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“ヒットマン”長田賢一 空道北斗旗を通算7度制し,佐竹雅昭,極真と共に最強の一角に数えられた、一撃必殺のその打撃!

2021年11月20日

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この記事を書いた人
青貴空羽

小説家にして極真空手家。
更に2年間の英国留学不治の病うつ病になった経験、オタク文化を発信する為ブログTwitterYouTubeを始める。

Twitter:@aokikuunovel

大道塾草創期の絶対王者

大道塾空道を代表する選手としてその草創期に多大なる活躍を見せ、その時期最強の選手の1人として、常に名前が上がった男でもある。

彼は幼少の頃より強さというものを人一倍追い求めていたということで、話によると路上での実戦も経験が豊富で、149戦149勝という話も聞かれていたりする。

1983年に行われた北斗生重量級での準優勝を皮切りに、同年無差別級4位、84年重量級優勝、同年無差別級準優勝、85年無差別級優勝、86年重量級準優勝、同年無差別級優勝、87年重量級優勝、同年無差別級準優勝、88年重量級準優勝、89年辺重量級優勝、同年無差別級優勝、92年無差別級優勝――

まさしく列挙するだけでも圧倒されるほどの安定かつ絶対的な戦績を上げている。

身長181センチ体重86キロ。

格闘家として理想的ともいえるその体格には、無駄な贅肉など全くない、引き締まった、それこそ異名通りのヒットマンのような筋肉が備わっていた。

その体格を生かして、1984年の重量級では3回戦にて掴んでの膝蹴りから、体ごと振り回すような右フックの連打。

そして対戦相手が左ミドルキックで飛び込んできたところに、右フックからの右ストレートが直撃して、そこからの三連打!

相手はもんどりうって倒れて、大の字となる!

続く85年の無差別大会では、3回戦に対戦した阿部選手を相手に、遠間からの右ストレートを当てて、そこからの強烈な膝蹴り、そして右フックの三連打!

続いての長田賢一の首相撲からの膝蹴りを相手はうまくさばいていたが、モノ凄まじい右フックの音が会場中に響き渡る!

そしてそこから、戦慄のフック5連打、会場のどよめきがその衝撃を伝えていた。

準々決勝では、一転して左右のストレートの連打。

暴力的な破壊力で、相手を全く寄せ付けなかった。

86年の無差別級では、2回戦にて初めて目にしたそのアッパーの破壊力で、会場が再びどよめいた。

スーパーセーフをつけていると思えない、光景だった。

決勝は投げを喰らいながらも、右ストレートが正確に顎を捉え、山田選手が場外にエスケープするシーンすら見られた。

破壊力もそうだが、単純なボクシング技術、それも他とは1線を画するところを見せつけたといえる。

同年の重量級の準決勝、今度はフックの威力が増し、やはり会場衝撃のダウンシーンが繰り広げられる。

その連打に、相手はほとんどまともに戦いを展開できずに、何度もマットに転げさせられたようだった。

凄みがある…鬼神のようだ…

88年の決勝では対戦相手の山田利一郎に、うまく間合いを外され、懐に飛び込まれ投げ、猛烈なパンチの連打をもらい、残念ながら準優勝に終わる。

山田利一郎選手は翌年の無差別を含め3大会連続の優勝を果たしており、まさにこの対決は1つの頂上決戦といえたかもしれない。

そして1989年に行われた無差別級トーナメントでは1回戦にて、それまではまるで暴風のようなパンチ力の強さが際立っていたが、下段回し蹴りの一撃でその体をほぼ半回転させ倒し、まだその大器が未だ晩成されていないという驚愕の事実を満天の下に知らしめることになった。

ここまで立ち上がるのに時間がかかり、立ち上がっても引きずるなど、極真の試合でもなかなか見られるものではない。

2回戦では拳を振り回しながら懐に潜り込んでくる今崎選手に対して、その大きな体と長いリーチに見合わぬ、小さくバックステップしながらの本当に細かいショートのフックの連打によりマットに沈めるという、見事なテクニックを披露。

準決勝では前年の軽量級で優勝し、その後軽量機でありながら無差別でも活躍しキックボクサーとしても花開く加藤清尚と対戦し、その猛烈な突進に苦戦しつつも、投げによって大勢を取り戻し、飛び込んできた左に合わせた右ストレートでダウンを誘い込み、延長にての判定上で奪っている。

決勝での峯岸選手との対戦では、首相撲からの膝蹴りが大爆発。

ほぼ反撃を許さない怒涛の追い込みを見せ、一時相手が立ち上がれないほどのダメージを与え、さらには右ストレートからの左ミドルでボディーも効かせ、それまでと全く違うほぼ蹴りを主体にしてでの完全優勝を果たした。

