武道家足る父との語らいその3 ~技術論と指導との違い

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私は、ずっと天狗にはならないように、調子に乗らないように、気をつけて生きてきたつもりでした

事実として、私は実績などなく、ただ頭でっかちに、理論を積み上げてきただけです。

そこに意味があるかどうかすら危うい。

だけど密かに、自分ではそこに価値を認めていました。

正直ある意味では、誰にも負けないと思っていたところもあります。

先日、我が新極真会の世界大会がありました。

日本は王座を死守しましたが、正直海外勢の活躍はめざましいものです。

しかも日本のトップ所は、もはや後は引退を残すのみといったところ。後続も続いていません。

そしてその決定的な違いは、パンチ力。

もともとの骨格、筋力に加えての、正拳突きの技術。

正直、日本人はここまでかもしれないとすら思っていました。一昔前は、ボクシングにはパンチではかなわないと言うのが定石でしたが、今は明らかにそれに追いついています。

パンチ力が強くなければ、うまくなければ、速くなければ、はっきりって戦いにさえなりません。

しかし日本人では、もはやついていけないのではないか?

そんな半分あきらめにも似た境地に至りかけていました。

しかし、武道家足る父の見解は違いました。

現在の日本の指導方法は、子供の時からいかに勝つかと言う事に重点が置かれています。

しかしこれでは体が出来上がっていないとき無理やり対処――つまりは相手とのポイントさえをつけて判定で勝つために、どうしても手数重視の組み手にならざるをえません。

つまり問題点としては、あまりにも幼少の頃から勝ち負けにこだわるのではなく、しっかりと腰を入れて、溜めを十分に効かせて、思いっきりよく打つ――正しく極真空手の原点である一撃必殺に基づいた組み手にシフトすべきだと。

目から鱗でした。

100%同意できる、正鵠を射た意見――しかし私には、残念というか恥ずかしながら、指導方法と言う点では、浮かんですらいませんでした。

私は、分析したり、そのための練習方法を考案したり、創造したり、そういった事は一家言あると思っています。

しかし肝心の指導経験が――それこそ1つの道場を持ったりした経験は、無い。

自分はどこかで、天狗になっていた。

改めて、謙虚な気持ちを思い出せた。

まだまだこの武道家足る父には、それこそ足りていないと、知らしめていただいた貴重な対話でした。
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