死に至る病――うつ病闘病記②「壊れ始めた精神」
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自由という名の牢獄
孤独の耐性
一人は平気だと思っていました。
ずっと空手と、そして小説を志してからはそれと、追われてきました。
暇だと思うときは、ほとんどありませんでした。
さらに大学の4年間に加えて、ロンドンの2年間――留学中はルームシェアだとしても1人で生活をすることには慣れてきました。
だからこそ、そこに不安はありませんでした。
大学の友達
それに東京では、大学で知り合った6人の友達がいました。
2人は地元に帰っていましたが、それでも4人います。
そのうち1人とは今回一緒に仕事を共にすることになりましたし、もう1人はそいつとの共同経営者、あとの2人は、ロンドンから帰ってきた時も、再度上京した時も、わざわざ忙しい中時間を作って会いに来て、飲み代を持ってくれた心許せる間柄。
ロンドンにいた頃から、会って、遊びたくて仕方なかった仲間たち。
もちろんみんな大人になっているからそうそう会う事はないし、それでも月に1度なんて言わなくても、たまには集まって酒を酌み交わすことぐらいはできるか、まぁできなくても、それでも仲間がいると言うだけでも、そんないろんな複雑な面持ちではありましたが、それでも大丈夫だと私は思っていました。
会話がない日々
たった1人、自宅で在宅ワークをして、誰にも会わずに仕事を、家事をこなし、貧乏の中やりくりをして、週に3日、2時間空手の稽古をこなし、終電で帰る。
人としてまともな会話をするのは、その空手の稽古中の、三日間の合計をしても約30分にも満たない程度。
しかも内容は、ほとんど空手の筋力がどうこうとか、大会の成績がどうこうと言う話だけ。
その生活は100%に近いほど自由と言えましたが、
100%に近いと言えるほど、それは間違いなく牢獄でした。
人としての当たり前の日常会話を、交わすことができない。
毎日機械的に同じルーチンを繰り返すだけ。
徐々に徐々に、心がすり減っていく。
感情が希薄になっていく。
言葉の出し方がわからなくなってくる。
これが、本格的な鬱病の、闇の深淵を覗くかのような、それは入り口でした。
壊れ始めた精神
三か月目の異変
最初はまだよかったです。
彼が望む成果を、文章のクオリティーを、提供することができたから。
だから関係もまだ良好で、もしかしたらこのままやっていけるかもしれないと、ほんのかすかな期待を抱くこともできたような気もします。
おそらく欺瞞で、自分で自分を騙していたのでしょうけど……。
それが決定的にダメになったのは、おそらくは3ヶ月程度経った頃のこと。
いよいよといった感じでゲームキャラのシナリオを、1本番外編として仕上げることになった際。
初のダメ出し
決定的なほどのダメ出しをされました。
そしてより深刻なのが――
具体的に何がどうダメなのかが、結局のところ今でもわからないことです。
文章は、メインのシナリオライターに寄せました。
雰囲気も、自分の色をなるべく消して精一杯そのゲームのものに合わせたつもりでした。
余計な事はせず、歯車の1本になったつもりで、ただただゲームの一部になろうと努めました。
それでダメ出しされて、なお具体的な対策がなく、抽象的に全体的に雰囲気的に文章力が――と言われても、こちらとしてはそれが1番いいと思ってやっているので、何をどう直せばいいかがわからない。
袋小路
袋小路でした。
被害妄想だとわかっているのですが、生殺与奪の権利を握られている相手に、毎度毎度これだったらダメだと言われているのは――これだったらもう給料出せないよと、死の宣告をされているような心地でした。
それが1ヵ月か2ヶ月が続いて、おそらく私は壊れました。
何をやっていても、シナリオのクオリティー、提出した後のダメ出しで頭がいっぱいになる。
道場で稽古している時も、みんなに心配されました。
道場の主である先輩からは仕事があっていないんじゃないかと忠告すら受けました。
だけど私はそれどころじゃありませんでした。
仕事にあぶれたら、家賃が払えなくなり、生活が立ち行かなくなる。
だから何がどうあっても、彼の合格を引き出さなければならない。
給料を貰い続けなければならない。
私の精神は、ただそれだけしか捉えられなくなっていました。
恐怖で塗り潰される
仕事以外手が付けれない日々
ダメ出しは続きました。
いちどだめになったら、もう二度と彼の合格を得ることはできませんでした。
ずっとずっと、同じシナリオを、推敲・改稿の繰り返し。
それだけしか手につけない生活が数ヶ月続きました。
もちろん当初予定していた自分の小説なんて、全く手をつけていない状態。
その頃の事は、ほとんど胡乱とした記憶となっています。
胡乱とした記憶
霞がかかったような状態。
脳みそが、まともに記録する余裕がないということがおそらくは想像出来る現象だと思います。
毎日の仕事開始、そして終了の報告。
これが恐ろしくて仕方ありませんでした。
仕事を始めたって、仕事が終わったって、お前は俺の会社に一円だってもたらせてないんだけど?
