効率や意味ではない、誰に左右されない自分の道を

2020年2月26日

成果主義と言う言葉が聞かれなくなって久しい。

あまりに物事の意味にとらわれていると、本質を見失う。

私は以前からカラオケを趣味としている。

GLAYを始めとして様々な高いキーに挑戦してきたが、最近ではX JAPANのあまりの高音に、なかなか歯が立たずにいた。

歌が上手い人と言うのは、正直生まれつきではないのかとすら思っていた。

カラオケと言うものを始めてから10何年以上、X JAPANに挑戦してから6年とか7年とか、全く高い音が出ることがなかった。手越の紅と言うのがトレンド入りしたこともある。それは1つの壁だと割り切っていた。

ただ私が続けた事は、挑戦だけだ。

結果として、ほんのひと月前、何の前触れもなく、当たり前のようにFOREVER LOVEに続いて超高音と言われている、Rusty Nailが、軽く出せるようになった。

だが私は、これだけを持って今までの歌い続けた日々で意味があったとはしたくない。

私は別に成果を求めてカラオケに行っていたのではない、ただその瞬間その瞬間挑戦して、そして純粋に楽しんでいた、ただそれだけだ。

空手の道場生で、毎回毎回当たり前のように来ている生徒は正直少ない。

皆、頭が良くなって、試合などがない日に来ても意味がなく、それよりも友達と遊んだり、恋をしたり、勉強したり、バイトをしたり、有意義に過ごそうと考えているのだろう。

しかし私ははっきり思うのだが、羽生善治先生の言葉でさらに確信を持ったのだが、人生に効率化などを求めていても、それは結局のところ最後には空虚の自分を生むだけだ。

人生に意味を求めての、効率的に求めても、それは結局のところ自分自身と言うものを置き去りにしている。

誰の評価を求めてでもない、お金だけを求めてでもない、何か自分にプラスになるものだけを求めてではない、

自分らしいぶれない本質や核と言うものを、誰に理解されなくても持っていても良いのではないだろうか。
___________________

関連記事はこちらへ! →  うつ病・潰瘍性大腸炎、羽生善治論

面白かったらこちらをクリック👍
 にほんブログ村 にほんブログ村へ 
 にほんブログ村ランキング   人気ブログランキング