“Mr.胴廻し回転蹴り”飯泉俊明 那須川天心、塚本徳臣に影響を与えし必殺技で活躍した業師!
ミスター胴廻し回転蹴り
この言葉を関するにふさわしいと言えるほどに、今回取り上げさせていただく飯泉俊明、彼の扱い方は際立っていたと言える。
胴廻し回転蹴りはあの第10回全日本空手道選手権大会で優勝に輝く二宮城光が初めて扱い、第8回全日本大会の三瓶啓二戦などで見られる技とされ、それも一説によるとアメリカの選手などから持ち込んだのではないかなど、いや二宮城光自身が開発したのではないかなど、その辺についての審議については意見は分かれている。
しかし飯泉俊明ほど胴廻し回転蹴りを試合で非常に有効に用いた選手というのもいなかったのではないだろうか?
後に"空手革命家"塚本徳臣がその技の代名詞となったとも言えるが、しかし彼は元来とは違う方向性、縦回転のものを開発し、それにより全体重をかかとに乗せ、相手の急所に確実に当てるものへと昇華させた。
だがこの飯泉俊明は、元来の胴廻し回転蹴り、横というか、斜めというか、その回転により、相手の急所を捉え、試合の流れを変え、ダメージを与え、そして一撃必殺を体現した。
全日本大会での闘い
そんな飯泉俊明は1990年6月3日に行われた第7回全日本ウェイト制空手道選手権大会に出場。
準々決勝で鈴木竜三郎選手と戦い、飛び後ろ蹴りから、気合を込めての左右鉤突きの連打、さらに下突き、胸のパンチにつなげる。
そこから一瞬の間をついて胴廻し回転蹴り!
さらに年代に告ぐ連打を重ねての勝利をつかんだが、続く田口恭一との戦いでは早々にローキックの連打にあい、その間隙をついて跳び後ろ回し蹴りを放ったりするが、ローキックをたたみこまれ、劣勢に追い込まれる。
しかしそこでひるまず、パンチの連打で反撃し、そこから飛び後ろ蹴り、廻し蹴りからの、1回転しての廻し蹴りなどの飛び技を見せ、攻勢に転ずる。
上vs下の熱い戦いとなったが、下段廻し三連打を受けてから放った左中段廻し蹴りの当たり所が悪かったようで、それで倒れ込み、残念ながらそのまま1本負けとなる。
さらにその半年後に開催された、第22回全日本空手道選手権大会に出場。
2回戦でその2年前の第20回全日本空手道選手権大会でチャンピオンとなっている桑島保浩と対戦し、やはり得意のパンチの連打を見舞うが、桑島保浩の強烈な左下段を受けて、ダメージを被り、そこから圧力に食する形で判定負けを喫した。
ついて飯泉俊明は第9回全日本ウェイト制空手道選手権大会に出場し、後に世界大会にも出場を果たしフランシスコフィリオとも戦うことになる青木英憲と対戦。
左下段廻し蹴りで飛び込み、下段廻し蹴り、下突きと、強烈なコンビネーションで攻め込み、高速の後廻し蹴りなども見せつけ、さらには胴廻し回転蹴りを顎にブチ当てたりもしたが、後半に後ろ蹴りを食らい、そこからの後ろ廻し蹴りが頭部をかすめ、そこからのラッシュをやはり胴廻し回転蹴りで一度は止め会場をざわつかせたものの、やはりダメージは隠しきれずといったところで惜しくも本戦3対0で破れている。
全関東大会での活躍
その後飯泉俊明は1993年4月4日に行われた、第1回全関東空手道選手権大会に出場。
2回戦で極真軽量級において史上最強クラスの力を持ち、後に"人間風車"と呼ばれることになる、谷川光と対決。
序盤はまずお互いローキックの蹴り合いとなり、先に谷川光自身も得意とする胴廻し回転蹴りを狙う。
さらにお互い強烈な下突きの応酬、そこから強烈な下段に繋げ、下がりながらカウンターの膝蹴りを顔面に当て、その隙をついての強烈な右の下突きの連続技で、驚くべきことに完璧なる1本勝ちを奪ってしまった。
これには衝撃を受けた。
確かに谷川光が本格的に活躍しだす前のことで、まだ実力的にはそこまで充実していないかもしれないとは言え、これは…
続く3回戦、飯泉俊明は数見肇と対戦。
もはや説明する必要は無い、ここから極真日本を背負うような男となる数見肇との戦いは、まずはやはり飯泉俊明が間合いを詰めて、強烈な下突きから廻し蹴りを連発。
しかしそこに数見肇はカウンターで下段廻し蹴りを返すが、飯泉俊明も飛び後ろ蹴りを披露する。
そこからパンチ、下段の応酬となり、1歩も引かず鉤突きをぶちかまし、胴廻し回転蹴りを繰り出したりするが、やはり数見肇の叩き落とすような下段廻し蹴りは強烈無比で、内股からのダメージを被ってしまい、手数が出なくなり、本戦は引き分けで粘ったが、
延長になると後ろ廻し蹴りに内股を合わせられ、下段の連打にさらされることになるが、終盤は維持を見せてラッシュを敢行し、その最中に放った胴廻し回転蹴りで技ありこそ取れなかったものの数見肇に膝をつかせることになった。
さらに翌年に開催された第2回全関東空手道選手権大会にもエントリー。
初戦、巨漢の阿久津雄士郎を相手に、強烈な左下突きからの左下段廻し蹴り、それを何度も何度も叩き込み判定勝利。
2回戦では阿部徹選手と対戦し、やはり強烈な下段廻しを連発し、ダメージを与え、そこからさらに下突きも効かせ、圧倒しての1本勝ち。
そして準決勝で鈴木国博と対戦。
後の世界王者となる男との戦いは、やはり圧力の差か鈴木国博の超接近戦の間合いに持ち込まれ、飯泉俊明は自分の組み手ができずにいた。
そこに下突きをぶちこまれ、さらに上段膝蹴りをもらい、飯泉俊明は悔しそうに天を仰いだ。
最後の戦いと一撃必殺
続いて飯泉俊明は同年10月29、30日に行われた第26回全日本空手道選手権大会に出場し、2回戦。
増井選手を相手に華麗なる跳び後ろ蹴りを見せ、そこから下突きの連打、下段と繋げ、そして相手の視線が下に向いたのを見計らっての胴廻し回転蹴り一閃!
完璧に顎を捉え、増井選手は仰向けに倒れ、全く動くことがない完全完璧なる一本勝ち。
そして第28回全日本空手道選手権大会では、1回戦にて九州、沖縄の強豪、塩浜辰彦を相手に、左中段廻し蹴りから右の鉤突きを連発しての、鮮やかなる一瞬の胴廻し回転蹴りでこめかみを捉えている様子が見受けられる。
胴廻し回転蹴り単体による技あり、一本立ちはそれほど多いとは言えなかったかもしれないが、しかしその使い所、タイミング、そしてスピード、当て感、鮮やかさ。
それは後に塚本徳臣がインタビューにて、いつ出すんだろ、いつ倒すんだろ、そういうところに影響受けたとも語っていたという話もある。
さらにはバック宙してオーバーヘッドのように相手の顔面を狙ったりもし、それが漫画にて紹介されたりと、まさに規格外の空中殺法を披露した男、飯泉俊明。
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