Ⅰ:永久なる幸せ

2020年4月18日

 子供の頃はずっと、お母さんの子守歌で育った。

 記憶の中ではいつも、暖炉に火が入っていた。
 暗くて寒い外を避け、暖かく明るいその火の傍で、揺り椅子に座る母の膝の上で、いつもうたた寝をしていた気がする。
 暖炉の柔らかい茶色や、火の焼きつくような赤、それにいつも着ていた母のベージュ色のカーディガンまで、鮮やかに思い出せる。

【tira ek sola suta tanbina de sona fui kim】

 意味がわからないその言葉の羅列が、何故か心地よかった。
 胸のうちが温かくなっていくような、そんな不思議な感覚。

【staglan dior hep ordina til sora stidacoura tonde】

 母の声は、身体に染みていくようだった。
 まるで守られているような安心感を覚え、体中の緊張が解けていた。

 それに幼い時分は、すべてを任せて瞼を閉じていた。
 なにも心配はいらない。
 そんな風に、諭されているようで。

 この世界に永久(とわ)の平和が続くことを、固く信じて疑わなかった――



 ばちーん、と顔を叩(はた)かれた。

「で!」

 声として飛び出たのは、ただ一言。
 あとはもう声にもならない。
 ひたすらに鼻っ柱を押さえて、痛みに耐えた。

「~~~~っ」

「おにーい、ちゃん?」

 耳に届くのは、傍目にはどう考えても可愛らしいとしか表現のしようのない猫なで声。
 しかし今の自分には、とてもそのまま受け取れるようなものじゃなかった。

 顔を上げる。

 そこに、声通りの外見を持つ可愛らしい妹が満面の笑みを浮かべ――

「ま、待て待て待てってミレナ……うわぁ」

 手に持った"バケツ"の水を、ぶっかけてきた。
 ばしゃあ、という派手な音とともに――頭から腹から足から寝ていた下のベッドまで、もうホントびしょ濡れになる。

「あ"、あ"、あ……あ"ぁあぁあ"あ"っ!」

「きゃは、きゃは、きゃは――キャハハハハハハハハっ!」

 口の中まで水で満たされて出てきたゴボゴボ声に、ものすごい満足げな嘲笑いが降り注いでくる。
 それに髪から口元からダラダラと滴を垂らしながら、

「あ、あのな、ミレナ……どうしてもお前は、普通に起こすってことができないのかな?」

「どーしてもっ!」

 語尾に音符がつきそうなほどの元気な返事に、もうどうしようもない気持ちになってしまって――思わず、

「そ……そっかぁ。ミレナは、しょうがないなぁ」

「うん、おにーちゃんっ」

 愛しの妹の頭を、撫でていた。


 四方を山に囲まれたこのコーンクールの村では、あちこちで果物や野菜を栽培している。
 だから少し歩くと、すぐに畑仕事をしている村人に出会う。

「おはようございます、クディさん」

「おはよう、エリュー。今日も……やたらとイイ顔をしているな」

「え、そうですか?」

 木に梯子を立てかけてリンゴをもいでいたクディさんの言葉に、思わず自分の顔をペタペタ触って確認する。

 わかりやすいくらいの、ニヤケ面(づら)だった。

「まったく、お前のとこはホント兄妹仲がいいな」

「ハハ……いやぁ、おかげさまで」

 クディさんはやれやれ、という表情で行けイケという感じに手のひらをヒラヒラ振った。
 それに会釈して、道を先に進む。

 すぐに声がかかる。

「おう、エリュー。今日も妹にいじめられたのか?」

「いやぁ、そんなこと……ありますけどね」

「あら、エリュー。今日、美味しいオレンジが採れたから、今度届けてあげるわね」

「どうも、ルテアさん。あとから家に伺いますんで、どうかお構いなく」

 閉鎖されたこの場所には、外から人はほとんどやってこない。
 限られた、見知った人間たちだけで、変わり映えしない日々を送っている。

 だけどそれを不満に感じることもなく、楽しく平和に毎日を過ごしていた。

「どうも、こんにちわ。ベーデ婆ちゃん、元気ですか?」

「余計なお世話さね」

 村の一番奥の、ひと際古い家のドアを開けてあいさつすると、ひと際不機嫌な声がそれに応えた。

 暗い室内。
 ただ一本のろうそくのみが灯り、杖や水晶や骸骨などの妖しげな物が所狭しと並べられ、壁にはギッシリと中身が詰まった本棚が立ち並ぶその隅で、その人物は小さな椅子にポツンと座っていた。

「人の心配なんてしてる暇があったら、自分の心配でもしてな」

「いや~……どうも、すいません」

「……怒られて何を笑ってるんだか、この男は」

 渋い表情を浮かべるのは、頭にターバンを巻き、その顔には深いしわが刻まれた老婆。
 黒いローブを纏い、その裾は床にまで達している。

「いやいや特に深い意味はありませんよ? その……に、苦笑いです、苦笑いっ」

「それはわしのセリフじゃよ、まったく……それで?」

「あ、はい。今日の天気、ですね」

 この気難しそうな老婆ベーデは、村で占い師をしていた。
 そして毎朝、農作業に従事する村人のためにその日の天気を占い、その結果をエリューを通してみなに伝えていた。

「それもわしのセリフじゃろうがい、まったく……じゃあ今から占うけぇ、その椅子で待っとれ」

「はいはい」

「はいは一回じゃ」

「はいっ」

「活き活きしとるのう……」

 その言葉通りのノリで入口横の丸椅子に座り、様子を眺める。
 ベーデは椅子に座ったまま傍にあった丸机を引き寄せ、床から一つ水晶を拾いその上に乗せる。

 そして、机の上で揺らめていた蝋燭の炎を、吹き消した。
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