見返りではなく、純粋に続ける

2019年10月11日

純粋な気持ちで続ける。

よく聞く言葉ですよね。純粋。日本人は結構こういう言葉が好きですよ。かく言う私も、学生時代からよくこの言葉で形容されてきました。

しかしこれは同時に、私が師匠と仰ぐ羽生善治先生の深い意味合いをもつ言葉でもあります。

最初は単純だとかそういう意味なんじゃないかと憤っていた頃もあります。今は? と聞かれれば、全く気にならないというのが本音です。なぜならある程度アドラー心理学を学んだ結果、どう思われるか、評価されるか、構わなくなってきたからです。

純粋な気持ちで続ける、と言う意味を、自分で解釈できないできました。純粋な気持ち、と言われても、それは何なのか?

はっきりいます。私はこのブログを、夢の架け橋の1歩として書いています。最終的な自己実現。小説家としての夢。それは間違いなく真実です。

ですが、それだけで続けていると、十中八九心が折れるでしょう。

現在、見に来ていただいている方の数は片手の指に手が届かない程度です。何か言ってて悲しくなってきました(笑

ほとんど誰も読んでもらえないレベルのもの。

それを書き続けるモチベーション。

それを理解しました。現在、私がそういった形で続けているものは、3つあります。1つは空手。もう一つは、スマホのアプリで入れている英単語の学習。

共通点は、成果が出なくても良い。

成果が出てくれたほうが楽しいに決まっています。成果が出ればやる気が出ます。

ですが、実際成果が出るのは、もう飽き飽きして、そういうレベルを超えて、習慣化してしまってから、たっぷり時間をおいて、諦めきったその先で、出るものっぽいです。

だから期待していると、成果が出ないことでモチベーションが下がり、やめてしまいます。

じゃあなんで空手は、そして英単語は、さらにはブログは続けられるかと言うと。

やりたいからです。

空手に関しては、ひとつ前のブログで書かせていただきました。英単語に関しては、留学したきっかけでも一緒ですが、英語のものを日本語のように読めるになったときに自分の脳の中で起こる変化を確認し、日本人とは違う視点を小説に盛り込みたいと考えているからです。

出来れば。

そしてブログは、純粋に書いていて楽しいです。

自分を表現すると言うことに興味がなかったのですが、書いてみると出るわ出るわが思っていること。個人的な見解で申し訳ないんですが、これほどいろいろやってきて、そこそこ知識やら見解やらある人間は興味深いと思っているんで、そんな自分を掘っているのはとても楽しいです。

そして直接的では無いかもしれないですけど、こうして何かを書き続けるのは文章力の向上にもつながると思っています。

見返りを求めるでもなく、目標設定して続けるわけでもなく、純粋な気持ちでやるとはそういうことか。

最後に羽生善治先生のお言葉をもうひとつ。

「才能とは瞬間のひらめきではなく、10年20年と同じ情熱、姿勢を持って続けられること」

純粋さ、ほんのかすかかもしれませんがわかったような気がします。
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