ムエタイという幻想の正体④〜2人の超戦士による劇変「ブアカーオ・ポー・プラムック」〜

2019年11月22日

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前回までに、ムエタイの成り立ちから、ギャンブル化しての変遷、そして技術の移り変わりまでお話しさせていただきました。

そしてお話はさらに近代ムエタイへと移っていきます。

まず大きな変化が、K-1と言う舞台の出現でした。

そこに、1人のムエタイ選手が送り込まれました。

ブアカーオ・ポー・プラムック。

それまで幾人ものムエタイ戦士達が様々な外の舞台へと降り立ち、そしてルールの違いに対応できずに敗れていきました。

しかしブアカーオは違いました。遠距離からの上段前蹴り。これが、他のムエタイ選手との大きな違いといえます。

ほとんどジャブのようなスピードとノーモーションで放たれるそれに、対戦相手はまともにもらって、のけぞり、バランスを崩されました。

そこから飛び込んでのローキック、しっかり首相撲でロックしてからの膝蹴りの嵐。

肘打ち無しのハンデなど、もはや感じさせないほどでした。

初出場のその圧倒的強さの為、K-1で首相撲が禁止になったと言うのはあまりに有名な話。上段前蹴りも禁止になったのではないかと言うほど、それ以来ブアカーオは前蹴りを出さなくなりました。

しかしそのルールの変化にも対応してしまったのがブアカーオ。


前蹴りの代わりに、左ミドルキックと言うムエタイの代名詞とも言える技を、それこそ速射砲のように放って放って放ちまくって、それこそ相手の腕を壊すような勢いで、完璧に試合をコントロールしてポイントをとってしまいました。

そして肘打ち、首相撲の代わりに会得してしまったのが、強烈無比な右ストレート。

2006年のグランプリなど、ムエタイ選手にもかかわらず準決勝と決勝と連続でパンチでKOを収めてしまうほどでした。

ブアカーオは結局、その余りにも鮮烈な活躍によって、日本どころか世界中にも知られるほどのスーパースターとなってしまい、その名声や実力は、初出場から15年が経った現在すら陰りや衰えを見せることはありません。

実際彼の名を冠した大会や、彼がプロモートする大会が世界各地で行われ、大盛況を博しています。

そして彼の最も強烈な武器を封じられた日本とは違い、海外では強烈な首相撲からの膝蹴りでノックアウトの山を築き、肘打ちで何人もの顔面を切り裂き、リングを血で染めています。

実際K-1の煽りでも言っていましたが、選手の多数が貧困のためにムエタイを選ぶ状況の中、彼は純粋に強さを求めてムエタイをやっていました。

そしてK-1で活躍したことで、そのあまりにも華麗な戦いぶり、そして男の私でも惚れ込みなほどの甘いマスクによって、想像を絶するような人気を博しました。

それまでの単純なギャンブルとして国内だけで行われていたムエタイという、その体質を崩した、大いなる1人と言う事は間違いなくいえるでしょう。
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