」

 思考、体、共に凍りつく。
 目に映るのは、飛散した血、肉。

 しかし肩には先ほどまで自分の身体を固定していた手が残されていた。
 ぬめったそれは、確かに自分を襲っていた状況を証明するものだった。
 全て確認したが、現状はわからない。理解できない。

 視線を前に。
 霞のように漂う、元化け物の破片。

 その向こうに、一つの人影を見つけた。

「――――」

 肩口までの完璧な白髪(はくはつ)と、透き通るような肌。
 その碧い瞳はどこか眠たそうに細められており、髪と同じ色の長いローブを纏っていた。

 それは、一人の若い女性だった。

「少年よ、無事かね?」

 話しかけられた。

 それに一気に現実感が、津波のように襲ってくる。

「あ……あ、の……そ、の……」

「命拾いしたね、少年」

 どくんっ、と心臓が脈打った。

 途端、いつの間にか止まっていた涙が、せき切ったように溢れだす。

「あ、ああ……うあぁ、あ……ああああアアアアアアアッ!!」

 その日、自分の日常が崩れ去ったのを、知った。
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