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不治の病―潰瘍性大腸炎闘病記③「タスケテ」

2020年9月25日

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この記事を書いた人
青貴空羽

小説家にして極真空手家。
更に2年間の英国留学不治の病うつ病になった経験、オタク文化を発信する為ブログTwitterYouTubeを始める。

Twitter:@aokikukose

本当の恐怖は死を実感した後に訪れる

パンドラの箱

人は、見てはいけないって言われるとみたくなる生き物。

やるなと言われればやってしまう生き物。

最悪なんて考えなくていいのに考えてしまう生き物。

このことを想うと、とみに悲しさが胸に去来します。

人間というのはどこまでも悲しく創られている生き物。

それをどう捉えるかが、その時の心の持ちようなのかもしれません。

 もし。

 もし、直腸への直接のステロイド剤の注入が、効果がなかった場合。

 どうするのか、どうなのか。

 それを調べました、調べてしまいました。

 調べる必要など、どこにもなかったのはわかっています。だけど、調べてにはいられませんでした。

 1つは、時間を持て余していたと言うこと。何もできず、ソファーの上で体を横たえているしかない。

 しかし心身ともに余裕がないために、ネットを漁って、そして今何よりも知りたい情報しか、頭に入れることしかできない。

 どうしようもなく視界が狭い。

 そして私は、パンドラの箱開けました。

大腸切除――人工肛門

 大腸の切除。

 人工肛門の取り付け。

 絶望が、ぱっくりとその口を開いているかのようでした。

 深淵が覗きます。
 その下は暗い暗い、真っ暗な闇。人間なんて、簡単に引きずり込まれて、あっという間に飲み込まれてしまいます。

 だけど覗き込まずにはいられませんでした。

 絶望には、続きがあったのです。

 それでもなお、治らない場合がある。

 なんだそれ?

 浮かんだのはただただ疑問。

なぜ治らないのか?

 病を患っている体調そのものがないと言うのに、なぜ治らないの?

 なぜ症状が続く場合があるんだ?

 なんなんだこの病気は?

 どうなってるんだ?

 まさか俺、そのパターンじゃないだろうな?

 内臓やられて、煉獄で焼かれるような痛みと、文字通り体の内側から蝕まれるような倦怠感に襲われながら、さらには思考までがどす黒く侵食されていきます。

 大腸の全摘出。

 人工肛門、脇腹につける。

 なのに治らず、ずっとこの煉獄のような激痛と、一歩も動けない倦怠感に蝕まれる?

 ずっと15分おきに命を吐き出し続ける?

 死を覚悟したのは、あくまで入り口でした。

 私はこの病気の実態を知ったことで、自分の境遇の本当の恐ろしさを思い知らされてしまいました──

タスケテ

崖っぷち

究極に追い詰められました。

恥も外聞もなく、まさに崖っぷちでした。

今まで自分がどれだけ安寧とした日々の中にいたのか、思い知らされてしまいました。

それこそ、溺れる者は藁をも掴む。

頼れるものがいないか、その時の自分が必死に探していました。

全てが嫌

 嫌だった。

 何がじゃない、全てが。ずっと続く激痛も、治らない倦怠感も、そしてこれから自分を待ち受けるかもしれないすぐなる子雲。

 嫌だった、冗談じゃなかった。

 これから先これがずっと続くなんて耐えられない。

 ケツからステロイド剤を射つなんて嫌でしょうがない。

 大腸全摘出して人工肛門なんて、もう人間じゃないじゃないか!

「誰か、誰か…….」

 ほとんど無意識に、僕はつぶやいていました。

 誰だっていい、誰でもいい、とにかく誰かに助けて欲しい――助けて欲しい、この境遇から、この未来から、自分を救出して欲しい、その一心でした──

「あ…….た、確か、後輩が…….?」

 その時、僕は思わずつぶやいていた。
 私はその時潰瘍性大腸炎になったのは初めてのことだったが、タイムリーというか偶然にというか、それよりも約1年前に空手の後輩が同じ病である潰瘍性大腸炎に罹患していたのだ。

 その時は大変だなぁ、治って欲しいなぁ、と切実にではあるが他人事のようには思ってはいた。

 しかしまさか回り回って自分の身に降りかかるだなんて、その時の自分は想像だにできなかった。

頼みの綱

「あ、あいつの……. LINE、は…….?」

 スマホをクリックして、LINEの画面を呼び出す。そして後輩のアイコンをクリックして、俺は文章を綴っていた。

『あのさぁ、ちょっと聞きたいんだけど…….潰瘍性大腸炎の薬ってさぁ、効くまでにどれぐらいかかるの?』

 とにかくこれが今の自分の全てだった。

 薬がいつ効くのか?

 既に使用し始めて、3週間以上が経過していた。だと言うのに症状は悪化の一途。

 これは普通なのか?

 それとももう効かないと言うサインなのか?

 それが知りたかった。知ったからといってどうなるものでもないというのが実際のところだが、とにかく何かにすがりたかった。

 助けて欲しかった。

 率直に言って、これが自分にとっての、歪曲された後輩に対するSOSだった──

飢餓

最後の藁


究極的に追い詰められた人間がすること。

助けて。

その3文字に集約されると言うことを知れたのは、後から考えると有益と言えばそうでした。

しかしその渦中にある自分は、もちろんそんな余裕は全くなく、ただただただただ掴むための藁を探すだけでした。

しかし探している時点で、手に引っかかるものは何もないと認めているようなもの。

それが一体どこに行き着くのか、どうか見届けてみてください。

後輩の返事

 結論から書きます。

 後輩から返事はありませんでした。

 私は唯一、この状況を打破――もしくは緩和できるかもしれない一筋の希望の糸を、断ち切られる結果になりました。

 後はただひたすらに、長い長い絶望と激痛と倦怠感の中を、終わりすら、期間すら見えずに耐えるしかありませんでした。

 その頃何を考えていたのか。

 痛みのない生活をうらやましいと思っていました。
 当たり前に行動できるのがうらやましいと思っていました。苦しまなくて済むのがうらやましいと思っていました。

闘病中にしていたこと

 ずっと、テレビを見ていました。流していたのはバラエティーの食事風景。
 ステーキ、焼肉、お寿司、丼もの、パスタに、ラーメンに、アジア料理フランス料理イタリア料理 etc etc

 食べられない。

 どんなにお腹がすいても、雀の涙程度しか食べられない。食べてもすぐに下してしまう。血の便となって、ケツから出てしまう。

 命を吐き出してしまう。

 食べられない、だからせめて、おいしいものをずっと見続けて、少しでも腹の足しにならず、気を紛らわすようと必死でした。

 そんなの余計に苦しくなると思われそうですが、ほんとに不思議なもので少しはマシになるんですこれが。

 まるで昨日のことのようとまでは言いませんが、このようにある程度は明確に思い出すことができます。

 私は喉元過ぎたからといって熱さを忘れるつもりはありません。

 そんな甘い人生を送ってはこれませんでした。

 ずっとずっと、痛みと倦怠感と苦しみと飢餓を抱えながら、ただただ食事風景を目に焼き付けていました。

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