不治の病―潰瘍性大腸炎闘病記⑤「予期せぬ好転と戸惑い」
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命のカウントダウン
当時の資料
一段落着いたわけではいですがとりあえずソファーの上で悶えるだけの日々からは脱しました。
だけど私はずっとネックとなっていた事態がありました。
そのために、とてもじゃないですが日常生活に支障をきたす、そして恐怖を抱かざるをえませんでした。
今回はその話です、当時の資料が残っているのでそれも併せてご覧ください。
排便回数のリアルな記録
特に意味はありません。
だけど私は排便の回数を記録するようになりました。
おそらく理由としては、あまりにも治っていっていると言う実感がわかなかったからです。
未だ後輩との連絡はつきませんでした。
この状況がいつまで続くのか――いつまでも続くのか?
これは普通のことなのか、異常なことなのか、それらの判断が全くつきません。
行き先が知らされていない強行軍ほど辛いことはありません。
だから客観的に見て、数字としてわかるようになれば、ほんの少しでも楽になるかもしれない。
それこそわらにもすがるような気持ちで、私はそれを始めました。
最初の日の排便回数は、まさかの16回でした。
恐るべき数字です。時間帯は――
00:50
01:35
02:38
06:30
09:00
09:10
10:50
13:10
13:40
14:20
16:50
18:00
19:20
21:40
23:25
23:46
その頃は体力の低下も合わせて、確か10時間ちかくの睡眠をとっていたはずです。しかしこれを見る限り、それはかなり間をあけての小間切れのようでした。
ほとんど起きている間は、感覚的に30分未満に1回、トイレに駆け込んでいる様子。当時の辛さが窺がえます。
これを見ると、その当時の記憶が生々しく再現されます。
辛く苦しく、先の見えない暗いトンネル。
そして毎度毎度、命を吐き出すような真っ赤な便器。
もしかしたら私は、自ら命のカウントダウンを始めたのではないかと言う錯覚すら覚えながら──
予期せぬ好転と戸惑い
一進一退の病状
排便の回数は、最初の頃は全くの一進一退でした。
最初の16回はそれ以降1回もありませんでしたが、大体10回前後。
極端に減ることも増えることもせず、つまりは病状が特に回復することもなく、今日もこれだけ行ってしまった、そんなことを実感するだけの作業でした。
ならばなぜそんなことを続けていたのか?
多分、何かにすがりたかったのでしょう。
縋らなければ、保てないほど追い詰められていたのでしょう。
今回はそんなギリギリの精神状態でのお話になります。
全く変わらない病状、排便回数。
そんな中でも正月が終わってしまったら、また日常に戻らなければなりません。
バイト、空手、そして小説。
特にバイトとかはどうかしたいところありましたが、長期休暇を取るわけにもいかないし、まだ社畜根性が残っていたのでダメで、空手のほうは父がいって当然と言う考えなので、休むに休めませんでした。
自分はいつまでこうなんだろうと、常に考えていました。
とにかく数減ってくんないかなぁと考えていました。
五日目の好転
するとその願いが通じたのか、記録をつけ始めて5日後に、なんと排便回数が、6回にまで減ったのです。
その時の記録がこんな感じです。
01:20
03:50
10:25
11:00
16:00
21:00
驚きました。
2ヶ月ぐらいはずっと病状が最悪だったので、10回前後が1ヵ月位はついてしまうのではないかと、勝手に悲壮感で覚悟していたりしたのでしたが──
しかし事はそれで終わりませんでした。
その二日後に、なんと今度は回数が4回にまで減ったのです!
その時の記録がこんな感じ。
08:55
09:10
13:10
17:35
まさかこんな急転直下で好転するとは、さすがに想像だにしていませんでした。
だからこそその時は喜びよりも、戸惑いのほうが大きかったのを覚えています――
心を引き上げる
突然の幸運
あまりにも長い間不幸のただ中にいると、突然の幸運を喜ぶことができないと聞きます。
誘拐された子供が、助けに来た警察官たちに縋ることができず、誘拐犯をかばい、彼らは決して悪くなかったと弁護することが多々あるということです。
しかし物事が好転する時は徐々にと言う事はほとんどなく、大体が急カーブを描いて本人の心を置いてきぼりにすると言うのも真実。
古今東西よく聞く話ではありますが、それこそ本人次第と言うことなのでしょう。
便の状態
下血回数が大体3から6回程度に落ち着いてから、また私は下血記録の記録方法を変えました。
ただ単に回数だけではなく、その便の状態を記録するようにしたのです。
それまではただただ便器を真っ赤に染めていたので、その必要はありませんでした。
しかし回数がその程度で落ち着いてからは、便の状態にも明らかな変化が現れていました。
全体が真っ赤だった状態から、半分程度はその物体、本来の色合いが見えるように。
その次の時はまた真っ赤に戻るが、その次は全体の4分の1程度が通常の状態だったり。
多分その頃になると、元々この記録をつけていたきっかけとは、また違った理由になっていたように思います。
客観性の現出
ただただ他に手立てがなく、何かにすがるようにその回数を刻みつけていた、その頃とは違い。
自分で、ついていけないその状況に、心が追いついていけるようにと、客観的に現場を知ることができる手立てとして。
そして長く戦ってきた結果として、自分が好転していると言うことをリアルに知る手段として。
何より現実的な話として、調子が良い時と悪い時を見定め、その時の生活態度を比較、検討、改善できるように。
ずっと、ずっと、原因不明の不治の病と言うことで、私はできることがなく、その状況はただただ嘆き絶望し苦しむことしかできませんでした。
それからついに、ここまできました。
自分なりに、何かしらの対策を、練ることができるかもしれないところまで──
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