無意味、無駄と言う価値観は心を死に追いやる毒

幼い時から、この感覚にとらわれてきた

父をカラテカに持ち、自分もカラテカとしてその道を極めたいと考えていた

そのためには実力が必要で、そして人間性が必要で、さらには学力さえ求められた。少なくとも、その時の僕はそう思っていた

だから、常に今、何のために生きるかを考えてきた。これが意味があるのか? ただ楽しむ、そんな事は罪じゃないかとさえ思ってきた時期もあった

それは学生の時を終え、留学の時を経て、自分では甘さを捨てきったと考えたその時に、ある意味では臨界点を超えてしまった

自分はただ、夢のために生きる。まともに職もついていなくて、そしてお金も稼げていない自分は、そうしなければ無価値だとさえ断じていた

そうして僕は、当たり前に順調に夢をかなえることがなく、そして普通の生活さえも続けられなくなって、ポッキリと心が折れてしまった

そんなぐだぐだとした過去を経て、そういう考えの下、自分を根本から変えることがある意味では未だできていない僕のもとに、なんの因果か初期型プレイステーション3と言うものがやってきた

もともとの用途は1人用ではなく、それを買った人がやってきたときに人生ゲームやら桃太郎電鉄やらを一緒にやるために買ったものだった

だが、ふと懐かしくて手元に置いておきたくて購入した、Final Fantasy Tacticsをやってみてとせがまれて、そしてやって見せているうちに、当時の心がよみがえってきた

そして気づけば、今日、1人で1時間位進めてしまっていた

思い返してみれば、僕は空想の中にある、理想の空手家像、ありえない理想像を追いかけていたのさもしれない

ただただ夢に邁進する

それ以外は、すべて蛇足と切り捨てる

その末が、うつ病になって、明日なんて来なければいいと怯えていた毎日だった

人生が、意味があるかとか、無意味だとか、有意義だとか、そういうふうに判断するのは、どこまでいっても自分だと言うことを忘れていた ── 否、知らなかった

答えの一端 ── と言う考え方も固いのかもしれないけれど、ある意味では触れたのかもしれないと思った今日だった

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