そんなふうに言われている気分でした。
もちろん実際に言われたわけではありません。
ある種、憑かれているといっても過言ではなかったのかもしれません。
だから休みの日だって、全然気が気ではありませんでした。
いつからか、彼からSkypeで連絡があると、強烈な腹痛、全身が震える現象に襲われるようになりました。
生きた心地がしない
生きた心地がしない。
喜んだり楽しんだりしてはいけない。
唯一の生きがいは、休みの日に、家の近くの歌広場に行って、30分だけ歌って帰る、それだけでした。
先行きは真っ暗、お金はいつなくなるとも知れない、だから無駄遣いなんて恐ろしくて出来ませんでした。
当初予定していた大学の親友たちとも会えるような精神状態ではありません。
毎日毎日、死刑申告を受けた囚人のような精神状態で過ごしました。
しかもまったくの偶然ですが、その頃こちらに住む親戚と、かなり深刻に揉めてまでいました。
そんな状態でも、夏に行われる地元での空手の大会に出場しました。
武道家である父の面目を潰すわけにはいかないと言う、義務感が多分にあったと思います。
過去最高に練習して、自分なりにベストの状態に持っていったつもりでした。
結果は、ひどいものでした。
過去できていた間合いの取り方や、阿吽の呼吸は完全に消え失せ、ただただ前に出て、手足を振り回すだけの、無様な戦い。
完全に焦りすぎ、必死すぎ、相手が見えていなさすぎな、それは本当にひどいものでした。
その現実に、私は愕然とさせられました――
真っ暗でなにも見えない
呆然自失
私は一体、何をしていたんだろう……。
茫然自失といっても過言ではありませんでした。
全てをなげうって、頑張って、出場した県大会の結果は、それこそ惨々たるもの。
仕事ではずっと追い詰められて、精神はボロボロ。
ほとんどその後に行われた、県大会の打ち上げであるレセプションの様子を覚えていません。
そんな時、私は武道家でもある父と話をしました。
異常な状態
その時になって気づいたのですが、私はすでに異常な状態にあったようです。
空港まで迎えに来てくれた妹に、ほとんどまともな口を聞くことすらできない。
どこがひきつったような感覚で、表情を作ることが難しい。
それを見抜いていた父に、様々なことを質問されました。
おそらく世間話的に近況を聞きたかったと思うのですが、その時の私には、何気ない会話をする余裕がなかったように覚えています。
その頃の記憶は、まるで霞がかかっているような、濃い霧の中を歩いているような茫洋としたものです。
自分が今どこにいるのか。
何を目指しているのか。
何のために生きているのか。
私は完全に、全てを見失っていました。
そんな父が、私に何を語ってくれたのかも、正直ほとんど覚えていな――いや、聞こえていませんでした。
自分の全てを投げ打った努力が完全に的外れで空回りしたことのショック、そしてこの後に待ち受ける地獄のような仕事ことで、私の頭は完全に埋まってしまっていました。
恐怖
無力感、意味がなかった人生、疑問、恐怖、恐怖、恐怖、
恐怖――――
そんなうなだれる私に、父はそれこそ目が覚めるような一言を投げかけました。
「奴隷になってんじゃねーよ」
ハッとしました。
気づけば知らない間にうつむいていた顔を、私をあげていました。
そんな私に、父は睨むような、だけどどこかこちらを想うような、残念がってるような、そんないろんな意味を含めでいるような、だけど激しい顔を向けていました。
正直その時私に浮かんだ感情は、戸惑いだけでした。
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