最後にして伝説となった92年北斗旗無差別級

そして3年のブランクを経て出場した92年の無差別級。

1回戦、またも会場に衝撃が走った。

わずか8秒。

ステップにしても左フックの一撃で、相手はもんどりうってマットに沈んだ。

見事にテンプルを捉え、おそらく脳みそが揺れて、スーパーセーフが全く意味をなしていないという驚きの光景。

3回戦では相手が飛び込んで右フックを打ってくるところに、冷静にバックステップして、顎先にシャープな左フック。

的確すぎる、適切すぎる、冷徹すぎる、正しく異名通りの、ヒットマン――

決勝は再び、加藤清尚との対決。

加藤選手が飛び込んでのフック、前蹴りに対して、長田賢一はそれに冷静に細かいパンチで対応する。

さらにミドルキックの応酬や膝蹴りなども見られ、パンチ、蹴りともに、まさに最高レベルの戦いといえるだろう。

バックハンドブローと後ろ回し蹴りの交錯。

判定となり、延長にて長田賢一の重量級無差別通して7度目の優勝が確定した。

夢枕獏の小説にもなったムエタイ戦

試合後、長田賢一が語っている。

優勝について聞かれ、

「嬉しいですけどね……うーんなんていうか正直いってね、正直いって後輩の加藤、になんか優勝させたかったなっていうね、あったといぇばあったっていうね」

「これから連中の時代であることには変わりないんでね、そういう意味では連中に満足して、自分の空手に対してね、満足してくれてね、先輩に対して、満足いくものを持てたかっていうと疑問が残るんでね…その辺だけですね」

武道家だな、と思った。

自分の、利己心ではなく、あくまで後輩の為、仲間の為、他に益すために、そのために身を削って、後につなげる。

彼のその素朴で、誠実で、そういった人柄が、出ている1幕だと感じられた。

そんな彼は1987年4月24日、大道塾の塾長であった東孝とともにムエタイ視察を兼ねてタイへ向かい、その場で試合を持ちかけられ、急遽ムエタイ対抗戦が決定。

しかしその後パタヤで調整中に足を切り、そのうえその試合は新聞に、日本の空手王者がムエタイに挑戦という形で大々的に報じられることになったという。

その上対戦相手は、ムエタイのウェルター級チャンピオン、ラクチャート・ソーパサドポン。

二大伝統の1つであるルンピニースタジアムでの決戦は、初のグローブマッチにもかかわらず、長田賢一は強烈な右ストレートと左ミドルを中心にどんどん前に出ていき、さらには本場顔負けの回転肘まで見せる。

さらにムエタイにはないインローキックで体勢を崩し、飛び込んだ右ストレートでラクチャートの顎が上がる。

しかしさすがに現地の暑さ、グローブの重さに、動きづらさを感じているのは確かなようだった。

しかしそんな中でも、相手の膝蹴りを躱しての渾身の右ストレートで、ラクチャートを背中から叩きつけるという信じがたい光景を繰り広げる。

これが初のグローブマッチとは…。

しかしながら2ラウンドに続き、コーナーに追い詰めてのラッシュ、飛び込んでの肘打ちまで見せるが、ラクチャートはさすがのムエタイのチャンピオンでそれをしのぎ切り、その足で疲れたが出たところを狙われ、左ミドルの連弾を喰らい、そこから左右のパンチの連打からの、渾身の右ストレートで長田賢一はマットに沈んだ。

その戦いについて東孝は、

「実際長田はほんとによく戦った。

急なマッチメイクに足の負傷、室温40度を超すリングで、慣れないグローブをつけて1度は元王者からダウンまで奪ったのだ。

私は弟子が負けたというよりよくやったという気持ちの方が強かった」

と語っており、この時感染していた作家の夢枕獏はその衝撃を――

「その時の、あの晩の、あの熱気、あの熱にうかされた、夢のような濃密な時間を、いつか小説に書いてみたかった」

と語り、後に「牙の紋章」という小説をかき上げている。

そして1992年の無差別級を制するその4ヶ月前、後楽園ホールで大道塾主催の初のグローブマッチの大会、WARSに出場し、そこで元ルンピニー・ラジャダムナンでのJrウェルター級王者を統一をしたという凄まじい肩書を持つポータイ・チョーワイクンと対戦し、見事にグローブに対応した遠心力のパンチ、肘、猛烈なキックを見せつけ、5年前の敗戦を払拭する値千金の引き分けを勝ち取った。

空道を継ぐ者

その後引退し、しかし10年後、弟子である子供たち己の戦う姿を見せるため、そして王者と拳を交えるために2002年、2003年の重量級選手権に参戦したという。

勝ち負けは別にして、あきらめないこと。

苦しくても前に出るってことを口だけじゃなく、自分の体で伝えてやりたいんです!

その想いで――

テレビでも取材でも、あまりに無表情なため、長田さんは勝っても負けても表情が変わらないといわれて、微笑むシーンが胸に残っている。

その番組の最後に彼はこれからの歩みを聞かれて、

「武道家としてね、自分、空手道を追求する一方ですね、格闘空手を確立して、また社会体育として、また武道として、大道塾という空手道を確立していきたい」

試合では冷徹に冷静に確実に、そのまさにライフルのような拳、バズーカのような蹴りで相手を仕留め、しかし試合場を降りればその朗らかな人柄、ひたむきな努力で、見る人、続く人皆を魅了した。

ヒットマン、長田賢一。

彼が継ぐ大道塾空道の今後から目を離すことは出来ないだろう。

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