死に至る病――うつ病闘病記③「13階段の一歩目」
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奴隷になりさがる
奴隷?
奴隷。
その単語を現実の生活の中で思い浮かべたのは初めてのことでした。
奴隷。
奴隷になってるんじゃない。誰が? いやどう考えても話している相手、つまり俺?
俺が、奴隷になっているの?
心臓がドクン、ドクン、とうるさい音を立てていました。
その時の自分は、精一杯やっていて、とにかくやるべきことやらなきゃいけないことを必死にやっていてと、その想いでそれこそ精一杯でした。
だから父が言い放ったその言葉の意味がとても理解できませんでした。
奴隷。
そして父が聞かせてくれました。
昔、長崎を離れた先輩がいて、それからずっと仕事に手いっぱいの様子で、久々に電話してきたときに、大会ぐらい見に来たらどうだと言ったところ――自分だって行けたら行きたいんですよ! と絶叫した、と言う話を。
そして気づきました。
自分が、全く同じだと言うことに。
いつから?
いつだ?
俺はいつから、奴隷になっていた?
父の瞳は、ずっと厳しさの中に寂しさを絞めているような色を湛えていました。
友達との共同経営の難しさ。
必ずどちらかがもたれかかる、もしくは卑屈になる関係性となる。
だから父は、卒業したばかりの頃に社長との共同経営を持ちかけられても、空手家として生きていくことも含めて断ったと言う話。
そして自分のような気遣いの人間が、うまくやっていけないことを最初から見透かしていたと言う話。
小説家になる。
そう夢を掲げていて、その足がかりとしてゲーム会社のシナリオライター――これ以上ないほどに順風満帆だと…本当は心の中で思ってはいないことに、気づいていました。
いつの間にか自分を見失うほどに、ただただすがりつくことに必死。
ただ遊びに行くこと、それだけでも常に気が休まらない。
連絡が来るだけでパニックに陥る。
本当に滑稽な話ですが。
そこで初めて、自分が異常な状態だと気づくことができたのです。
離別から始まる終わり
視えない展望
どうすればいい?
とにかく、それで頭がいっぱいなりました。このままこの状態を続けていくべきか? その段階に至ってもなお、私は悩んでいました。
食い扶持をなくしては終わってしまう。
すぐに仕事が見つかるとも限らない。いちど長崎でアルバイトを探した時は、3カ月間見つからずに10何件も落ちた経験がある。
だけどこのままでいいわけがない。
奴隷だというのならば、抜け出さなくては。
私は、そこから東京に戻る空港で、散々泣きはらしました。父の力強さに、その愛に、どうしようもないほどに心の琴線が振れました。
関東に戻った私は、とりあえずいちど友人と話し合うことに決めました。
今まで遠慮して言えなかった部分。わからない部分、納得いかない部分、そして一緒に働いてる人の気になること等々、全て徹底的に話しました。
その結果、彼とはいちど、わかりあえたような気持ちになれました。その時はいちど、これでまたやり直せるのではないのかと言う淡い期待感を抱きました。
僅か一か月の蜜月
一か月でした。
一か月後、やはり元のように彼と通じ合えない部分が多くなっていました。そのことを父に相談をかねて報告しました。そんなことは当たり前だ、人の本質は変わらない、という返事でした。
その言葉は、果たして彼に言っているのか、自分自身に告げているのか、その時の私には判断がつきませんでした。
結論として。
私には、この状況で在宅ワークを続けるのは難しいと言う判断に至りました。どう考えても精神的に限界を迎えている。これ以上やると生活に影響を及ぼすかもしれない。
半年後の退職
そして東京に戻って、彼と仕事を始めて半年後、退職を願い出ました。
もともと全く楽観視どころか悲観視しかできない私でしたので、無駄遣いを全くせず、貯金を貯めて約40万円ほどの貯蓄がありました。
これならば就職活動している間はなんとか食べていけるのではないか、というかそれしか手はないと言う状況でした。
その時点で、次に自分の体にどういう症状が訪れるかなど、ほんの毛先ほども想像することができませんでしたから──
13階段の一歩目
残金40万円の終わりの始まり
退職を願い出る時は、正直膝が震えました。怖いというのとは違う気がしました。ただ、どうしようもなく変化が恐ろしかったです。
申し出はすんなりと受け入れられました。結果的にと言うのもアレですが、私は結局その会社で採用されるようなシナリオを出すことができず、仕事としての功績はブラッシュアップのみだったので、そして私の変化も気づいていたようですので、お互い納得の別れとなりました。
文字通り、一瞬だけは肩の力が抜けたような心地になりました。
手元には前回も述べましたが、なんとか貯めた40万円。何とか節約してやりくりしながらこれが尽きる前に次の仕事を決めなければならない。
ゆっくりもしていられないと言うのは実際でした。
しかし、この周辺の記憶を探ると、なぜか靄にかかったような感覚に陥ります。
ここからでした。
決定的に、体に異変が起き出したのは。
身体の異変
私が読んだいくつもの書籍や漫画やドラマ・映画を見ても、修羅場の真っ最中には決定的な変化と言うのは訪れていないようでした。
そのどれも、一段落したり、仕事をやめたり、状況を変えた後、一気にそれは来ていました。
まず覚えているのが、体力の低下。
それまでは週五日仕事をしながら、空手も週3日道場に行って、同じく3日は自主練して、その上で小説を毎日書いて、自炊もして、そんな毎日を送っていました。
それがいきなり、変わりました。
仕事を辞めたと言うのに、まず空手ができなくなりました。道場に通う事はおろか、自主練をしようと思うことさえできない。
そんなこと、生まれてからそれまで1度もなかったことです。20年以上も、空手に携わってきたと言うのに…….。
そして、小説まで書けなくなりました。
毎日どんなに忙しくても2000字程度を書いていたのに、1時間半位はパソコンに向かっていたのに、それが叶わない。
できないという不可解な状況。
ただ私は、それに翻弄されていました。
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