#24「欺瞞」

2020年10月7日

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目次

本編

 ぼくにはその意味が、最初理解出来なかった。

「棚多さん……?」

「……お嬢ちゃんかな?」

「わたしの名前は、マヤ」

「そうか……そうですか」

 棚多さんは、穏やかに微笑んでいる。
 それにマヤは、無表情で応えている。

 二人の間でだけ交わされるやり取り。

 病に冒された老人と。
 若く美しい少女。

 それが月夜に、見つめ合っている。
 病室で。

 世間で言う常識からかけ離れた空間で。
 それがぼくに、なんともいえない感覚を与えた。

 感傷?
 思い入れ?
 懐かしさ?
 違和感?

 どれもそうであり、どれもどこか違う気にさせた。

「マヤさんは、成海さんとどうするつもりですかな?」

「わたしは遼のことが、好き」

 前置きもなく告げられたその事実に、身体の外と内側がひっくり返ったような錯覚を味わった。

 衝撃とも違う、柔らかな――波紋が広がるようなその、言葉。
 ただじんわりと、身体に、心に、広がっていった。

 これが、好きっていう――

「なら、どうするつもりですかな?」

「遼のしたいようにする」

 3秒から5秒ほどだろうか、棚多さんはマヤからの答えに沈黙したあと、ぼくの方を見た。

「成海さん」

「なんですか?」

 自然と言葉に、動揺は現れなかった。
 この状況下に、身体の方が先に適応しているということだろうか?
 むしろそれは心の方が先だろうか?

 どちらでもよかった。

「あなたは……」

 そして棚多さんは、言葉に詰まった。
 どう考えても、それはそう見えた。

 思いのままに言葉を紡いでいた彼がそんな風になったのは、おそらくは初めてのことだろう。
 ぼくは黙って、次の言葉を待った。

 棚多さんは視線を切り、窓の外を見た。

 月が煌々と照らす、外の世界を。





「今晩は月が、美しいですなあ」

 ぼくもその、視線を追う。

「そうですね。綺麗ですね」

 欺瞞だった。

 ぼくはほとんど、月なんて見ない。
 言われたから、そちらの方を向いているに過ぎない。
 だいたい普段はカーテンがかかっていて、彼女が来たかどうかの目印ぐらいにしか思っていない。

 だけどそれでも。

 それを差し引いてもなお。

 今宵は月が、美しいモノに感じられた。

「成海さん」

「はい」

「あなたは、マヤさんと……」

「なんですか?」

「マヤさんと、どうなさるおつもりですかな?」

 考えたこともない。

 というより考えようもない。

 必然、答えようもない。

「……わかりません。というより、ぼくには先がありません」

「わかっていらっしゃいますか、な?」

 どうとでも取れる質問。

 どう答えるのが正解なんだ?

「――彼女のことなら、少しは」

「それでも、なお?」

「いや……というより、ぼくにはその価値が、あるのかどうか」

 探り探りの会話。当人同士でしか――というより当人同士ですら、よくわかっていないだろう。
 こんなやり取りに意味があるのかはわからなかった。

 だけどこれは、本気と本気の言葉のぶつかりあいなのだと魂で、理解した。
 だからぼくも、本気で応えた。

 棚多さんは少し考えたそぶりを見せたあと再び彼女を見て、

「あなたは成海さんのしたいようになさると言いましたかな?」

「そう」

 彼女は動かず、表情もすら微動だにさせず僅かな言葉で応えていた。

 それこそ最初に見た、絵画のように、美しく。

「なれば、あなたの望みはなんですかな?」

 マヤが初めて、言葉に詰まった。

「…………な、」

 と言ったような気がした。
 だけどさ、かもしれない。
 とりあえずあ行であることは間違いなさそうだった。

 マヤは一旦言葉を切り、

「一緒に……」

 なんて端的で、そして様々な意味が含まれた言葉だろうと思った。
 そしてそうであるならば、ぼくはそうしなければいけないだろうと思った。

 ぼくはあまりに一方的に、彼女から貰い過ぎた。
 だからそれに応えるためなら、なんでもするつもりだったから。

 棚多さんは、たっぷり十秒は経ってから、こちらを見た。

 万語を費やしたい顔をして、みたび夜空の月を仰いだ。

「よい、月夜ですな」

 ただ一言、そう告げた。

 そして次の日ぼくに、発作が起きた。
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続きはこちらへ! → 第3章「memory」

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